夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
188 / 219
第四章

夢の跡 2.

しおりを挟む
 コウの待つ部屋へ戻ってお茶を淹れながら、中断していた話の続きを切り出した。

 夢のなかでもコウは断片的には話してくれていたけれど、解ったような、解らないような――。ようは、僕はまだ体系的に掴むことができていないのだと思う。
 きみと生きていくために、きみの住む世界を理解したい。僕の知る現実と折り合いをつけて重ねていきたい、そのために教えてほしい、と。

 膝にトレイを置いて、ときどきお茶で喉を潤しながら、コウはとつとつと話し始めてくれた。部屋を出る前の思いつめたような感じは少しほぐれている。
 きっとこれは、コウの好きなスコーンの魔法だ。目覚めてからのこの数日で、流動食からようやく固形物も少しづつ採ることができるようになったのだ。一口サイズのスコーンに素直に瞳を輝かせてくれている。そんな彼を見ることのできている幸せを、噛みしめる。僕たちと暮らすなかでコウが見いだしていた現実感を、これからもっと僕もいっしょに味わっていきたい。僕が確かめたいのは、本当はそんなことなんだ。だからそのために、きみがもう少し自分自身を整理できるように手伝ってあげる。



「初めは本当に、僕にも何が起こっているのか解ってなかったんだ」


 コウと僕が出逢ったのは偶然ではない。これは夢のなかでも赤毛に言われたことだ。
 それがまず一番のコウの負った大きな葛藤だった。仕組まれた出逢いの後、自分の役割を思いだしていくにつれ、コウは通常では考えられないほどの厄介な問題に僕を巻きこんだことに気づいたのだ。そうして、僕への罪悪感ばかりが降り積もっていった。

「だけどね、コウ、互いの想いまでが運命に支配されていたわけじゃない。僕たちは傷つき苦しみながらも、互いを求めあい、確かめあってきただろ? 僕はやはり、きみと出逢わない安穏とした日々よりも、きみのいる今を選ぶよ」
「それは、今だから言えるんだよ。こうして何とか戻ってこれたから――」
「そうかもしれないね。だから、それでいいじゃないか。もしもそうじゃなかったとしても、きっと僕は自分自身に悪態をつきながら、――それでも、後悔はしないな。最後の時まできみを見つめていると思う」

 拗ねたように僕を見つめるコウの髪を、撫でる。頬を擦る。コウは猫がじゃれるように僕の手のひらに甘える。

 きみは気づいていないのかな。拗ねているときも、怒っているときも、僕を避けているときでさえ、きみは僕を求めていた。



 コウの僕へのこんなにも強い渇望が、赤毛の誤算だったのだ。

 突然異国の地で放りだされ、奴なしではどうすることもできない焦燥と孤独のなかで、コウは僕に出逢った。僕たちの家に来て、それから奴が戻ってくるまでの期間、コウは赤毛の呪縛からかなり解放されていたといえるのだろう。

 そして、僕と恋に落ちた。

 赤毛にとってはまったくの想定外だ。そのうえ、地の精霊グノームの加護の下にある僕に近づくために、自らは身を隠してコウと僕とを引き合わせたにも拘わらず、コウは儀式の及ぼした精神的外傷トラウマティックショックから、赤毛に関する記憶の多くを封印してしまったのだ。火の精霊サラマンダーの力を封じ込めているアビーの人形が目の前にあるのに、その意味に気づかないばかりか、本来の目的を意識の表層に上げることすらできなくなっていたのだ。さらには、コウが僕を想えば想うほど、地の精霊グノームの支配力が強固に赤毛を捕らえ、その力を削いでいたのだという。



「彼が僕を嫌うのも当然か――」
 奴に同情する気はさらさらないけれど、なんともいえず笑ってしまった。

 こうしてコウの事情を知ってみると、これほど強烈に赤毛に取り込まれ、メサイア・コンプレックスに陥っていた彼が、僕に恋してくれたこと自体奇跡のように思える。コウは決して救世主となって僕を救おうなどという思惑で、僕に手を差しのべたのではないのだ。年齢相応の一少年として、僕に恋してくれたのだ。
 幼少期に基盤となる内的世界で遊ぶことを禁じられ、確たる居場所を見いだせないできたコウの、役に立つ特別な人間でありたい、存在を許され居場所を得たいという期待と、そうではない現実での無力感、焦燥が、こうも入り組んだ特殊な内的世界を築きあげてしまったのだろう。そこを奴につけこまれた。おそらく思春期に陥りがちな英雄ヒーロー・症候群シンドローム的な夢を、赤毛に植えつけられたのだろう。そしてマインドコントロールされ、都合良く利用されていたのだ。だがコウは、僕に出逢い、僕を支柱にすることで、奴の支配から逃れ独自の自我を築こうとあがいていたのだ。
 コウの内的世界は、精神的にまだまだ成熟していない彼の誇大妄想といえなくもない。だが思春期にありがちなもので、治療の必要なレベルではない。その証拠に、コウはこうしてしなやかに自ら立ちあがることができている。


 とはいえ、赤毛とあの魔術師との関係性はいまだに解くことはできていない。
 アーノルドと魔術師たちが関わっていたことは歴然とした事実だし、こうしてスティーブが都合良く来てくれたのも決して偶然ではなかった。彼は儀式の行われる旨を告げたメールを受け取り、休暇を前倒しにして戻ってきたのだ。メールはコウの名前で発信されていたそうだ。だが、彼はずっと眠っていたのだからそれは不可能で、実際のところ誰が彼にそれを送ったのかは、いまだ判らない。スミス夫妻を通じて内情を掴んでいたであろう赤毛なのか、他の魔術師たちなのか、憶測ならいくらでも湧いてでる。

 僕たちがさすがに、共時性シンクロニシティとしかいいようのない同じ夢を体験したことは、不承不承ながら頷くしかない。けれど、夢のなかで見知ったこと全てを鵜呑みにすることはできなかった。この共時性シンクロニシティの夢には、僕とコウだけではなく、赤毛も加わっていたのだから。

 魔術師としての赤毛――。

 彼の意志がどのようにあの夢の世界に手を加えていたか、知る由もないのだ。





しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

あの頃の僕らは、

のあ
BL
親友から逃げるように上京した健人は、幼馴染と親友が結婚したことを知り、大学時代の歪な関係に向き合う決意をするー。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

エートス 風の住む丘

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」  エートスは  彼の日常に  個性に  そしていつしか――、生き甲斐になる ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?   *****  今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。  

処理中です...