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第四章
化身 4
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「この声は? きみのなかに赤毛がいるみたいに聴こえる――」
さすがに唖然としてしまって、取り繕うこともできずにそのまま呟いてしまった。
「そういうことだよ」
コウは僕にぎゅっと腕を回したまま応えた。腕を解こうとはせず、すぐ横に彼の顔があるのに、表情を窺うことを許してくれない。かすかに震えている。怖いのだ。このことを僕に告白することが。僕に知られることが――。
「この世界は何でもありなんだね。でも、僕にはまだよく解っていないみたいだよ。もう驚いたりしないから、話して」
コウはじっと僕にしがみついたままだ。辺りの闇が一段と濃くなった気がする。発光するコウのなかの輝きが、若干薄くなったのだろうか。
永遠のような沈黙。
だけど僕はコウを抱きしめていたから怖くはなかった。この沈黙が本当に永遠であっても、きっと耐えられるだろう。コウさえ感じていることができれば――。
「ドラコは人間じゃないんだ。彼は精霊、――火の精霊なんだよ」
「そう」
認めたくはなかったけれど、その可能性は考えなかったわけじゃない。意外に頑固な面のあるコウが、意志に反して従わざるを得ない相手となると限られる。コウの精神構造からすると、あり得る解釈だと思っていた。
「そして、きみには地の精霊の血が流れている。僕は初め、それがどういう意味を持つのか知らなかったんだ」
「うん」
「僕の魂の半分は、火の精霊、つまりドラコで構成されているんだ。僕たちは別々の意志と感情を持っているのに、嫌でもこの世界の規則に則って、影響しあってしまうんだ」
――嫌でもたぁなんだと! おまえがあのとき死にかかったりするから、俺はだな、おまえを助けるために――、
「それは仕方なくだろ!」
コウが不貞腐れたように言い放つ。
「彼はきみの内側にいるの?」
「今はね。半身のドラコが囚われているからしょうがないんだ」
コウはやっと腕を緩めて、はぁっと大きな息をついた。そしておずおずと上目遣いに僕を見あげた。その脅えた瞳を見つめ返していると、なんともいえない気分が湧いてくる。
「なんだか困惑するな。きみにキスするのって、同時に奴とキスしてることになるのかな」
想像したくない光景だ。
「いつもいるってわけじゃないよ! きみは見ただろ。ナイツブリッジのアパートメントで、ドラコが僕から出てくるところ」
――そういうことだ! おまえのせいでこうなってるんだ! 解ったら、さっさとここから出せ!
赤毛がコウの内側から声を張りあげている。
「うるさい。少し黙っていてくれないか。僕は今、コウと話してるんだよ」
顔をしかめて言い返すと、コウがクスクス声をたてて笑った。「ん?」と怪訝な思いで彼を見ると、ますます笑って止まらなくなった。
「だって、アル、あまりにも動じないんだもの。僕はずっと言えなくて、言えなくて、悩んで――」
涙を滲ませて、笑っているのか、泣いているのか判らないコウを抱き寄せた。でもやはり複雑な想いがする。ここにいるのは誰なのだろう? 本当にコウなのか、それとも赤毛――。解離性同一性障害のようなもの、と考えればいいのだろうか。そんなことを考え迷い始めると、せっかくこうして逢えたコウをまた見失ってしまうような気がして、コウ自身の話は保留にして別の疑問を口にする。
「それで、火の精霊と地の精霊は仲が悪い、なんて話に続くんじゃないだろうね」
「よく判ったね! すごいな、アルって!」
まぁ、僕のなかにある赤毛へのどうしようもない敵愾心を思えば、ありがちな発想だと思うけれどね。ともあれ、自分の手に余る嫉妬心を血筋や因縁のせいにしてしまえるのは、コウの手前、助かるような気がする。
「事の起こりはアーノルドの儀式からなんだ」
僕に否定されることがないと解ってほっとしたのか、コウは滑らかに話し始めた。
この問題は、アビーの延命を願ったアーノルドの二回目の儀式から始まる。地の精霊と水の精霊はその願いを引き受けた。だがこの儀式で、彼らは対立していた火の精霊をアビーの魂と一緒に、虹のたもとに閉じ込めてしまったのだ。
「地上のバランスが崩れかけていたんだ。火の力はとても巨大で、強すぎると地表の生き物を殺し過ぎてしまう。情の深い地の精霊はそれを憂いていたんだ。その情を、水の精霊が利用したんだ」
精霊といっても、その意味するところは元素のわけだから――。コウの言っているのは火の性質、地球温暖化や、砂漠化のことなのだろうか。あるいは、戦争や弱肉強食のシステム社会もそれに当てはまるのかもしれない。
ともあれ、その激しい火の精霊の影響力を調節するのが、地の精霊の役割でもあるらしい。そして残る風の精霊は火の精霊側についているらしいが、地の精霊をとがめだてできる立場ではないらしい。
だが、そうして火の精霊の力が弱まると、今度は水の精霊が勢いを増し過ぎて収集がつかなくなってきたらしい。本来、冥界の水先案内人でもある彼女が自由奔放にあてどなく彷徨うものだから、霊道は混乱し、人間の精神世界にまで影響を及ぼすほどになってしまった。
「僕の家系は、地上と冥界をつなぐ入り口が滞りなく機能するように見張る番人の役目を賜っているんだ」
コウがほぅっと息をつく。
「僕はこの混乱でこんがらがっている霊道をもとにもどし、死者がぶじに冥界へ向かうことができるように事の根源を確かめて、それから修復するために、イギリスへ来たんだよ。それなのに、自分の役目を忘れてきみに恋してしまった。だからここに囚われることになったんだ」
*******
解離性同一性障害……ここではいわゆる多重人格を指しています。
さすがに唖然としてしまって、取り繕うこともできずにそのまま呟いてしまった。
「そういうことだよ」
コウは僕にぎゅっと腕を回したまま応えた。腕を解こうとはせず、すぐ横に彼の顔があるのに、表情を窺うことを許してくれない。かすかに震えている。怖いのだ。このことを僕に告白することが。僕に知られることが――。
「この世界は何でもありなんだね。でも、僕にはまだよく解っていないみたいだよ。もう驚いたりしないから、話して」
コウはじっと僕にしがみついたままだ。辺りの闇が一段と濃くなった気がする。発光するコウのなかの輝きが、若干薄くなったのだろうか。
永遠のような沈黙。
だけど僕はコウを抱きしめていたから怖くはなかった。この沈黙が本当に永遠であっても、きっと耐えられるだろう。コウさえ感じていることができれば――。
「ドラコは人間じゃないんだ。彼は精霊、――火の精霊なんだよ」
「そう」
認めたくはなかったけれど、その可能性は考えなかったわけじゃない。意外に頑固な面のあるコウが、意志に反して従わざるを得ない相手となると限られる。コウの精神構造からすると、あり得る解釈だと思っていた。
「そして、きみには地の精霊の血が流れている。僕は初め、それがどういう意味を持つのか知らなかったんだ」
「うん」
「僕の魂の半分は、火の精霊、つまりドラコで構成されているんだ。僕たちは別々の意志と感情を持っているのに、嫌でもこの世界の規則に則って、影響しあってしまうんだ」
――嫌でもたぁなんだと! おまえがあのとき死にかかったりするから、俺はだな、おまえを助けるために――、
「それは仕方なくだろ!」
コウが不貞腐れたように言い放つ。
「彼はきみの内側にいるの?」
「今はね。半身のドラコが囚われているからしょうがないんだ」
コウはやっと腕を緩めて、はぁっと大きな息をついた。そしておずおずと上目遣いに僕を見あげた。その脅えた瞳を見つめ返していると、なんともいえない気分が湧いてくる。
「なんだか困惑するな。きみにキスするのって、同時に奴とキスしてることになるのかな」
想像したくない光景だ。
「いつもいるってわけじゃないよ! きみは見ただろ。ナイツブリッジのアパートメントで、ドラコが僕から出てくるところ」
――そういうことだ! おまえのせいでこうなってるんだ! 解ったら、さっさとここから出せ!
赤毛がコウの内側から声を張りあげている。
「うるさい。少し黙っていてくれないか。僕は今、コウと話してるんだよ」
顔をしかめて言い返すと、コウがクスクス声をたてて笑った。「ん?」と怪訝な思いで彼を見ると、ますます笑って止まらなくなった。
「だって、アル、あまりにも動じないんだもの。僕はずっと言えなくて、言えなくて、悩んで――」
涙を滲ませて、笑っているのか、泣いているのか判らないコウを抱き寄せた。でもやはり複雑な想いがする。ここにいるのは誰なのだろう? 本当にコウなのか、それとも赤毛――。解離性同一性障害のようなもの、と考えればいいのだろうか。そんなことを考え迷い始めると、せっかくこうして逢えたコウをまた見失ってしまうような気がして、コウ自身の話は保留にして別の疑問を口にする。
「それで、火の精霊と地の精霊は仲が悪い、なんて話に続くんじゃないだろうね」
「よく判ったね! すごいな、アルって!」
まぁ、僕のなかにある赤毛へのどうしようもない敵愾心を思えば、ありがちな発想だと思うけれどね。ともあれ、自分の手に余る嫉妬心を血筋や因縁のせいにしてしまえるのは、コウの手前、助かるような気がする。
「事の起こりはアーノルドの儀式からなんだ」
僕に否定されることがないと解ってほっとしたのか、コウは滑らかに話し始めた。
この問題は、アビーの延命を願ったアーノルドの二回目の儀式から始まる。地の精霊と水の精霊はその願いを引き受けた。だがこの儀式で、彼らは対立していた火の精霊をアビーの魂と一緒に、虹のたもとに閉じ込めてしまったのだ。
「地上のバランスが崩れかけていたんだ。火の力はとても巨大で、強すぎると地表の生き物を殺し過ぎてしまう。情の深い地の精霊はそれを憂いていたんだ。その情を、水の精霊が利用したんだ」
精霊といっても、その意味するところは元素のわけだから――。コウの言っているのは火の性質、地球温暖化や、砂漠化のことなのだろうか。あるいは、戦争や弱肉強食のシステム社会もそれに当てはまるのかもしれない。
ともあれ、その激しい火の精霊の影響力を調節するのが、地の精霊の役割でもあるらしい。そして残る風の精霊は火の精霊側についているらしいが、地の精霊をとがめだてできる立場ではないらしい。
だが、そうして火の精霊の力が弱まると、今度は水の精霊が勢いを増し過ぎて収集がつかなくなってきたらしい。本来、冥界の水先案内人でもある彼女が自由奔放にあてどなく彷徨うものだから、霊道は混乱し、人間の精神世界にまで影響を及ぼすほどになってしまった。
「僕の家系は、地上と冥界をつなぐ入り口が滞りなく機能するように見張る番人の役目を賜っているんだ」
コウがほぅっと息をつく。
「僕はこの混乱でこんがらがっている霊道をもとにもどし、死者がぶじに冥界へ向かうことができるように事の根源を確かめて、それから修復するために、イギリスへ来たんだよ。それなのに、自分の役目を忘れてきみに恋してしまった。だからここに囚われることになったんだ」
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解離性同一性障害……ここではいわゆる多重人格を指しています。
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