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第四章
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この発見はショーンに新たな手掛かりを与えたようだった。そうなると僕の存在は、どうにも彼の邪魔になるらしい。彼は喋るよりも自身の作業に没頭したいようなのに、僕がここにいる限り、僕のために何か喋らなくてはならない強迫観念に従わざるをえないらしい。僕は放っておかれたって一向にかまわないのに。だがそう伝えたところで彼のこの癖が改まることはないのは、もう充分に知っている。だから互いのためにも、「コウの様子を見てくるよ」と、ここを離れて部屋に戻ることにした。
ぴんと張り詰めた空気。物音一つしない静寂。古い写真を見ているかのような懐古色。
この部屋は時間が止まってしまったようだな、とドアを開けるたびに思う。そしてその中央には、美しい調度品のようにコウが在る。変わらずここに在る。変化を忘れた永遠のように。
ショーンは、コウの意識を取り戻す儀式を、本当に仕切れるのだろうか?
コウの髪を梳き、体温を確かめながら、何度となく繰り返してきた問いを重ねていた。
僕は魔術というものを信じていないから、この疑問に繰り返し襲われるのは仕方のないことだと思っている。それでも、都度打ち寄せる疑念の波にもまれるのはやるせない。それは否応なく彼とコウを比較させるのだ。虹のたもとにいるのがアビーであり、コウであるのなら、彼は誰なのか、と。
術を仕掛けた赤毛なのか、コウを追い詰めた僕なのか――。
現実世界でのアーノルドは、アビーの魂を虹のたもとに閉じこめたんじゃない。彼自身が妄想のアビーを生み、自身の内的世界をその住処としたのだ。
コウが目覚めないのも、赤毛に魂を攫われたからじゃない。コウ自身に施された暗示を受け入れ、了承してしまう基盤があったからだ。彼の意識は、彼自身の無意識の海に潜っているだけだ。
どちらも、その内的世界への扉を開ける言葉さえあれば、解ける暗示だろう。
問題は扉の仕組みと、その鍵なのだ。
コウの心が何に囚われて目覚めることを拒むのか。魔術というものの仕組みに精通しているはずなのに、どうしてこうも赤毛を信じ、従うのか。
僕を裏切るほどに、彼を愛しているのか――。
真実を知るのが怖いから、僕はショーンの示す最適解を信用できないと、拒みたいだけのような気がする。
ガラスの棺に眠る僕の白雪姫は、
ハムステッドのスティーブの家。白薔薇の絡まるカーテン。緑の壁紙に緑のカーペットを敷いた居間は、どこかこの部屋に似ている。
ガラスケースのなかの人形のようで。
そんなきみを、僕はそっと密やかに抱きしめたい。抱きしめて、誰にも気づかれないようにまた、そっと戻して。
眠っているきみなら、人形のように僕によりそって、ずっとそばにいてくれる。
そんなのちっとも幸せなんかじゃない、て解っている。幸せじゃないのに、僕はきみに触れることで、温もりを感じ安心を得る。血の通わない冷たい人形を抱きしめて、温もりを感じていたのと同じように。
ずっと幼かったころ、誰もいないときを見計らって、そっとキャビネットの扉を開けて母を抱きしめていた。そうすることで僕は素知らぬ顔をして、日々をやりすごすことができたのだ。
マリーがママと呼ぶ人を、僕はアンナと名前で呼んで、彼女がパパと呼ぶ人を、スティーブと名前で呼んで、それでもまるで彼らの息子ででもあるかのように、誇れる子どもになることを夢見ていた。狂った父と死んだ母の残した哀れな子どもを抱く腕に温もりを求め、与えられる慈悲に縋りつき、自ら進んで彼らの望む人形になろうとした。
本当の僕はキャビネットのなか。陶器の肌に守られて、じっと僕を見つめていた。僕は彼女で彼女の子ども。陶器でできた、美しいだけの空っぽの人形。
――アルビーはガラスケースの中の人形じゃないもの。怪我くらいするよ。
それでよかったのに。そんな僕に僕は不満なんてなかったのに。こんな、今になって、見つけられるなんて。
コウが僕を見つけてくれたのだ。生きている僕を。愛され、憎まれた、人形じゃない赤ん坊を。僕は叩きつけられても壊れなかった。死ななかった。僕は人形じゃなかったのだ。
そして、気づかせてくれたのだ。僕のこの額の傷は、父の憎しみと、母の慈しみの証。僕が、僕である証なのだ、と。
きっと、目を開けたきみは、僕を拒むだろうね。きみを人形のように扱い、僕のものにしようとした、愚かで身勝手な僕だもの。
だから僕は、今、この瞬間に安堵するんだ。きみがここに在ることに。
こんな僕はアーノルドと同じだ。狂っている。きみがいるよりも、ただ在る方がいいだなんて。
たとえ、きみがきみでいることで僕を傷つけるのであっても、僕が愛しているのはきみなのに。きみは物じゃない。僕に安心をくれるための、そんな物じゃない。僕は間違っている。だから、
きみがきみでいることを――。
僕を拒絶するきみであっても、きみがきみでいることを、僕は、望むよ、コウ。
ショーンの儀式が失敗したら、それでもきみの意識が戻らなかったら、ロンドンへ帰ろう。赤毛に――、きみを託そう。
僕の我がままで、これ以上きみの自由を奪っていいはずがない。
僕のために、きみは存在しているわけじゃないのだから。
ぴんと張り詰めた空気。物音一つしない静寂。古い写真を見ているかのような懐古色。
この部屋は時間が止まってしまったようだな、とドアを開けるたびに思う。そしてその中央には、美しい調度品のようにコウが在る。変わらずここに在る。変化を忘れた永遠のように。
ショーンは、コウの意識を取り戻す儀式を、本当に仕切れるのだろうか?
コウの髪を梳き、体温を確かめながら、何度となく繰り返してきた問いを重ねていた。
僕は魔術というものを信じていないから、この疑問に繰り返し襲われるのは仕方のないことだと思っている。それでも、都度打ち寄せる疑念の波にもまれるのはやるせない。それは否応なく彼とコウを比較させるのだ。虹のたもとにいるのがアビーであり、コウであるのなら、彼は誰なのか、と。
術を仕掛けた赤毛なのか、コウを追い詰めた僕なのか――。
現実世界でのアーノルドは、アビーの魂を虹のたもとに閉じこめたんじゃない。彼自身が妄想のアビーを生み、自身の内的世界をその住処としたのだ。
コウが目覚めないのも、赤毛に魂を攫われたからじゃない。コウ自身に施された暗示を受け入れ、了承してしまう基盤があったからだ。彼の意識は、彼自身の無意識の海に潜っているだけだ。
どちらも、その内的世界への扉を開ける言葉さえあれば、解ける暗示だろう。
問題は扉の仕組みと、その鍵なのだ。
コウの心が何に囚われて目覚めることを拒むのか。魔術というものの仕組みに精通しているはずなのに、どうしてこうも赤毛を信じ、従うのか。
僕を裏切るほどに、彼を愛しているのか――。
真実を知るのが怖いから、僕はショーンの示す最適解を信用できないと、拒みたいだけのような気がする。
ガラスの棺に眠る僕の白雪姫は、
ハムステッドのスティーブの家。白薔薇の絡まるカーテン。緑の壁紙に緑のカーペットを敷いた居間は、どこかこの部屋に似ている。
ガラスケースのなかの人形のようで。
そんなきみを、僕はそっと密やかに抱きしめたい。抱きしめて、誰にも気づかれないようにまた、そっと戻して。
眠っているきみなら、人形のように僕によりそって、ずっとそばにいてくれる。
そんなのちっとも幸せなんかじゃない、て解っている。幸せじゃないのに、僕はきみに触れることで、温もりを感じ安心を得る。血の通わない冷たい人形を抱きしめて、温もりを感じていたのと同じように。
ずっと幼かったころ、誰もいないときを見計らって、そっとキャビネットの扉を開けて母を抱きしめていた。そうすることで僕は素知らぬ顔をして、日々をやりすごすことができたのだ。
マリーがママと呼ぶ人を、僕はアンナと名前で呼んで、彼女がパパと呼ぶ人を、スティーブと名前で呼んで、それでもまるで彼らの息子ででもあるかのように、誇れる子どもになることを夢見ていた。狂った父と死んだ母の残した哀れな子どもを抱く腕に温もりを求め、与えられる慈悲に縋りつき、自ら進んで彼らの望む人形になろうとした。
本当の僕はキャビネットのなか。陶器の肌に守られて、じっと僕を見つめていた。僕は彼女で彼女の子ども。陶器でできた、美しいだけの空っぽの人形。
――アルビーはガラスケースの中の人形じゃないもの。怪我くらいするよ。
それでよかったのに。そんな僕に僕は不満なんてなかったのに。こんな、今になって、見つけられるなんて。
コウが僕を見つけてくれたのだ。生きている僕を。愛され、憎まれた、人形じゃない赤ん坊を。僕は叩きつけられても壊れなかった。死ななかった。僕は人形じゃなかったのだ。
そして、気づかせてくれたのだ。僕のこの額の傷は、父の憎しみと、母の慈しみの証。僕が、僕である証なのだ、と。
きっと、目を開けたきみは、僕を拒むだろうね。きみを人形のように扱い、僕のものにしようとした、愚かで身勝手な僕だもの。
だから僕は、今、この瞬間に安堵するんだ。きみがここに在ることに。
こんな僕はアーノルドと同じだ。狂っている。きみがいるよりも、ただ在る方がいいだなんて。
たとえ、きみがきみでいることで僕を傷つけるのであっても、僕が愛しているのはきみなのに。きみは物じゃない。僕に安心をくれるための、そんな物じゃない。僕は間違っている。だから、
きみがきみでいることを――。
僕を拒絶するきみであっても、きみがきみでいることを、僕は、望むよ、コウ。
ショーンの儀式が失敗したら、それでもきみの意識が戻らなかったら、ロンドンへ帰ろう。赤毛に――、きみを託そう。
僕の我がままで、これ以上きみの自由を奪っていいはずがない。
僕のために、きみは存在しているわけじゃないのだから。
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