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第四章
取り替え子 3.
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「ありがとう」と、ショーンに薄く微笑み返した。それから、大きく深呼吸する。
大丈夫。たとえコウの心が僕から離れていたとしても、はっきりとコウの口からそう告げられるまで、僕は諦めたりしない。こんな形でコウを奪われたままで引き下がったりしない。コウを自分の人形のように扱う赤毛を、許したりしない。
「異界との境界。コウもそのことを言っていたような気がするよ」
御伽噺の説明のときも、それから、初めてここへ来たときにも。
心を落ち着かせて、僕はこれまでと何ら変わりない調子を務めてショーンに話しかけた。彼はほっとしたように息をつく。だがそれを表だってみせるのではなく、さりげなく頷いただけで、「それで」と視線で僕に続きを促した。
「世界は多重構造――、だっけ。アーノルドの世界を魔術的見解から説明してくれたんだ。それに、コウも『取り替え』という語句を使っていたと思う。そう、確か――」
コウはなんて言ってた? アビーの墓の前で――。
アビーは地の精霊の血脈で、その血の継承を精霊は望んでいた。だからアーノルドは精霊にアビーのお腹の子を渡すことを同意し、代わりにアビーの命を望んだ。彼らがアーノルドとの取引に応じたのは等価交換だった。この契約はアーノルドからの一方的な願いではなく、精霊の望みでもあったのだ、と。
だから精霊の加護を得て、僕は生まれることになったのだ、とコウは言ってくれたのだ。
だが、この仮定に則って考えるなら、僕は、本当は産まれることなく冥界へ行くはずだった、ということになりはしないだろうか。彼が真に望んだのは、彼女が僕を諦めて、すぐにでも治療を受けて延命することだったはず。要は僕という息子の死だ。それを精霊側が僕の命を望んだから、確立の低い延命治療よりも、彼にとってはより確実にアビーの命を守れるだろう魔術的方法に乗り換えた。
彼のこの選択で、本来の運命が取り替えられてしまったのではないだろうか。
「僕の命と、彼女の魂が『取り替え』られた――」
「なるほど、なんだか繋がってきたよ! その契約者は彼なんだよな。そうすると、彼の妻は自分の子どもが『取り替え』られて、その対価が自分の魂の永続性だってこと、知らないんじゃないかな? 何も知らされないまま魔法のかかった人形を赤ん坊だって渡されてさ、信じてたんじゃないの? その魔法をさ、きっとコウが解いたんだよ! ここに来たときにさ!」
急に思いついたらしい自説を、ショーンが一気にまくしたてる。ちょっと待ってくれ。僕はこの分野の話にはどうもストッパーが掛かって上手く認識が働かなくなるんだ。
人差し指を唇にもっていって、「待って」と彼を静止する。ショーンはピタリと口を閉じた。そして困ったように視線を彷徨わせている。
「コウが魔法を解いた――」
目を瞑って、あの日の記憶を想い返した。コウとここへ来た日の記憶。
ティールームでの談話には、彼の妻も同席していた。彼は取り留めもなく喋る一方で、コウはそんな彼をぎこちなく見つめるだけだった。幼い頃の僕そのままに――。そんな彼に追い打ちをかけるように、僕は赤毛の人形の話を持ちだした。コウが僕に隠し続ける特別な友人のことを、この場でなら訊きだせるかもしれないと思ったのだ。
コウは立ちあがって、彼の耳許でなにか囁いた。おそらくなんらかの呪文だ。彼は驚いて――、でもまたすぐに妄想か現実か判らないような取り留めのないお喋りに陥って。
「儀式に使ったアビゲイルの人形はそれですか? ――確か、この言葉でアーノルドが激昂したんだ」
顔をあげてショーンを見あげた。
「あのキャビネットの人形のことかい?」
「本物はね。この時コウは、彼の妻の膝にのせている同じ人形、彼女にとっては赤ん坊を指していたんだ」
「コウは本当の名前を言い当てたんだ! それで魔法が解けたんだよ!」
「どういうこと?」
「名前だよ、あの人形の。本物も偽物も名前は同じアビゲイルだろ?」
「そうだね。でも、彼女が初めて人形が赤ん坊じゃない、て気づいたのはこの時じゃなくて、僕のせいで――」
少し考えてからそう言いかけ、途中で言い淀んで、続く言葉は掻き消えていた。
本当に、僕のせいだったのだろうか。あのとき、スティーブが彼に何を話していたのか、僕は一切覚えていないのだ。思いもよらぬ単語が、彼の世界の綻びになった可能性もあるのではないだろうか――。
以前そうバニーに指摘されたときは、まったく受け付けられなかった解釈が、ショーンの解釈で喚起されていた。
魔術的世界の規則――。僕はあまりにもそれを知らない。
「きみの言う、世界の綻びってヤツができたんだろ。だけど今、彼の妻がすっかり人形に興味を失っているのは、少なくとも人形にかけられていた魔法が解けているからじゃないのかな? 彼女、『取り替え子』に気づいたんだよ」
「そして、施されていた魔術を破ったコウ自身が、帰ってきた子どもとして認知されることになった、てことなのかな――。物語としては、筋が通りそうではあるけど……」
アーノルドは僕の連れてきた助手に逢っていない。それなのに僕たちがここへ来てすぐに、内的世界での彼女のコウの対象化は始まっているのだ。彼のなかの僕の記号は、すでにコウの付属物として組み換えられていたのだろうか。
「魔術的世界って、いったいどんな規則で働いているんだろう――」
あまりにも理解できなさすぎて、思いきり顔をしかめて呟いてしまった。ショーンは苦笑いして、肩をすくめて言った。
「ごめん。俺は、それにコウにしたってさ、それを知るための修行中の身だからさ――」
大丈夫。たとえコウの心が僕から離れていたとしても、はっきりとコウの口からそう告げられるまで、僕は諦めたりしない。こんな形でコウを奪われたままで引き下がったりしない。コウを自分の人形のように扱う赤毛を、許したりしない。
「異界との境界。コウもそのことを言っていたような気がするよ」
御伽噺の説明のときも、それから、初めてここへ来たときにも。
心を落ち着かせて、僕はこれまでと何ら変わりない調子を務めてショーンに話しかけた。彼はほっとしたように息をつく。だがそれを表だってみせるのではなく、さりげなく頷いただけで、「それで」と視線で僕に続きを促した。
「世界は多重構造――、だっけ。アーノルドの世界を魔術的見解から説明してくれたんだ。それに、コウも『取り替え』という語句を使っていたと思う。そう、確か――」
コウはなんて言ってた? アビーの墓の前で――。
アビーは地の精霊の血脈で、その血の継承を精霊は望んでいた。だからアーノルドは精霊にアビーのお腹の子を渡すことを同意し、代わりにアビーの命を望んだ。彼らがアーノルドとの取引に応じたのは等価交換だった。この契約はアーノルドからの一方的な願いではなく、精霊の望みでもあったのだ、と。
だから精霊の加護を得て、僕は生まれることになったのだ、とコウは言ってくれたのだ。
だが、この仮定に則って考えるなら、僕は、本当は産まれることなく冥界へ行くはずだった、ということになりはしないだろうか。彼が真に望んだのは、彼女が僕を諦めて、すぐにでも治療を受けて延命することだったはず。要は僕という息子の死だ。それを精霊側が僕の命を望んだから、確立の低い延命治療よりも、彼にとってはより確実にアビーの命を守れるだろう魔術的方法に乗り換えた。
彼のこの選択で、本来の運命が取り替えられてしまったのではないだろうか。
「僕の命と、彼女の魂が『取り替え』られた――」
「なるほど、なんだか繋がってきたよ! その契約者は彼なんだよな。そうすると、彼の妻は自分の子どもが『取り替え』られて、その対価が自分の魂の永続性だってこと、知らないんじゃないかな? 何も知らされないまま魔法のかかった人形を赤ん坊だって渡されてさ、信じてたんじゃないの? その魔法をさ、きっとコウが解いたんだよ! ここに来たときにさ!」
急に思いついたらしい自説を、ショーンが一気にまくしたてる。ちょっと待ってくれ。僕はこの分野の話にはどうもストッパーが掛かって上手く認識が働かなくなるんだ。
人差し指を唇にもっていって、「待って」と彼を静止する。ショーンはピタリと口を閉じた。そして困ったように視線を彷徨わせている。
「コウが魔法を解いた――」
目を瞑って、あの日の記憶を想い返した。コウとここへ来た日の記憶。
ティールームでの談話には、彼の妻も同席していた。彼は取り留めもなく喋る一方で、コウはそんな彼をぎこちなく見つめるだけだった。幼い頃の僕そのままに――。そんな彼に追い打ちをかけるように、僕は赤毛の人形の話を持ちだした。コウが僕に隠し続ける特別な友人のことを、この場でなら訊きだせるかもしれないと思ったのだ。
コウは立ちあがって、彼の耳許でなにか囁いた。おそらくなんらかの呪文だ。彼は驚いて――、でもまたすぐに妄想か現実か判らないような取り留めのないお喋りに陥って。
「儀式に使ったアビゲイルの人形はそれですか? ――確か、この言葉でアーノルドが激昂したんだ」
顔をあげてショーンを見あげた。
「あのキャビネットの人形のことかい?」
「本物はね。この時コウは、彼の妻の膝にのせている同じ人形、彼女にとっては赤ん坊を指していたんだ」
「コウは本当の名前を言い当てたんだ! それで魔法が解けたんだよ!」
「どういうこと?」
「名前だよ、あの人形の。本物も偽物も名前は同じアビゲイルだろ?」
「そうだね。でも、彼女が初めて人形が赤ん坊じゃない、て気づいたのはこの時じゃなくて、僕のせいで――」
少し考えてからそう言いかけ、途中で言い淀んで、続く言葉は掻き消えていた。
本当に、僕のせいだったのだろうか。あのとき、スティーブが彼に何を話していたのか、僕は一切覚えていないのだ。思いもよらぬ単語が、彼の世界の綻びになった可能性もあるのではないだろうか――。
以前そうバニーに指摘されたときは、まったく受け付けられなかった解釈が、ショーンの解釈で喚起されていた。
魔術的世界の規則――。僕はあまりにもそれを知らない。
「きみの言う、世界の綻びってヤツができたんだろ。だけど今、彼の妻がすっかり人形に興味を失っているのは、少なくとも人形にかけられていた魔法が解けているからじゃないのかな? 彼女、『取り替え子』に気づいたんだよ」
「そして、施されていた魔術を破ったコウ自身が、帰ってきた子どもとして認知されることになった、てことなのかな――。物語としては、筋が通りそうではあるけど……」
アーノルドは僕の連れてきた助手に逢っていない。それなのに僕たちがここへ来てすぐに、内的世界での彼女のコウの対象化は始まっているのだ。彼のなかの僕の記号は、すでにコウの付属物として組み換えられていたのだろうか。
「魔術的世界って、いったいどんな規則で働いているんだろう――」
あまりにも理解できなさすぎて、思いきり顔をしかめて呟いてしまった。ショーンは苦笑いして、肩をすくめて言った。
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