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第四章
魔術師 4.
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風が唸り、猛り狂っている夜だった。樹々がざわめき僕を責めたてる。風が、コウの身体を取り返しにきている。
なぜか、そんな馬鹿げた妄想に脅かされていた。
地の底から吠える風音が、赤毛のアパートメントでの、底知れぬ不安を強烈に表層に舞いあげるような突風を連想させたからだろうか。
コウの意識を呼び戻さなければ――。
このままでいいはずがない。もう何度も繰り返し自分に言い聞かせている。だけど僕の身体はいうことをきかない。僕の思考は、他にまだ方法があるのではないか、と方向も定まらないまま、ただ闇雲に模索を続ける。
僕たちがここに来てからの彼の変化にしても、本来無関係な彼まで巻き込んで事態は悪化しているのだ。僕はコウを連れてここを離れるべきなのだ。今の僕の行動は間違っている。間違いなく。それなのにどうしても思い切れない。動けないのだ。
彼も、こんな想いでいたのだろうか――。
彼女の病を知ったとき。いや、始まりはそこじゃない。彼女が、胎児に影響を及ぼしかねない治療を拒んで、僕を育みたいと決めたときだ。そんな想いを問うたところで、詮ないことなのに――。
彼はどう考えたのだろう。
僕は彼のなかに、決心できない僕自身の言い訳を探す。
彼は怒ったはずだ。彼女を憎んだかもしれない。理不尽に病に彼女を奪われる怒りじゃない。彼女が彼の意志を拒んだことを――。だから彼は、彼女を自分の世界に閉じ込めたんだ。魔術を使って。
コウはなんて言っていたっけ。
あまりに突飛な発想すぎて、初めはなかなか理解できなかった。そう、あの人形の身体に描かれていた魔法陣を見せられるまでは――。それでもまだ信じられなくて、あの後僕は、何度も彼の日記を読み返した。
コウの仮説にどこまで信憑性を持てるのか――。
そしてその過程で、僕は僕自身の誤認に気づいたのだ。
そのひとつは、彼女が本当に欲しがっていたのは女の子だったということ。だから女の子を授かるようにと、彼は彼女に似せた少女の人形を創ったのだ。コウによると、これも魔術的な呪いのひとつらしい。彼女は彼の実家に対する意地で、男子を望んでいたわけではなかったのだ。
――男の子だとか、女の子だとか、彼女には問題じゃなかったんだよ。授かった命をただ守ろうとしただけなんだ。彼女が望んだから、きみはこうしてここにいるんだ。
コウの琥珀色の瞳が、包みこむような優しい眼差しで僕を見つめてくれていた。それはまるで、彼女自身の瞳がそうであったのかもしれないと期待させる、慈しみに満ちた眼差しで。
――それにたぶん、お腹の子を諦めたところで、彼女は自分の命が長くはないって判っていたんじゃないかな。だからアーノルドのためにも、きみを産みたかったんだと思う。
アーノルドのために――。
そうとも。僕は知っていた。彼女の想いを。そんな彼女の想いが、僕を彼に呪縛したのだ。
彼女は彼を解っていない。
彼はそんなことを望みはしない。仮に彼女の命が後わずかしか残されていないと判っても――、身代わりの子どもなんて望まない。そんなことより、彼女の命を一日でも、一分一秒でも引き延ばすことを望んだだろう。彼女がいなくなれば彼の生も終わる。彼女のいない、そんな世界なんて彼にとってはどうでもいい。
僕は彼女よりもよほど彼の思考を理解できる。僕にだって、コウのいない世界などどうだっていい。そこに彼の血を継ぐ者がいたからどうだっていうのだ? そんなものが慰めになどなるものか。
彼女が自分の命を粗末に扱うことに、アーノルドは怒ったのだ。彼にとって大切なのは彼女だけ。彼女は彼の妻なのだ。彼女は彼のもので、彼の半身。彼自身も同然の存在だ。だから閉じ込めた。虹のたもとに。
虹のたもと――。
コウの話してくれた、アーノルドの行った魔術。アビーの魂を閉じ込めた場所。そうか、解った!
――虹のたもとでなら、コウ様も軽く、軽く、おなりになられますとも!
赤毛のアパートメントの、あの緑のフロックコートのガマガエルがそう言っていたじゃないか!
異界への入り口で扉――、魔法陣!
あの居間の天井の魔法陣を用いた儀式で、赤毛はコウの意識を「虹のたもと」に閉じ込める暗示をかけたのだ。
あの魔法陣は間違いなく、うちにあるアビーの人形と同じだった。こんな高度な様式の魔術は素人の扱えるものじゃない。コウはそう言っていた。魔術が高度になればなるほど使用される魔法陣も儀式も複雑に洗練され、特定された用途にしか用いることはできなくなる。アーノルドがアビーの魂を閉じ込めていると信じているように、赤毛はコウの魂を封じたと、コウに暗示をかけたに違いない。
――あの、虹のたもとに。
なぜか、そんな馬鹿げた妄想に脅かされていた。
地の底から吠える風音が、赤毛のアパートメントでの、底知れぬ不安を強烈に表層に舞いあげるような突風を連想させたからだろうか。
コウの意識を呼び戻さなければ――。
このままでいいはずがない。もう何度も繰り返し自分に言い聞かせている。だけど僕の身体はいうことをきかない。僕の思考は、他にまだ方法があるのではないか、と方向も定まらないまま、ただ闇雲に模索を続ける。
僕たちがここに来てからの彼の変化にしても、本来無関係な彼まで巻き込んで事態は悪化しているのだ。僕はコウを連れてここを離れるべきなのだ。今の僕の行動は間違っている。間違いなく。それなのにどうしても思い切れない。動けないのだ。
彼も、こんな想いでいたのだろうか――。
彼女の病を知ったとき。いや、始まりはそこじゃない。彼女が、胎児に影響を及ぼしかねない治療を拒んで、僕を育みたいと決めたときだ。そんな想いを問うたところで、詮ないことなのに――。
彼はどう考えたのだろう。
僕は彼のなかに、決心できない僕自身の言い訳を探す。
彼は怒ったはずだ。彼女を憎んだかもしれない。理不尽に病に彼女を奪われる怒りじゃない。彼女が彼の意志を拒んだことを――。だから彼は、彼女を自分の世界に閉じ込めたんだ。魔術を使って。
コウはなんて言っていたっけ。
あまりに突飛な発想すぎて、初めはなかなか理解できなかった。そう、あの人形の身体に描かれていた魔法陣を見せられるまでは――。それでもまだ信じられなくて、あの後僕は、何度も彼の日記を読み返した。
コウの仮説にどこまで信憑性を持てるのか――。
そしてその過程で、僕は僕自身の誤認に気づいたのだ。
そのひとつは、彼女が本当に欲しがっていたのは女の子だったということ。だから女の子を授かるようにと、彼は彼女に似せた少女の人形を創ったのだ。コウによると、これも魔術的な呪いのひとつらしい。彼女は彼の実家に対する意地で、男子を望んでいたわけではなかったのだ。
――男の子だとか、女の子だとか、彼女には問題じゃなかったんだよ。授かった命をただ守ろうとしただけなんだ。彼女が望んだから、きみはこうしてここにいるんだ。
コウの琥珀色の瞳が、包みこむような優しい眼差しで僕を見つめてくれていた。それはまるで、彼女自身の瞳がそうであったのかもしれないと期待させる、慈しみに満ちた眼差しで。
――それにたぶん、お腹の子を諦めたところで、彼女は自分の命が長くはないって判っていたんじゃないかな。だからアーノルドのためにも、きみを産みたかったんだと思う。
アーノルドのために――。
そうとも。僕は知っていた。彼女の想いを。そんな彼女の想いが、僕を彼に呪縛したのだ。
彼女は彼を解っていない。
彼はそんなことを望みはしない。仮に彼女の命が後わずかしか残されていないと判っても――、身代わりの子どもなんて望まない。そんなことより、彼女の命を一日でも、一分一秒でも引き延ばすことを望んだだろう。彼女がいなくなれば彼の生も終わる。彼女のいない、そんな世界なんて彼にとってはどうでもいい。
僕は彼女よりもよほど彼の思考を理解できる。僕にだって、コウのいない世界などどうだっていい。そこに彼の血を継ぐ者がいたからどうだっていうのだ? そんなものが慰めになどなるものか。
彼女が自分の命を粗末に扱うことに、アーノルドは怒ったのだ。彼にとって大切なのは彼女だけ。彼女は彼の妻なのだ。彼女は彼のもので、彼の半身。彼自身も同然の存在だ。だから閉じ込めた。虹のたもとに。
虹のたもと――。
コウの話してくれた、アーノルドの行った魔術。アビーの魂を閉じ込めた場所。そうか、解った!
――虹のたもとでなら、コウ様も軽く、軽く、おなりになられますとも!
赤毛のアパートメントの、あの緑のフロックコートのガマガエルがそう言っていたじゃないか!
異界への入り口で扉――、魔法陣!
あの居間の天井の魔法陣を用いた儀式で、赤毛はコウの意識を「虹のたもと」に閉じ込める暗示をかけたのだ。
あの魔法陣は間違いなく、うちにあるアビーの人形と同じだった。こんな高度な様式の魔術は素人の扱えるものじゃない。コウはそう言っていた。魔術が高度になればなるほど使用される魔法陣も儀式も複雑に洗練され、特定された用途にしか用いることはできなくなる。アーノルドがアビーの魂を閉じ込めていると信じているように、赤毛はコウの魂を封じたと、コウに暗示をかけたに違いない。
――あの、虹のたもとに。
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