夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

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第三章

迷路 6.

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 ぱちりと目が開いた。
 僕はスツールに腰かけたまま。
 正面にある全身鏡のなかから、白いリネンシャツを着た僕が、不快そうに眉をしかめて僕を見ている。

 僕の夢のなかのコウの夢――。
 コウのことばかり考えながらうたた寝してしまったから、こんな夢を見たのだろうか。幼いコウのあんな悲しげな姿を見るのは、たとえ夢でも落ちこんでしまう。これが僕の夢であって彼の夢ではないことに、心から安堵する。だがおそらく、彼が僕に「気持ち悪がられる」ことを怖れていた理由は、この夢から当たらずとも遠からずだという気がする。

 コウを忌み嫌う子どもたちの声。あれはコウ自身の声だ。彼が受け入れることのできないもう一人の彼。魔術的な世界に惹かれる自分と、そんな自分を嫌悪する自分。それは抑圧的だった彼の幼少期の家庭環境から分裂させられたものなのかもしれない。

 そしておそらくコウは、彼の探究する魔術的世界を、惹かれる以上に怖れてもいるのだ。夢のなかで僕が見た「気持ち悪いもの」は、コウの抱える象徴化された恐怖だろう。
 それは何に根ざしたものなのか。
 そこまでは判らなかったけれど。きっと、コウ自身にも解ってはいないのだろう。ともかくそれは、彼のなかで魔術と結びついている。

 だから僕のヘナタトゥーの模様に触発された。あの図案の魔術的な意味づけが彼の恐怖のスイッチを入れてしまったんだ。おそらく本人も自覚できないままに。抑圧された恐怖が彼の自律神経を狂わせ、体調不良を引き起こしていたんだ。

 そして次には、赤毛が彼に施した入れ墨タトゥーが、今度は僕に嫌悪感を抱かせることを怖れたんだ。
 コウのなかの拭ぐいされない不安と怖れ――。
 彼は、彼を脅かす魔術的世界から逃れるために魔術の探究に取り組んでいるのかもしれない。赤毛の手を借りて。

 コウは助けを求める相手を間違えている。赤毛の施した入れ墨はエクスポージャー法だといえなくもないが、繊細なコウには厳しすぎるやり方だろう。魔術的な象徴に対する恐怖を魔術で打ち消そうとするなんて、理屈は通るかもしれないが、根本的な問題解決にはほど遠いじゃないか。コウに入れ墨タトゥーを施す必要なんてなかったのだ。あの赤毛、いったいどういうつもりでそこまでのことをする。結局は、コウに対する所有欲と僕への嫌がらせか。

 それが一番納得いく答えに思えた。コウも言っていたじゃないか。これは、僕を好きになった罰なのだ、と。まったく、僕のコウになんてマネをしてくれるんだ。はらわたが煮えくり返る想いがするよ。
 けれどこれは、コウには赤毛に対するほどには、僕に対する信頼はなかった、ということ。コウの抱える内的世界への、僕の理解があまりにも乏しかったからだ。

 コウは初めに思った通り、やはりアーノルドに似ているのだ。
 超自然的な神秘に憧れ、依存せずにはいられない。そんな脆弱な自己のうえに、とても脆い自我が築かれている。アーノルドの創る人形ビスクドールのような、儚さ、危うさ、脆さ――。コウのそんな弱い一面が、赤毛やショーンのような奴らを惹きつけずにはいられないのだ。彼に対して支配力を発揮できると錯覚させてしまうのだ。それこそ、有り得ないことなのに。


 目が覚めるなり、そんなことを考えていた。まるで思索の海に溺れるかのように。バニーは僕の解釈をどうみるだろう。及第点をくれるだろうか。それとも、僕はまだコウを本当に理解できているとはいえないのだろうか。




 クローゼットルームから寝室へ戻ると、コウが目を覚ましていた。ベッドヘッドにもたれて、またぼんやりとどこかを見ている。

 ああ、僕に気がついた。
 良かった。微笑んでくれるんだね。

 ほっとして、彼のいるベッドに腰かけた。

「きみの夢を見てたよ」
 コウがはにかんだように笑って言った。
「僕もだ」
「とても幸せな夢だったんだ」
「僕のは、悲しい夢だったよ」

 僕の言葉に、コウの顔が曇る。

 ごめん。きみを悲しませたかったわけじゃないのに。
 きみはすぐに僕の感情を気にしてしまうんだね。

「僕の夢のなかで、きみはとても辛そうだったんだ。辛い想いをしているなら、すぐに僕を呼んで。僕はいつだってきみのもとへ駆けつけるから」
「夢のなかへ?」
「もちろん、夢のなかでも、どこへだって」

 コウは嬉しそうににっこりして、僕の手を握ってくれた。

「ありがとう、アル。きみはいつだって僕を助けてくれてるよ」

 こんなにきみを傷つけているのに?

 彼の手を持ちあげて、手首に黄色く残っている痣に唇を押しあてた。

「いつだって、そうありたいと思ってる」


 こんなにも愚かな自分に流されることなく――。


 


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