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第三章
迷路 2.
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「どうしてそんなことを言うの? ぼくにとって、きみに触れることがどんなに気持ちよくて大切なことか、伝わってなかったのかな。いつだって可愛くて、愛おしくて、絶対に失いたくないって、こんなに強く実感してるのに」
コウの首筋に顔を埋めて囁いていた。彼を抱きしめたとたんに、言葉が自然に溢れでていたのだ。
それはいいのだが、どうも体勢が悪い。このままバスタブに突っ込んでしまいそうだ。それでも全然かまわないのだが、コウが誤解してしまうかもしれない。コウは別に、僕に触れてほしくてそう言ったわけではないだろうに。僕がまるで解っていないようじゃないか。
「――アル、きみまで濡れてしまうよ」
ほら。コウに呆れられた。
「かまわない。僕も入ればすむことだ。コウはいつもそんなふうに、どうでもいいことばかり気にするんだ」
服を脱ぐのももどかしくて、そのままコウの横に滑りこんだ。勢いで彼を浮力にのせて後ろに回り、そのまま抱きかかえた。初めからこうすればよかったのだ。
温かな湯は、僕の無意識の緊張をもバラバラにほぐしてくれる。そして、ヒリヒリとした痛みもまた、思いださせてくれた。こんなことさえ忘れていたなんて。エリックにつけられたこれらの傷痕に、コウは気づいただろうか。ともかく服を着たままでよかった、ということか。
僕の意識がコウから離れていた間も、彼は脱力したまま静かに僕にもたれていた。コウの身体は、こんなにもしっくりと僕の身体に馴染む。だけど、何かが違う。安心して身を任せているのではなくて――、そう、すべてを諦めたかのように儚げなのだ。
「僕が怖い?」
「怖いよ。僕はいつだってきみのことが怖い」
抑揚のないコウの声。それは決して僕を責めているようには聴こえない。でもだからこそ、このコウの正直な感覚は僕に突き刺さった。
「ごめん。僕が悪かった。二度とあんなマネはしない。誓ってしないから」
コウの僕への恐怖は当然だった。謝って済ませられることじゃない。あんな、彼の意思をいっさい無視したセックス。暴力だ。誰がどうみたって。なによりも、コウがそう感じていたのだから。解っていたはずなのに、僕は――。
「そうじゃないよ。そのことじゃない。きみは知っているだろ。僕の正直な心を――。きみは僕を占領して、僕はきみのことしか考えられない僕になった。だから、これは罰だよ。僕への戒めだ」
パシャリと湯を跳ねあげて、コウは片腕を目の高さにまであげた。血の色の赤が、濡れてますますはっきりと焔の渦の軌跡を描いている。僕の部屋で見たときの、朧な赤い痣と同じものだとは思えないほどに、それは確かに形を変えていた。
「ごめん、アルビー」
「なぜ?」
「きみに恋して、ごめん」
「間違いだったと思ってるの?」
「そうじゃない。後悔してるわけじゃない。だけど、ごめん。きみを巻きこんでごめん」
「コウ、恋は一人ではできないよ」
ああ、これと同じことを前にも言ったことがある。あのときは、とても幸せな心持ちで同じ言葉を使ったはずなのに。
「コウ、そんなふうに僕を拒まないで。きみの拒絶が、僕はなにより辛い。きみは僕に立ち入ってほしくないのかもしれないけれど、これは僕たち二人の問題だよ。僕は一緒に考えていきたいし、一緒に乗り越えていきたいんだ」
コウはなにも言わずに小さく頭を横に振った。僕の腕のなかで、華奢な身体が緊張で強張る。そんなにも、僕が怖いのだ。僕に、彼のなかに踏みこまれることが。僕に、彼――、赤毛との世界を知られることが……。
僕はまた、ここで行き止まるより仕方がないのだろうか。
「アル――」
「ん?」
「きみの身体の絵は、どうしていまだに消えないんだと思う?」
予想外の質問に、思わず自分の腕を湯面から高く挙げた。袖ボタンを外したままの長袖が湯を含んでべったりと腕にまといついている。その白い生地に、肌に描かれた緑が透けて見える。腕を振って袖を落とした。うねる鮮やかな新緑。言われてみれば確かに、これを描いてからすでにひと月以上は経っている。もうとっくに消えていてもいいころだ。
「どうしてだろうね」
僕にだって判らない。
「塗料の調合がいつもと違っていたのかもしれない。たまにそんなこともあるそうだよ。安物の塗料を使うと皮膚に染みこんでしまって消えなくなるって。信頼のおける店でやってもらったんだけど、もしこのまま消えないようなら、文句を言わなきゃいけないね」
僕はどうだってよかったけれど。コウが気になるのなら。
「僕のせいだって、思わない?」
コウは身体を反らして僕の顔を覗きこんだ。瞳を大きく見開いて、訴えかけるように。
コウの首筋に顔を埋めて囁いていた。彼を抱きしめたとたんに、言葉が自然に溢れでていたのだ。
それはいいのだが、どうも体勢が悪い。このままバスタブに突っ込んでしまいそうだ。それでも全然かまわないのだが、コウが誤解してしまうかもしれない。コウは別に、僕に触れてほしくてそう言ったわけではないだろうに。僕がまるで解っていないようじゃないか。
「――アル、きみまで濡れてしまうよ」
ほら。コウに呆れられた。
「かまわない。僕も入ればすむことだ。コウはいつもそんなふうに、どうでもいいことばかり気にするんだ」
服を脱ぐのももどかしくて、そのままコウの横に滑りこんだ。勢いで彼を浮力にのせて後ろに回り、そのまま抱きかかえた。初めからこうすればよかったのだ。
温かな湯は、僕の無意識の緊張をもバラバラにほぐしてくれる。そして、ヒリヒリとした痛みもまた、思いださせてくれた。こんなことさえ忘れていたなんて。エリックにつけられたこれらの傷痕に、コウは気づいただろうか。ともかく服を着たままでよかった、ということか。
僕の意識がコウから離れていた間も、彼は脱力したまま静かに僕にもたれていた。コウの身体は、こんなにもしっくりと僕の身体に馴染む。だけど、何かが違う。安心して身を任せているのではなくて――、そう、すべてを諦めたかのように儚げなのだ。
「僕が怖い?」
「怖いよ。僕はいつだってきみのことが怖い」
抑揚のないコウの声。それは決して僕を責めているようには聴こえない。でもだからこそ、このコウの正直な感覚は僕に突き刺さった。
「ごめん。僕が悪かった。二度とあんなマネはしない。誓ってしないから」
コウの僕への恐怖は当然だった。謝って済ませられることじゃない。あんな、彼の意思をいっさい無視したセックス。暴力だ。誰がどうみたって。なによりも、コウがそう感じていたのだから。解っていたはずなのに、僕は――。
「そうじゃないよ。そのことじゃない。きみは知っているだろ。僕の正直な心を――。きみは僕を占領して、僕はきみのことしか考えられない僕になった。だから、これは罰だよ。僕への戒めだ」
パシャリと湯を跳ねあげて、コウは片腕を目の高さにまであげた。血の色の赤が、濡れてますますはっきりと焔の渦の軌跡を描いている。僕の部屋で見たときの、朧な赤い痣と同じものだとは思えないほどに、それは確かに形を変えていた。
「ごめん、アルビー」
「なぜ?」
「きみに恋して、ごめん」
「間違いだったと思ってるの?」
「そうじゃない。後悔してるわけじゃない。だけど、ごめん。きみを巻きこんでごめん」
「コウ、恋は一人ではできないよ」
ああ、これと同じことを前にも言ったことがある。あのときは、とても幸せな心持ちで同じ言葉を使ったはずなのに。
「コウ、そんなふうに僕を拒まないで。きみの拒絶が、僕はなにより辛い。きみは僕に立ち入ってほしくないのかもしれないけれど、これは僕たち二人の問題だよ。僕は一緒に考えていきたいし、一緒に乗り越えていきたいんだ」
コウはなにも言わずに小さく頭を横に振った。僕の腕のなかで、華奢な身体が緊張で強張る。そんなにも、僕が怖いのだ。僕に、彼のなかに踏みこまれることが。僕に、彼――、赤毛との世界を知られることが……。
僕はまた、ここで行き止まるより仕方がないのだろうか。
「アル――」
「ん?」
「きみの身体の絵は、どうしていまだに消えないんだと思う?」
予想外の質問に、思わず自分の腕を湯面から高く挙げた。袖ボタンを外したままの長袖が湯を含んでべったりと腕にまといついている。その白い生地に、肌に描かれた緑が透けて見える。腕を振って袖を落とした。うねる鮮やかな新緑。言われてみれば確かに、これを描いてからすでにひと月以上は経っている。もうとっくに消えていてもいいころだ。
「どうしてだろうね」
僕にだって判らない。
「塗料の調合がいつもと違っていたのかもしれない。たまにそんなこともあるそうだよ。安物の塗料を使うと皮膚に染みこんでしまって消えなくなるって。信頼のおける店でやってもらったんだけど、もしこのまま消えないようなら、文句を言わなきゃいけないね」
僕はどうだってよかったけれど。コウが気になるのなら。
「僕のせいだって、思わない?」
コウは身体を反らして僕の顔を覗きこんだ。瞳を大きく見開いて、訴えかけるように。
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