夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
93 / 219
第三章

影 3

しおりを挟む
 この眼前の彼らこそが、僕の母アビーを持ちだしてコウの同情を買い、取り入った醜悪な料理人なのだ。思い返すだけでムカつく。コウが、僕よりも彼らの感情を尊重しただなんて。こんな連中を信用できるわけがない。話を聴かされたときに味わった不快さをそのまま凝縮したようなその容姿が、とりわけ僕に確信めいた想いを抱かせていた。

 彼らは、意図的にコウを僕から隠しているのに違いない。

 お茶を淹れ終わると今度は直立不動で横並び、大きな団栗どんぐりのような目をさらに見開いて僕を見下ろしているこの二人の男たちを、僕もまたじっと睨み返した。あのとき感じた怒りは、コウにではなく直接彼らに返すべきものだったと、冷ややかな感情が湧きあがっていた。

「ブラウンさん、でよかったかな? アビゲイル・アスターを個人的に知っているの?」

 一瞬、大きく微笑んだ片方の男が伸びあがる。次いでもう一方が。笑いながら伸びたり縮んだり、ピストン運動を繰り返している。

 いったい彼らは、何をやってるんだ?

 あまりの奇怪さに眉を寄せると、彼らの動きがぴたりと止まった。

「はい、はい、はい! それはもちろん、ご存じあげておりますとも!」 
「お美しい姫様はわたくしたちの誇りでございましたとも!」
「アルバート様も姫様にお生き写しで、お健やかにお育ちになられて、」
「わたくしたち、本当に、」

「感激至極でございますとも!」

 示し合わせたように、声が重なる。見事に息があっている、などと感心する気などさらさらないが。この二人のいやに時代がかった言葉使いや発音が、やけに神経を逆なでしてくると思ったら……。そうか、この口調、赤毛と同じなのだ。
 つまるところコウよりも彼らこそが、赤毛と同郷だということなのだろう。

 英語が完璧に通じているわけではないのだろう、だが、まったく通じないわけでもないらしい。彼らが理解できる部分に対してだけ、応えているのかもしれない。初めに考えたように、決して悪意があるわけではないとしたら――。

「アビゲイルをいつから知っているの? どこで知り合った?」

 明快な反応があった。案の定、いつ、どこで、という僕の問いに応えるものではなかったが。この二人、競い合うように、ただただ母の美貌を褒めたたえ始めたのだ。けれど正直なところ、僕にはこの眼前の二人のような突飛な連中が、母と個人的に知り合う機会があったとは思えなかった。

 母は孤児だった。だが、小学校に上がる前に裕福な家庭の養女となり、地方の寄宿学校で育った。アンナとの交友はそこで始まり、彼女が養父母の希望でファッションモデルとなり、華やかな世界で生きるようになってからも変わることなく、生涯を終えるその瞬間まで続いた。生前の母を知り、僕のことも知っているなんて、よほど近しい間柄でなければあり得ない。だが僕にはアンナからもスティーブからも、こんな連中の話を聞かされた記憶はない。彼らは、僕の素性がゴシップ記事のネタにされることがないようにと、ずいぶん気をつけてくれていたのだから。
 
 それならば、まだアーノルドの知り合いだという方が合点がいく。まるでサーカスの道化のように奇怪で薄気味悪いこの二人は、彼の好みそうな御伽噺ファンタジーにこそ相応しい。

 そうか――。そうなのかもしれない。

「父の、きみたちはアーノルドのもとで母を知ったの?」


 またぴたりと口が閉じられる。ゼンマイが止まってしまったかのようにそれまでのお喋りが止まった。水を打ったような静けさのなかに、ふわりと、薔薇アイスバーグが香る。

 ようやく僕はローテーブルの上のアフタヌーンティーに目をとめた。高価そうな器類。銀のカトラリーには精緻な模様が施されている。これも薔薇なのだろうか、と手に取った。

「どうぞ、どうぞ、お召し上がりください、アルバート様。姫様も、このジャムを、とてもお好みになられておられましたのです」

 コウも同じことを言っていた。母が好きだったものだから、と。

「コウは、応える気がないならかまわない。けれどそれなら、赤毛は、きみたちの主人のフランシス・ドレイクはどこにいるんだ?」


 びよん、と今度は二人揃って伸びあがっていた。




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

エートス 風の住む丘

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」  エートスは  彼の日常に  個性に  そしていつしか――、生き甲斐になる ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?   *****  今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。  

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

運命の番はいないと診断されたのに、なんですかこの状況は!?

わさび
BL
運命の番はいないはずだった。 なのに、なんでこんなことに...!?

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

処理中です...