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第二章
ショーン 7.
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ところが自室へ戻って着替えているうちに、今度はマリーがドアを叩いた。
出かける、というのに「少しだけ」と引き留めて、ミラのことを延々と喋りだしたのだ。彼女から連絡があったのだという。マリーがあまりにも悲愴な顔をして訴えてくるものだから、僕としてもどうにも逃げようがない。ここで相手をしてやらないと、あとから倍ほど時間をとられることになる――。
そうこうするうちに、コウたちが帰ってきたようだ。階下での話し声に無意識の内にマリーの喋りを遮り、部屋をでていた。
それなのにまた、コウはいないのだ。買い物し忘れたものがある、と玄関先で踵を返したのだそうだ。追いかけようと電話したけれど、コウは電話にでなかった。居ても立っても居られなくて、闇雲に追いかけた。買い物ならハイストリートだろうと当たりをつけて、早足で周囲を見回しながら――。
普段はそれほどの賑わいとも思わないこの通りも、夏のこの時期は観光客で溢れ返る。僕からコウを隠し、攫っていく情のない喧騒――。コウがよく立ち寄る店のウィンドウを覗きこみ、彼の姿を捜す。艶やかな黒髪を。小柄で華奢な妖精のような肢体を。脳裏に浮かぶ彼の姿は朧で、この街角に溶けてしまったのではないかと疑ってしまうほどに儚い。このまま失ってしまうのではないか、とそんな無意味な不安に駆られて足が止まった。急に立ち止まったせいで行き交う人に肩をぶつけた。「申し訳ない」と心の伴わない謝罪を反射的に口ずさむ。ぶつかった男は、下手くそな英語でしつこく話しかけてきた。喰いつくような視線。知らぬふりをして先を急いだ。成り行きで遊ぶ気になどなれない。通りをしらみつぶしに捜したのに、コウには遇えなかった。焦燥感を持て余し、そのとき目に留まった一件の店に、なんの気なしに入っていた。
その店で思ったよりも時間を食って家に戻ると、やはりコウは先に帰ってきていた。だがコウは、先にシャワーを浴びたいと言ってこの場にはいなかった。居間のダイニング・テーブルにはもう夕食の用意が整っている。このままここで待つか、浴室の前で待つか迷った挙句、コウなら食事前に一服するだろうと、自室で彼を待つことにした。
落ち着かない――。
コウが僕を避け続けていることに、我慢がならない。部屋に戻ると今度は腹がたってきた。頭を冷やさなければ、このままではコウを詰ってしまうような気がする。コウを捜す間じっとりと汗ばんでいた不快感が蘇ってきた。気持ち悪い――。
さっぱりとした気持ちでコウに逢いたくて、僕もシャワーを浴びることにした。
「アル、揃ったら食べ始めるぞ。いいかい?」
「ああ、先に始めていて。僕は少し遅れる」
キッチンから顔を覗かせたショーンに、廊下の端のシャワー室を示して告げた。「OK」と彼は軽く頷いた。
だがシャワーを浴びていたせいで、夕食前にコウと話す時間が取れなかった。部屋に戻る前に今度はマリーに呼び止められた。もう、皆揃っているという。髪の毛も濡れたままだというのに、仕方なく食卓についた。――コウの横に。
「捜してくれてたんだって?」
顔を伏せたまま、コウが訊ねる。
「うん」
今になって、彼を追いかけていった自分が恥ずかしくなり、言葉少なに応えた。
「ごめん。お菓子に使うリキュールが切れていたのを思いだしてさ」
酒――。見つからないはずだ。酒屋は僕の知るコウの生活圏に入ってない。つい、失笑が漏れてしまう。僕の知っているコウなんて、彼のほんの一部にすぎないのだ。
「かまわないよ。僕も買い物があったんだ。相談して決めたかったのだけど、逢えなかったから勝手に決めてきた」
「相談? 僕の意見が必要なことだったの?」
「うん。まあね」
コウは小鳥のように小首を傾げている。
良かった。普通に話してくれる。やはり僕と目を合わせようとはしてくれないけれど――。あとで二人きりになったら、ちゃんときみの視線を取り戻すから、今は我慢する。皆の前で、コウを裸にするわけにはいかない。きみの隠された熱情は僕だけのもの。ショーンにも、バズにも、もちろんマリーにだって、その片鱗さえ晒したくない。当然、今ここにはいない赤毛にも――。奴がいないとほっとするのに、いないことでコウがまた彼を気遣い憂えてしまうのでは、と別の不安が湧き起こる。
本当に奴だけは始末に負えない。
戸惑いと、僕を無視してきた罪悪感に苛まれるコウのカトラリーを操る動きはどこかぎこちない。そんな気持ちを解してあげたくて、彼の耳許に顔をよせた。
「コウ、あとで、」
「バズ、今日も泊まっていくんだろ? 明日の朝、一緒に出ようか。僕も図書館に行くからさ」
頭を跳ね上げたコウは、上擦った声音で僕の言葉を遮った。
それから食事の間中、コウは僕を無視していた。皿に盛りつける料理もいつも以上に少なめで、デザートも食べずに席を立った。あまりにもあからさまなコウの態度に、バズの方がチラチラと僕を気にしていたほどだ。勝ち誇った様子ではなかったことが、せめてもの救いか――。コウは彼に、自身の不安を話したのだろうか。
出かける、というのに「少しだけ」と引き留めて、ミラのことを延々と喋りだしたのだ。彼女から連絡があったのだという。マリーがあまりにも悲愴な顔をして訴えてくるものだから、僕としてもどうにも逃げようがない。ここで相手をしてやらないと、あとから倍ほど時間をとられることになる――。
そうこうするうちに、コウたちが帰ってきたようだ。階下での話し声に無意識の内にマリーの喋りを遮り、部屋をでていた。
それなのにまた、コウはいないのだ。買い物し忘れたものがある、と玄関先で踵を返したのだそうだ。追いかけようと電話したけれど、コウは電話にでなかった。居ても立っても居られなくて、闇雲に追いかけた。買い物ならハイストリートだろうと当たりをつけて、早足で周囲を見回しながら――。
普段はそれほどの賑わいとも思わないこの通りも、夏のこの時期は観光客で溢れ返る。僕からコウを隠し、攫っていく情のない喧騒――。コウがよく立ち寄る店のウィンドウを覗きこみ、彼の姿を捜す。艶やかな黒髪を。小柄で華奢な妖精のような肢体を。脳裏に浮かぶ彼の姿は朧で、この街角に溶けてしまったのではないかと疑ってしまうほどに儚い。このまま失ってしまうのではないか、とそんな無意味な不安に駆られて足が止まった。急に立ち止まったせいで行き交う人に肩をぶつけた。「申し訳ない」と心の伴わない謝罪を反射的に口ずさむ。ぶつかった男は、下手くそな英語でしつこく話しかけてきた。喰いつくような視線。知らぬふりをして先を急いだ。成り行きで遊ぶ気になどなれない。通りをしらみつぶしに捜したのに、コウには遇えなかった。焦燥感を持て余し、そのとき目に留まった一件の店に、なんの気なしに入っていた。
その店で思ったよりも時間を食って家に戻ると、やはりコウは先に帰ってきていた。だがコウは、先にシャワーを浴びたいと言ってこの場にはいなかった。居間のダイニング・テーブルにはもう夕食の用意が整っている。このままここで待つか、浴室の前で待つか迷った挙句、コウなら食事前に一服するだろうと、自室で彼を待つことにした。
落ち着かない――。
コウが僕を避け続けていることに、我慢がならない。部屋に戻ると今度は腹がたってきた。頭を冷やさなければ、このままではコウを詰ってしまうような気がする。コウを捜す間じっとりと汗ばんでいた不快感が蘇ってきた。気持ち悪い――。
さっぱりとした気持ちでコウに逢いたくて、僕もシャワーを浴びることにした。
「アル、揃ったら食べ始めるぞ。いいかい?」
「ああ、先に始めていて。僕は少し遅れる」
キッチンから顔を覗かせたショーンに、廊下の端のシャワー室を示して告げた。「OK」と彼は軽く頷いた。
だがシャワーを浴びていたせいで、夕食前にコウと話す時間が取れなかった。部屋に戻る前に今度はマリーに呼び止められた。もう、皆揃っているという。髪の毛も濡れたままだというのに、仕方なく食卓についた。――コウの横に。
「捜してくれてたんだって?」
顔を伏せたまま、コウが訊ねる。
「うん」
今になって、彼を追いかけていった自分が恥ずかしくなり、言葉少なに応えた。
「ごめん。お菓子に使うリキュールが切れていたのを思いだしてさ」
酒――。見つからないはずだ。酒屋は僕の知るコウの生活圏に入ってない。つい、失笑が漏れてしまう。僕の知っているコウなんて、彼のほんの一部にすぎないのだ。
「かまわないよ。僕も買い物があったんだ。相談して決めたかったのだけど、逢えなかったから勝手に決めてきた」
「相談? 僕の意見が必要なことだったの?」
「うん。まあね」
コウは小鳥のように小首を傾げている。
良かった。普通に話してくれる。やはり僕と目を合わせようとはしてくれないけれど――。あとで二人きりになったら、ちゃんときみの視線を取り戻すから、今は我慢する。皆の前で、コウを裸にするわけにはいかない。きみの隠された熱情は僕だけのもの。ショーンにも、バズにも、もちろんマリーにだって、その片鱗さえ晒したくない。当然、今ここにはいない赤毛にも――。奴がいないとほっとするのに、いないことでコウがまた彼を気遣い憂えてしまうのでは、と別の不安が湧き起こる。
本当に奴だけは始末に負えない。
戸惑いと、僕を無視してきた罪悪感に苛まれるコウのカトラリーを操る動きはどこかぎこちない。そんな気持ちを解してあげたくて、彼の耳許に顔をよせた。
「コウ、あとで、」
「バズ、今日も泊まっていくんだろ? 明日の朝、一緒に出ようか。僕も図書館に行くからさ」
頭を跳ね上げたコウは、上擦った声音で僕の言葉を遮った。
それから食事の間中、コウは僕を無視していた。皿に盛りつける料理もいつも以上に少なめで、デザートも食べずに席を立った。あまりにもあからさまなコウの態度に、バズの方がチラチラと僕を気にしていたほどだ。勝ち誇った様子ではなかったことが、せめてもの救いか――。コウは彼に、自身の不安を話したのだろうか。
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