55 / 219
第二章
夜 5
しおりを挟む
あんな騒動の後にこの顔ぶれで飲み直しなんて――、とてもじゃないが気がしれない。だがエリックは何事もなかったかのように、気さくに、にこやかに、この場を仕切っている。
火事になることはなかったとはいえ、赤毛は店内であれだけの火を放ち、他の客まで巻き込んで場を騒がせたのだ。彼がこのまま穏便に済ませてくれるとはとても思えない。
「焔に変えてしまうには惜しい、とっておきのボトルなんだ」
案の定、笑い飛ばしながらも、軽く毒を含ませた言いっぷりだ。エリックは、赤毛が火遊びに使っていたのと同じシャンパンを開け、グラスに注ぐ。
「アルは僕の親友なんだ。だから、アルの親しくしているきみたちも、僕の友人として大歓迎だよ。お近づきの印に乾杯といこうじゃないか」
本音の見えない空空しい笑顔で、エリックはグラスを高く掲げる。この状況を理解していないミラだけが嬉々として、残る連中はぎこちなく配られたグラスを持ちあげる。だが赤毛は例外だ――。
「乾杯、あのすばらしい焔のショーに!」
エリックの音頭でグラスを掲げた。隣り合わせた相手と打ち合わす。響き合う乾いた音は、赤毛への賛辞ではなく嫌味としか聞こえない。
「ねぇ、きみ、あの奇術はどうやってやるの? もう一度見せてくれないかな」
そんなエリックの誘いにも、赤毛は反抗的な一瞥をくれてそっぽを向くだけだ。僕の横で、コウは赤毛を咎めるように顔をしかめて小さく顔を振っている。奴はコウのそんな視線だけは居た堪れないようで、唇をへの字に結んだままピリピリとした空気を漂わせている。
エリックは徹底して彼を無視する赤毛に苦笑して肩をすくめ、この場の雰囲気を壊さぬようにと、ミラとマリーに話し相手を切り替えた。その輪の中にそつなくショーンも混ざっている。バズはさすがに少し引き気味だ。本来ならばこの場にはいられない未成年だということを気にしているのだろう。オーナーの前では大人しくしているに越したことはない。
「アル、」
コウが僕のシャツの袖をくいくいと引いた。
「なに?」
不安げな瞳。これから赤毛が咎められるのではないか、と気にしているのだろうか――。
だがそんな憶測とは裏腹に、コウは「ボタン、外れてる」と言って、僕のはだけたシャツのボタンをいくつか留め直してくれた。僕を見あげたコウの瞳の、なんともいえない哀しそうな色――。なにも言い訳できないまま彼をみつめていると、コウはただにっこりと笑みをくれた。
「ドラコ、もしかして酔ってる?」
僕からすっと離れ、コウは窓ガラスによりかかっている赤毛に歩み寄る。僕は引き留めることもできずにぎこちなくソファーに座りなおし、知らぬふりを決めこみながら、無意識に聴き耳をたてていた。
「そんなわけないだろ」
赤毛は拗ねた顔つきでもぞもぞと視線を泳がせている。コウがもう怒った様子を見せないことで、あからさまに安堵しているのが手に取るように伝わってくる。
「アル、いいかな? ほら、約束した……」
「個室?」
コウに突然思いだしたように言いだされては、頷くしかない。僕たちはフロアへ移動だ。その旨を皆に伝えた。もともとそういう約束だったのだから、ショーンやバズに異論はない。マリーたちは、エリックに、ちょうどここに来ている芸能人の誰やらを紹介してもらえるという話で、さっきからきゃあきゃあ騒いでいたのでちょうどいい。
僕はここへ戻る途中で声をかけてきた誰かの個室に行こうか、と仕方なく時間潰しを想像する。ああ、不快さで息がつまる。
「僕の部屋に来て」
エリックが耳許で囁いた。
「アル――」
うるさい。今はそれどころじゃないんだ。
「あの二人が気になるんだろ? 僕もだよ。だからね、いい手があるんだ」
有無を言わせない強引さで、彼は僕と肩を組む。
「ね、いいだろう、アル?」
視界の端に捉えたコウは、唇を引き結んで視線を床に落としている。わざと僕から顔を背けている。誤解なのに――。
エリックの手を、反射的に肩から払い落としていた。とたんに彼のまとう空気が狂暴に逆立つ。
「行くよ」
コウの横で、じっと僕を、僕だけを睨めつけている赤毛に一瞥をくれ、エリックの背を軽く押して僕たちはこの部屋を後にした。
コウと赤毛――、彼らだけを残して。
火事になることはなかったとはいえ、赤毛は店内であれだけの火を放ち、他の客まで巻き込んで場を騒がせたのだ。彼がこのまま穏便に済ませてくれるとはとても思えない。
「焔に変えてしまうには惜しい、とっておきのボトルなんだ」
案の定、笑い飛ばしながらも、軽く毒を含ませた言いっぷりだ。エリックは、赤毛が火遊びに使っていたのと同じシャンパンを開け、グラスに注ぐ。
「アルは僕の親友なんだ。だから、アルの親しくしているきみたちも、僕の友人として大歓迎だよ。お近づきの印に乾杯といこうじゃないか」
本音の見えない空空しい笑顔で、エリックはグラスを高く掲げる。この状況を理解していないミラだけが嬉々として、残る連中はぎこちなく配られたグラスを持ちあげる。だが赤毛は例外だ――。
「乾杯、あのすばらしい焔のショーに!」
エリックの音頭でグラスを掲げた。隣り合わせた相手と打ち合わす。響き合う乾いた音は、赤毛への賛辞ではなく嫌味としか聞こえない。
「ねぇ、きみ、あの奇術はどうやってやるの? もう一度見せてくれないかな」
そんなエリックの誘いにも、赤毛は反抗的な一瞥をくれてそっぽを向くだけだ。僕の横で、コウは赤毛を咎めるように顔をしかめて小さく顔を振っている。奴はコウのそんな視線だけは居た堪れないようで、唇をへの字に結んだままピリピリとした空気を漂わせている。
エリックは徹底して彼を無視する赤毛に苦笑して肩をすくめ、この場の雰囲気を壊さぬようにと、ミラとマリーに話し相手を切り替えた。その輪の中にそつなくショーンも混ざっている。バズはさすがに少し引き気味だ。本来ならばこの場にはいられない未成年だということを気にしているのだろう。オーナーの前では大人しくしているに越したことはない。
「アル、」
コウが僕のシャツの袖をくいくいと引いた。
「なに?」
不安げな瞳。これから赤毛が咎められるのではないか、と気にしているのだろうか――。
だがそんな憶測とは裏腹に、コウは「ボタン、外れてる」と言って、僕のはだけたシャツのボタンをいくつか留め直してくれた。僕を見あげたコウの瞳の、なんともいえない哀しそうな色――。なにも言い訳できないまま彼をみつめていると、コウはただにっこりと笑みをくれた。
「ドラコ、もしかして酔ってる?」
僕からすっと離れ、コウは窓ガラスによりかかっている赤毛に歩み寄る。僕は引き留めることもできずにぎこちなくソファーに座りなおし、知らぬふりを決めこみながら、無意識に聴き耳をたてていた。
「そんなわけないだろ」
赤毛は拗ねた顔つきでもぞもぞと視線を泳がせている。コウがもう怒った様子を見せないことで、あからさまに安堵しているのが手に取るように伝わってくる。
「アル、いいかな? ほら、約束した……」
「個室?」
コウに突然思いだしたように言いだされては、頷くしかない。僕たちはフロアへ移動だ。その旨を皆に伝えた。もともとそういう約束だったのだから、ショーンやバズに異論はない。マリーたちは、エリックに、ちょうどここに来ている芸能人の誰やらを紹介してもらえるという話で、さっきからきゃあきゃあ騒いでいたのでちょうどいい。
僕はここへ戻る途中で声をかけてきた誰かの個室に行こうか、と仕方なく時間潰しを想像する。ああ、不快さで息がつまる。
「僕の部屋に来て」
エリックが耳許で囁いた。
「アル――」
うるさい。今はそれどころじゃないんだ。
「あの二人が気になるんだろ? 僕もだよ。だからね、いい手があるんだ」
有無を言わせない強引さで、彼は僕と肩を組む。
「ね、いいだろう、アル?」
視界の端に捉えたコウは、唇を引き結んで視線を床に落としている。わざと僕から顔を背けている。誤解なのに――。
エリックの手を、反射的に肩から払い落としていた。とたんに彼のまとう空気が狂暴に逆立つ。
「行くよ」
コウの横で、じっと僕を、僕だけを睨めつけている赤毛に一瞥をくれ、エリックの背を軽く押して僕たちはこの部屋を後にした。
コウと赤毛――、彼らだけを残して。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました

キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
霧のはし 虹のたもとで
萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。
古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。
ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。
美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。
一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。
そして晃の真の目的は?
英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿

婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
エートス 風の住む丘
萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」
エートスは
彼の日常に
個性に
そしていつしか――、生き甲斐になる
ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?
*****
今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。
いとしの生徒会長さま
もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……!
しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる