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第二章
御伽噺 4.
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赤毛がキッチンから出てきた。入れ替わりに居間から退出する。マリーに声をかけ、コウの様子を見てくる、と告げて。いったんこの場を離れ、煮えたぎる頭を冷まさなければ――。
マリーは僕の部屋にいて、コウも、すでに起きていた。彼女は怒りのはけ口をコウに求め、彼は疲れて休んでいたにもかかわらず、その愚痴を聞いてあげていたのだ。ため息がでる。こんなふうに誰もが彼に甘えようとする――。そうして、コウはますます消耗していく。
彼は僕を見ると、「準備できたの? 楽しみだね」と笑って、胡坐をかいて座っていたベッドの上からおりた。マリーは、「手伝ってくるわ」と僕と目を合わすことなく部屋を出た。自分の幼さを自覚できているだけ、彼女はまだ可愛い。
コウの体調を訊き、軽く雑談してから居間に下りた。白のテーブルクロスの上には、すでにディナーセットが整然と並べられている。白い花をたわわに咲かせる林檎の枝と、そこにとまるカワセミの描かれた皿。特別高価なものではないけれど、アンナが大切にしているものだ。マリーがこれを使うことを許可したことが、信じられなかった。その横には僕の作った水仙の意匠のカトラリー。
いったいどんなご馳走が出てくるんだ?
赤毛はもう義務は済ませたとばかりに、ドッカリと椅子に腰かけている。キッチンから出てきたショーンが、「給仕は俺とマリーでやるから、座っててくれ!」と呑気に声をあげる。もちろんそうさせてもらうさ。手伝う気なんてさらさらない。
サンデーロースト――。
赤毛が用意したのは、伝統的な英国料理だった。まるでアンナが作るような。スコッチ・ブロスに始まって、大皿から取り分けたローストビーフにマッシュポテト、ヨークシャー・プティングまでが、今まで食べたどれよりも美味しい。アンナ以上だ――。コウも一度挑戦してくれたことがあった。その時は、味よりも気持ちの方が嬉しかったからか、出来に関しての記憶は薄い。コウの作る料理は美味しいに決まっているけれど――。それにしたって、狐につままれた気分で黙々とフォークを口に運んでいた。信じがたいが、こうも完璧な英国料理を作れる赤毛は、やはりイギリス人なのだろうか?
「文句ないだろ?」
コウとショーンの当たり障りのない料理談義を聞くともなく聞いていた食卓に、ふっとその均衛を破るような、赤毛の冷めた声音が走る。
「美味しいよ」
すかさずコウが応える。ショーンやマリーも同意するように頷いたり、後を追うように肯定の言葉を口にした。
「なら決まりだな」
「決まりって?」
訝しげに訊ねたのはコウだ。
「お前の代わりをする家政婦をこの家に置くって話だよ」
「聞いてないよ!」
声を荒げたコウを、唖然と見つめる。ゆるりとショーン、それからマリーに視線を移した。この二人、互いに罪をなすりあうように目と目で会話している。ショーンが諦めたように呟いた。
「ごめん、コウ。俺がきみに伝えるのを忘れてたみたいだ」
「どういうこと? どんな話になってるの?」
コウが真剣な瞳で問い質す。マリーは小さく息を吐き、掻い摘んで説明した。
「あなたの言い分、これで間違いはない?」
赤毛はふてぶてしく頷くだけだ。
「俺は人を雇うことに関しては賛成。でも、それをきみ一人が負担するっていうのは納得できない。各人の家事負担を担ってもらうなら、全員で負担すべきだと思うね。きみに借りを作るような形の契約じゃ、頷けないよ」
「負担って言っても、給料を払ってやらせるわけじゃないぞ。俺の舎弟にだな……、」
「ドラコ、舎弟って誰のことだよ!」
ショーンと赤毛とのやり取りに、コウがいきなり悲鳴に近い声をあげて立ちあがった。気圧されたように赤毛は肩を引き、目を見開いて口を噤む。
「ドラコ、きみはまた勝手なことを――、まさか、彼女を」
「違う! それ、いや、あいつじゃない、別の奴だよ。もともとこういう生業の奴だ。問題ない」
オロオロと言い訳する赤毛と、目尻を吊りあげて怒っているコウを、マリーもショーンも、呆気にとられて見つめている。もちろん、僕もだ――。
「だから、誰?」
「ブラウニー」
「ブラウ……」
コウはテーブルに両手をついて、がっくりと項垂れた。
「ダメ。頷けないよ、彼らをこの家に置くなんて――。これ以上話をややこしくしないで」
「でも、お前が、」
「僕のことは僕が決める。体調を崩したのは、家事負担のせいじゃない。話をすり替えないで、ドラコ」
こんなときのコウは、容赦ないもの言いをする。普段の優しくておっとりとして、相手を気遣ってばかりの彼と同じ子だとは思えないほどに――。本人が後から気に病むほどに、本気で怒ると彼はこうも辛辣になるのだ。
「だけど――。もう、食っちまっただろ? 旨かったって皆、言っただろ? 手遅れだよ。肯定しちまってるんだ」
「文句はないって――」
今度はコウが目を見開いて唇をわななかせている。
「なんてこと、してくれるんだよ!」
赤毛をどなりつけている。所在なさげに赤毛は肩をすくめ、上目遣いにコウを見あげる。
「だから、俺はだな、お前を心配して、お前のためにだな……」
「それを、よけいなお世話って言うんだよ!」
コウの怒りは留まるところを知らない。真っ赤になってぶるぶる震え、「少し頭を冷やしてくる」とそのまま部屋を――、いや、家を出ていった。
茫然としている三人を残して、僕はもちろん後を追った。
マリーは僕の部屋にいて、コウも、すでに起きていた。彼女は怒りのはけ口をコウに求め、彼は疲れて休んでいたにもかかわらず、その愚痴を聞いてあげていたのだ。ため息がでる。こんなふうに誰もが彼に甘えようとする――。そうして、コウはますます消耗していく。
彼は僕を見ると、「準備できたの? 楽しみだね」と笑って、胡坐をかいて座っていたベッドの上からおりた。マリーは、「手伝ってくるわ」と僕と目を合わすことなく部屋を出た。自分の幼さを自覚できているだけ、彼女はまだ可愛い。
コウの体調を訊き、軽く雑談してから居間に下りた。白のテーブルクロスの上には、すでにディナーセットが整然と並べられている。白い花をたわわに咲かせる林檎の枝と、そこにとまるカワセミの描かれた皿。特別高価なものではないけれど、アンナが大切にしているものだ。マリーがこれを使うことを許可したことが、信じられなかった。その横には僕の作った水仙の意匠のカトラリー。
いったいどんなご馳走が出てくるんだ?
赤毛はもう義務は済ませたとばかりに、ドッカリと椅子に腰かけている。キッチンから出てきたショーンが、「給仕は俺とマリーでやるから、座っててくれ!」と呑気に声をあげる。もちろんそうさせてもらうさ。手伝う気なんてさらさらない。
サンデーロースト――。
赤毛が用意したのは、伝統的な英国料理だった。まるでアンナが作るような。スコッチ・ブロスに始まって、大皿から取り分けたローストビーフにマッシュポテト、ヨークシャー・プティングまでが、今まで食べたどれよりも美味しい。アンナ以上だ――。コウも一度挑戦してくれたことがあった。その時は、味よりも気持ちの方が嬉しかったからか、出来に関しての記憶は薄い。コウの作る料理は美味しいに決まっているけれど――。それにしたって、狐につままれた気分で黙々とフォークを口に運んでいた。信じがたいが、こうも完璧な英国料理を作れる赤毛は、やはりイギリス人なのだろうか?
「文句ないだろ?」
コウとショーンの当たり障りのない料理談義を聞くともなく聞いていた食卓に、ふっとその均衛を破るような、赤毛の冷めた声音が走る。
「美味しいよ」
すかさずコウが応える。ショーンやマリーも同意するように頷いたり、後を追うように肯定の言葉を口にした。
「なら決まりだな」
「決まりって?」
訝しげに訊ねたのはコウだ。
「お前の代わりをする家政婦をこの家に置くって話だよ」
「聞いてないよ!」
声を荒げたコウを、唖然と見つめる。ゆるりとショーン、それからマリーに視線を移した。この二人、互いに罪をなすりあうように目と目で会話している。ショーンが諦めたように呟いた。
「ごめん、コウ。俺がきみに伝えるのを忘れてたみたいだ」
「どういうこと? どんな話になってるの?」
コウが真剣な瞳で問い質す。マリーは小さく息を吐き、掻い摘んで説明した。
「あなたの言い分、これで間違いはない?」
赤毛はふてぶてしく頷くだけだ。
「俺は人を雇うことに関しては賛成。でも、それをきみ一人が負担するっていうのは納得できない。各人の家事負担を担ってもらうなら、全員で負担すべきだと思うね。きみに借りを作るような形の契約じゃ、頷けないよ」
「負担って言っても、給料を払ってやらせるわけじゃないぞ。俺の舎弟にだな……、」
「ドラコ、舎弟って誰のことだよ!」
ショーンと赤毛とのやり取りに、コウがいきなり悲鳴に近い声をあげて立ちあがった。気圧されたように赤毛は肩を引き、目を見開いて口を噤む。
「ドラコ、きみはまた勝手なことを――、まさか、彼女を」
「違う! それ、いや、あいつじゃない、別の奴だよ。もともとこういう生業の奴だ。問題ない」
オロオロと言い訳する赤毛と、目尻を吊りあげて怒っているコウを、マリーもショーンも、呆気にとられて見つめている。もちろん、僕もだ――。
「だから、誰?」
「ブラウニー」
「ブラウ……」
コウはテーブルに両手をついて、がっくりと項垂れた。
「ダメ。頷けないよ、彼らをこの家に置くなんて――。これ以上話をややこしくしないで」
「でも、お前が、」
「僕のことは僕が決める。体調を崩したのは、家事負担のせいじゃない。話をすり替えないで、ドラコ」
こんなときのコウは、容赦ないもの言いをする。普段の優しくておっとりとして、相手を気遣ってばかりの彼と同じ子だとは思えないほどに――。本人が後から気に病むほどに、本気で怒ると彼はこうも辛辣になるのだ。
「だけど――。もう、食っちまっただろ? 旨かったって皆、言っただろ? 手遅れだよ。肯定しちまってるんだ」
「文句はないって――」
今度はコウが目を見開いて唇をわななかせている。
「なんてこと、してくれるんだよ!」
赤毛をどなりつけている。所在なさげに赤毛は肩をすくめ、上目遣いにコウを見あげる。
「だから、俺はだな、お前を心配して、お前のためにだな……」
「それを、よけいなお世話って言うんだよ!」
コウの怒りは留まるところを知らない。真っ赤になってぶるぶる震え、「少し頭を冷やしてくる」とそのまま部屋を――、いや、家を出ていった。
茫然としている三人を残して、僕はもちろん後を追った。
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