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Ⅻ きみのための道
84.友達だって全てを許容できる訳じゃないんだ
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ぞくりと全身が総毛だった。
もしもショーンに何かあったのだとしたら——
ぎゅっと目を瞑って深呼吸した。落ち着いて、落ち着いて対処しなくちゃ。
何か痕跡は残っていないか、と薄暗い足元に気を配りながら、そろそろと彼の荷物の置いてある箇所まで進み、ぼわりと白く浮きでて見えるティーポット重ねの電気スタンドをつけた。
ほら、大丈夫だ。夕飯のテーブル代わりにした木箱の上に、メモがある。
『ちょっと、出てくる。すぐに戻るから、気にせず寝ていてくれ S 』
自分の意思で出かけているのなら、とほっとして息をついた。だけど、どうしてこんな時間に、と疑問がむくむくと湧き上がってくる。こんな時間といっても、ここには時計がないから何時なのかも判らないのだが……
窓辺に寄って外を眺めてみた。月は見えない。町の中心から離れたテラスドハウスの屋根裏だけを、荷物置き場に借りているのだろうか。家々の面した通りに夜になると縦列駐車されていく車の列が、ここにはない。どの窓の灯りも消えているから、住宅街ではないのかもしれない。
「静かだな」
知らない間に運び込まれていたから、下の階がどうなっているのかも判らない。オフィスか何かなのだろうか。もっと聞いておけばよかった。この建物には僕だけしかいないのかもしれないと思うと、どうにも心許なかった。
そのせいなのか、それとも現実に寒かったからか、ぶるりと身震いしてしまった。ポールハンガーに掛けてあった、僕のコートを肩から羽織った。このポールハンガー、天然の木の樹皮を剥いて枝を程よい長さに切って仕立ててあるせいか、壁に映った影が手を広げて脅かしてくるお化けみたいで、なんだかおどろおどろしい。オカルトショップの倉庫だもんな。そんな効果のあるものばかり集めているのかもしれない。
そう考えると僕だけという訳でもない気がして、可笑しくなった。見様見真似で簡易バーナーを使ってお湯を沸かした。ショーンが心配なのと、昼間たっぷり寝ていたのもあって、ベッドに戻っても眠れる気がしなかったのだ。
きんと冷えた空気に心まで冷え込んでしまわないように、白湯でも啜って温まりたかった。
そうやってどれくらいぼんやりしていたのだろう。階段から近づく足音が聞こえ、すぐにガチャリとドアが開いた。
「ああ、コウ、起きてたのか!」
夜中なのに大丈夫、と心配になるほど普通な調子だ。
「今、何時頃だろう?」
僕はちょっと眉をひそめて尋ねた。
「1時すぎだよ」
ショーンの口調は軽くて、にこにこと上機嫌のようだった。
だけど僕は、彼に微笑み返すことはできなかった。思ったより遅い時間じゃなかったにしろ、慣れない土地で出歩くには危険な時間帯なんじゃないのか、と心配と不満が勝っていたのだ。
そのうえ、彼が足取りも軽く灯りの届く場所まで来て初めて、僕は彼が酔っ払っているのに気がついた。汗ばんだ髪に香水の移り香まで漂わせて。
どこで、誰と、どうして?
一気に沸き上がった疑問を口に出すよりも先に、ショーンの手のひらが僕を押しとどめるように顔の前まで伸びてきた。
「そんな顔するなよ! 誓って、やましいことはしてないから!」
「やましいって……」
むしろますます怪しいじゃないか。
ショーンがミラと別れてから、なんとなくマリーといい感じになっていると思っていた。だけど、この二人が付き合うのは難しいだろうな、と傍から見ていても感じていた。マリーはバーナードさんに気があるって言っているし、ショーン自身諦めているみたいで。――だから、彼が他の女の子と遊びに出掛けているのは、僕だって知っていた。クラブに行ったり、パブで飲んでいたり、大学が始まってからは、夜、家にいないことも多かった。
だけど、こんな時に、こんな場所ですることじゃないだろ!
「大した金もないのに引っかけに行ったりしないって! ゲールの母ちゃんだよ! 指輪のことで来てくれたんだ。きみは寝てたし、ここでしゃべっていたら煩いだろうからって、近くのパブに行ってたんだ。それだけだよ!」
引っかけに、って女の子を? それとも単にビールを?
じっとりとショーンを睨みつけてしまっていたのだが、ゲールの名前が沸騰していた頭に差し水のように効いた。
こんな自分が恥ずかしくなった。そもそも僕に彼の行動を制限する権利はないじゃないか。僕の方こそ、こんな時なのにショーンに何もかも任せっきりで、寝ていただけなのだ。
ふーっと、大きくため息をついて、頭を軽く振った。
「紅茶、淹れようか?」
「うん」
ほっとしたようにショーンが頷く。
僕はもう一度アルミ鍋で湯を沸かし、今度は紅茶とミルクを加えて煮だした。ティ―パッグを節約して二人分だ。その間、ショーンは黙ったまま僕の作業をぼんやりと眺めていた。
「指輪、どうだった?」
カップを手渡し、ようやく口を開くと、ショーンは顔面をほころばせて、ガッツポーズを決めた。
「1000ポンドで買ってくれるって! ソロモンの指輪ってだけじゃなくて、どうやらエメラルドがなかなかの石だったらしいんだ。よかったよ、明日はもっとましなものが食えるぜ」
「貰ってきたの?」
「100だけな。残りは明日だって。銀行が開いてからだ」
「そりゃそうか。大金だもんね」
ここにいつまでもいるわけではないにしろ、小さなゲールに世話をかけたままではやはり気が引ける。彼にしてもあの指輪を欲しがっていたから、商談成立は喜んでいいことだろう。ショーンには戻ってから、あれに代るものを探すことにして——、と考え出すとようやく僕も肩の力が抜けてきて、自然と表情が緩んだ。
すると、あからさまにショーンの方もほっとした様子になり、壁にもたれてクツクツと笑い出した。
「それにしてもあの女——、」と、ちらっと僕に目配せする。「初めに逢った時にも感じたんだけどな、俺のおふくろと同類だぜ。ゲールのやつもかわいそうにな!」
ショーンの口調はどこか嘲るような響きを含んでいて、僕は、ん? っと眉を寄せた。
もしもショーンに何かあったのだとしたら——
ぎゅっと目を瞑って深呼吸した。落ち着いて、落ち着いて対処しなくちゃ。
何か痕跡は残っていないか、と薄暗い足元に気を配りながら、そろそろと彼の荷物の置いてある箇所まで進み、ぼわりと白く浮きでて見えるティーポット重ねの電気スタンドをつけた。
ほら、大丈夫だ。夕飯のテーブル代わりにした木箱の上に、メモがある。
『ちょっと、出てくる。すぐに戻るから、気にせず寝ていてくれ S 』
自分の意思で出かけているのなら、とほっとして息をついた。だけど、どうしてこんな時間に、と疑問がむくむくと湧き上がってくる。こんな時間といっても、ここには時計がないから何時なのかも判らないのだが……
窓辺に寄って外を眺めてみた。月は見えない。町の中心から離れたテラスドハウスの屋根裏だけを、荷物置き場に借りているのだろうか。家々の面した通りに夜になると縦列駐車されていく車の列が、ここにはない。どの窓の灯りも消えているから、住宅街ではないのかもしれない。
「静かだな」
知らない間に運び込まれていたから、下の階がどうなっているのかも判らない。オフィスか何かなのだろうか。もっと聞いておけばよかった。この建物には僕だけしかいないのかもしれないと思うと、どうにも心許なかった。
そのせいなのか、それとも現実に寒かったからか、ぶるりと身震いしてしまった。ポールハンガーに掛けてあった、僕のコートを肩から羽織った。このポールハンガー、天然の木の樹皮を剥いて枝を程よい長さに切って仕立ててあるせいか、壁に映った影が手を広げて脅かしてくるお化けみたいで、なんだかおどろおどろしい。オカルトショップの倉庫だもんな。そんな効果のあるものばかり集めているのかもしれない。
そう考えると僕だけという訳でもない気がして、可笑しくなった。見様見真似で簡易バーナーを使ってお湯を沸かした。ショーンが心配なのと、昼間たっぷり寝ていたのもあって、ベッドに戻っても眠れる気がしなかったのだ。
きんと冷えた空気に心まで冷え込んでしまわないように、白湯でも啜って温まりたかった。
そうやってどれくらいぼんやりしていたのだろう。階段から近づく足音が聞こえ、すぐにガチャリとドアが開いた。
「ああ、コウ、起きてたのか!」
夜中なのに大丈夫、と心配になるほど普通な調子だ。
「今、何時頃だろう?」
僕はちょっと眉をひそめて尋ねた。
「1時すぎだよ」
ショーンの口調は軽くて、にこにこと上機嫌のようだった。
だけど僕は、彼に微笑み返すことはできなかった。思ったより遅い時間じゃなかったにしろ、慣れない土地で出歩くには危険な時間帯なんじゃないのか、と心配と不満が勝っていたのだ。
そのうえ、彼が足取りも軽く灯りの届く場所まで来て初めて、僕は彼が酔っ払っているのに気がついた。汗ばんだ髪に香水の移り香まで漂わせて。
どこで、誰と、どうして?
一気に沸き上がった疑問を口に出すよりも先に、ショーンの手のひらが僕を押しとどめるように顔の前まで伸びてきた。
「そんな顔するなよ! 誓って、やましいことはしてないから!」
「やましいって……」
むしろますます怪しいじゃないか。
ショーンがミラと別れてから、なんとなくマリーといい感じになっていると思っていた。だけど、この二人が付き合うのは難しいだろうな、と傍から見ていても感じていた。マリーはバーナードさんに気があるって言っているし、ショーン自身諦めているみたいで。――だから、彼が他の女の子と遊びに出掛けているのは、僕だって知っていた。クラブに行ったり、パブで飲んでいたり、大学が始まってからは、夜、家にいないことも多かった。
だけど、こんな時に、こんな場所ですることじゃないだろ!
「大した金もないのに引っかけに行ったりしないって! ゲールの母ちゃんだよ! 指輪のことで来てくれたんだ。きみは寝てたし、ここでしゃべっていたら煩いだろうからって、近くのパブに行ってたんだ。それだけだよ!」
引っかけに、って女の子を? それとも単にビールを?
じっとりとショーンを睨みつけてしまっていたのだが、ゲールの名前が沸騰していた頭に差し水のように効いた。
こんな自分が恥ずかしくなった。そもそも僕に彼の行動を制限する権利はないじゃないか。僕の方こそ、こんな時なのにショーンに何もかも任せっきりで、寝ていただけなのだ。
ふーっと、大きくため息をついて、頭を軽く振った。
「紅茶、淹れようか?」
「うん」
ほっとしたようにショーンが頷く。
僕はもう一度アルミ鍋で湯を沸かし、今度は紅茶とミルクを加えて煮だした。ティ―パッグを節約して二人分だ。その間、ショーンは黙ったまま僕の作業をぼんやりと眺めていた。
「指輪、どうだった?」
カップを手渡し、ようやく口を開くと、ショーンは顔面をほころばせて、ガッツポーズを決めた。
「1000ポンドで買ってくれるって! ソロモンの指輪ってだけじゃなくて、どうやらエメラルドがなかなかの石だったらしいんだ。よかったよ、明日はもっとましなものが食えるぜ」
「貰ってきたの?」
「100だけな。残りは明日だって。銀行が開いてからだ」
「そりゃそうか。大金だもんね」
ここにいつまでもいるわけではないにしろ、小さなゲールに世話をかけたままではやはり気が引ける。彼にしてもあの指輪を欲しがっていたから、商談成立は喜んでいいことだろう。ショーンには戻ってから、あれに代るものを探すことにして——、と考え出すとようやく僕も肩の力が抜けてきて、自然と表情が緩んだ。
すると、あからさまにショーンの方もほっとした様子になり、壁にもたれてクツクツと笑い出した。
「それにしてもあの女——、」と、ちらっと僕に目配せする。「初めに逢った時にも感じたんだけどな、俺のおふくろと同類だぜ。ゲールのやつもかわいそうにな!」
ショーンの口調はどこか嘲るような響きを含んでいて、僕は、ん? っと眉を寄せた。
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