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Ⅺ もしも過去に戻れたら
81.コミュ力が欲しい!
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温かい、いい匂いがする。アルが僕のために朝食を作ってくれているのかな――
あるはずのない錯覚に驚いて、目が覚めた。寝転んだまま頭だけ持ち上げると、部屋の端にある背の高いスタンドライトの下にショーンが蹲っているのが見えた。
「ショーン、おかえり」
「ああ、起きたのか。ちょうどよかったよ!」
いつもの明るい声が返ってきた。ほっとする。
「いいんだぞ、無理するなよ」
ベッドから下りた僕を、心配そうにショーンが見ている。
「大丈夫。ゆっくり休ませてもらったからね。それより、いい匂いだね。何か手伝うことない?」
立ち上がった彼の足下で、キャンプ用のシングルバーナーがくつくつと小さなアルミ鍋を温めている。傍らの木製の椅子の上にはパンもある。それに、大きなテスコのエコバッグも。
「ああ、ちょうど温まったところだよ」
はにかんだように微笑んで、ショーンは背後の荷物の山から大きな木箱を引きずってきて、横に畳んであったテーブルクロスをばさりとかける。色んな柄のティーポットやティーカップをいくつも重ねてポールにしたスタンドライトの下に、即席のテーブルのできあがりだ。
「こんなもんしかなくて、ごめん」
「温かいものが食べられるなんて思ってなかったから、嬉しいよ」
本当に、缶詰のミネストローネがこんなに美味しいなんて知らなかった。僕がスープを頂いている間にも、ショーンはてきぱきとハムやチーズ、カットサラダを挟んでサンドイッチを作ってくれている。それを紙ナプキンに挟んで渡してくれた。
「ご馳走だね」
思いきりサンドイッチにかぶりついた。ここにきてやっと、僕は死にそうにお腹が空いていたのだと気づいた。緊張して、頭をグルグル使って、それどころじゃなかったんだって。
僕たちはほとんど喋らずに、黙々と食べた。食べ終えたら、ショーンはすぐにスープを入れていたカップと小鍋を洗いに行って、紅茶を淹れてくれた。しまった、出遅れた。こんなとき、ショーンほど頼れるやつはいないんじゃないだろうか。アルだったら、どうだろう――
「やっと一息つけたな」
ショーンの声で、ふっと沈みかけた意識を引き戻した。
ショーンは何やらごそごそとエコバッグを探っている。中からポテトチップスを取りだして僕に見せ、にっといたずらっ子のように笑う。
「ほら」と、バリッと袋が開けられた。
ショーンらしいな、と思わず笑ってしまった。
「指輪はあまり良い値で売れなかったの?」
食料をセーブしなきゃいけないくらいだもの。彼にはサンドイッチを一つとスープじゃ足りないだろう。そのためのクリスプスだ。
「鑑定中。財布を落として金がないって言ったらさ、これでご飯食べてきなさいって、10ポンド用立ててくれたんだよ」
「ゲールのお母さん?」
うん、とショーンはクリスプスをパリパリ頬張りながら頷いた。
「いい人だね」
「うーん……」
ショーンは袋に伸ばした手を止めて、天井を見上げるように上を向く。考えている時の彼の癖だ。そんな、返答に困るようなことがあったのだろうか。この沈黙にどきどきする。
「気さくないい人ではあるんだけどさ――」
「何かあったの?」
「いや、何も。ただ、視線がさ――」
首を傾げたまま、じっとショーンを見つめて続きを待った。だけど彼は苦笑いを浮かべで首を横に振る。
「実際、助かったよ。ゲールが上手いこと言ってくれて、身分証も訊かれなかったしな。このキャンプ道具やカップ類も貸してくれてさ。ここに泊めて貰っているのもちゃんと言ってあるからさ」
「さすが――、きみの安定のコミュ力羨ましいよ」
「そりゃ、俺よりゲールだろ。あいつ、すごいよな! とても6歳とは思えないよ!」
「うん、僕も思った。しっかりしてるよね」
「それで、きみの方は?」
「うん――」
「ヴィーとしっかり話せたんだろ?」
真剣な瞳で射すくめられ、つい視線を伏せてしまった。別に後ろ暗いことをしているわけではないのに。
察しのいいショーンは気づいていたらしい。僕とヴィーの間にある蟠り、というのか、僕の都合、というのか。僕が彼らの前では喋りたくないということを。それはおそらくヴィーも同じだ。幼いゲールに気を使っているとは思わないけれど、ショーンの前で彼らの秘密をべらべら喋るなんて考えられない。こんなふうに疎外してしまっているのに、ショーンは文句の一つも言わずに黙って僕のための時間を作ってくれたのだ。
「ゲールを閉じこめているのはヴィーたちで――、あ、たちっていうのは、ヴィーだけじゃなくて、鳥たちの総意でって意味だよ」
うん、と声に出すことなくショーンは神妙に頷いた。
「こんなことになった理由は、ゲールを魔女の悪霊から守るためだって。だから、彼は今、安全な場所にいる、ってヴィーは言っていた」
「そうか」ほっとしたように、ショーンは息をついた。
「それで、彼が言っていた、きみにやってもらいたいこと、って?」
「それは――」
何て言ったらいいだろう。
ああ、こんな時にこそ、ショーンのコミュ力が欲しい!
******
テスコ・・・イギリスの大手スーパーマーケット
あるはずのない錯覚に驚いて、目が覚めた。寝転んだまま頭だけ持ち上げると、部屋の端にある背の高いスタンドライトの下にショーンが蹲っているのが見えた。
「ショーン、おかえり」
「ああ、起きたのか。ちょうどよかったよ!」
いつもの明るい声が返ってきた。ほっとする。
「いいんだぞ、無理するなよ」
ベッドから下りた僕を、心配そうにショーンが見ている。
「大丈夫。ゆっくり休ませてもらったからね。それより、いい匂いだね。何か手伝うことない?」
立ち上がった彼の足下で、キャンプ用のシングルバーナーがくつくつと小さなアルミ鍋を温めている。傍らの木製の椅子の上にはパンもある。それに、大きなテスコのエコバッグも。
「ああ、ちょうど温まったところだよ」
はにかんだように微笑んで、ショーンは背後の荷物の山から大きな木箱を引きずってきて、横に畳んであったテーブルクロスをばさりとかける。色んな柄のティーポットやティーカップをいくつも重ねてポールにしたスタンドライトの下に、即席のテーブルのできあがりだ。
「こんなもんしかなくて、ごめん」
「温かいものが食べられるなんて思ってなかったから、嬉しいよ」
本当に、缶詰のミネストローネがこんなに美味しいなんて知らなかった。僕がスープを頂いている間にも、ショーンはてきぱきとハムやチーズ、カットサラダを挟んでサンドイッチを作ってくれている。それを紙ナプキンに挟んで渡してくれた。
「ご馳走だね」
思いきりサンドイッチにかぶりついた。ここにきてやっと、僕は死にそうにお腹が空いていたのだと気づいた。緊張して、頭をグルグル使って、それどころじゃなかったんだって。
僕たちはほとんど喋らずに、黙々と食べた。食べ終えたら、ショーンはすぐにスープを入れていたカップと小鍋を洗いに行って、紅茶を淹れてくれた。しまった、出遅れた。こんなとき、ショーンほど頼れるやつはいないんじゃないだろうか。アルだったら、どうだろう――
「やっと一息つけたな」
ショーンの声で、ふっと沈みかけた意識を引き戻した。
ショーンは何やらごそごそとエコバッグを探っている。中からポテトチップスを取りだして僕に見せ、にっといたずらっ子のように笑う。
「ほら」と、バリッと袋が開けられた。
ショーンらしいな、と思わず笑ってしまった。
「指輪はあまり良い値で売れなかったの?」
食料をセーブしなきゃいけないくらいだもの。彼にはサンドイッチを一つとスープじゃ足りないだろう。そのためのクリスプスだ。
「鑑定中。財布を落として金がないって言ったらさ、これでご飯食べてきなさいって、10ポンド用立ててくれたんだよ」
「ゲールのお母さん?」
うん、とショーンはクリスプスをパリパリ頬張りながら頷いた。
「いい人だね」
「うーん……」
ショーンは袋に伸ばした手を止めて、天井を見上げるように上を向く。考えている時の彼の癖だ。そんな、返答に困るようなことがあったのだろうか。この沈黙にどきどきする。
「気さくないい人ではあるんだけどさ――」
「何かあったの?」
「いや、何も。ただ、視線がさ――」
首を傾げたまま、じっとショーンを見つめて続きを待った。だけど彼は苦笑いを浮かべで首を横に振る。
「実際、助かったよ。ゲールが上手いこと言ってくれて、身分証も訊かれなかったしな。このキャンプ道具やカップ類も貸してくれてさ。ここに泊めて貰っているのもちゃんと言ってあるからさ」
「さすが――、きみの安定のコミュ力羨ましいよ」
「そりゃ、俺よりゲールだろ。あいつ、すごいよな! とても6歳とは思えないよ!」
「うん、僕も思った。しっかりしてるよね」
「それで、きみの方は?」
「うん――」
「ヴィーとしっかり話せたんだろ?」
真剣な瞳で射すくめられ、つい視線を伏せてしまった。別に後ろ暗いことをしているわけではないのに。
察しのいいショーンは気づいていたらしい。僕とヴィーの間にある蟠り、というのか、僕の都合、というのか。僕が彼らの前では喋りたくないということを。それはおそらくヴィーも同じだ。幼いゲールに気を使っているとは思わないけれど、ショーンの前で彼らの秘密をべらべら喋るなんて考えられない。こんなふうに疎外してしまっているのに、ショーンは文句の一つも言わずに黙って僕のための時間を作ってくれたのだ。
「ゲールを閉じこめているのはヴィーたちで――、あ、たちっていうのは、ヴィーだけじゃなくて、鳥たちの総意でって意味だよ」
うん、と声に出すことなくショーンは神妙に頷いた。
「こんなことになった理由は、ゲールを魔女の悪霊から守るためだって。だから、彼は今、安全な場所にいる、ってヴィーは言っていた」
「そうか」ほっとしたように、ショーンは息をついた。
「それで、彼が言っていた、きみにやってもらいたいこと、って?」
「それは――」
何て言ったらいいだろう。
ああ、こんな時にこそ、ショーンのコミュ力が欲しい!
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テスコ・・・イギリスの大手スーパーマーケット
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