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Ⅺ もしも過去に戻れたら
76.お伽噺はハッピーエンドばかりじゃない
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ショーン、ごめん。
心の中で何度もつぶやいていたこの言葉を、口に出しはしなかった。瞼を瞬かせて、自分の高ぶった感情を落ち着かせた。
「ちょっとややこしいことになっちゃったけどね、ここには助っ人がいるみたいだから、僕らの知っている方のゲールにもすぐに逢えると思うんだ」
僕はいびつに笑って、あえてこの話題から話を逸らした。軌道をゲールに戻したのだ。
そうだよ。例えここが12年前だとしても、彼らなら知っているはずだ。ゲールの居場所も、おそらく、いなくなったジニーのことも。
だけど僕はもう、彼女のことには触れないようにしなければならない。ショーンが余計な想いを抱えないように。叶わない希望を持たないように。「死の真相を知りたいだけだ」と今はそう言っていても、ここにいればそれだけでは済まなくなる、と僕は身に染みて知っている。
伏せていた顔を起こし、正面のオリーブの木の鉢植えをじっと睨みつけた。それはこの中庭の入り口側にある別の店の軒先に置かれていて、ゲールの実家はその斜め向かい僕の右手の奥まった場所にある。
「ね、そうだよね、ヴィー」うるさく聞こえない程度に声を張りあげた。僕の背丈と変わらない細木の枝に止まっていた小鳥が、応えるようにはたはたと羽ばたいた。
たちまち僕の足元にまで来てくれた綺麗な紫色の小鳥に、「おはよう、ヴィー」、ともう一度、念を押す。「ふん!」と鼻を鳴らすような音が聞こえ、小鳥はアメジスト色の侏儒に変わった。
「すげ、本物かい!」
横でショーンが素っ頓狂な声を上げた。
「もちろん、本物じゃとも」ヴィーは胸をそらせて顎を突き出している。
「初めまして! 本当に妖精にお目にかかれるなんて夢みたいだよ! ゲールの友達なんだってな。僕もそうなんだ、彼の友人。どうぞ、よろしく」
ベンチから下りて、彼の膝よりも小さい背丈に合わせて膝を折ったショーンに満足したらしく、ヴィーはますます胸を張って偉そうにしている。ショーンはこの妖精のお気に召したのだ。豊かな立派な髭だの、宝石のように綺麗な色の衣装だの、まだまだ続くショーンのお愛想に負けまいと笑みを堪え、ひくひくしている口元は誇らしげで嬉しそうだもの。
だけど僕はそんなことより、ショーン、見えるんだ——、とそっちの方が気になって。
彼にヴィーが見えるということは、ここは過去といっても現実じゃない。あるいは、未来から来た僕たちが現実の存在じゃない。そのどちらかだろう。僕の知る法則の当てはまらない今の現状は、少なからず僕を混乱させているのだ。目の前の彼に助けを求めたくなるくらいには。
「僕のことは知っているね、ヴィー」ショーンのお喋りの切れ間を待って、ようやくヴィーに話しかけた。
「何を知っておると訊いておるのかな、火の依り代よ」
そういえばこいつ、一筋縄ではいかない相手だった、と思い出した。
「OK、十分だよ。それで、僕の知っているゲールはどこにいるの?」と訊いてはみたが返事はない。案の定、長く伸びた白い髭を撫でまわすだけで、「さあての——」などとそっぽを向いている。
「きみたちの主人に、僕と結び付けられたはずのゲールはどこ、って言えば解かるのかな。知ってるよね? こうして僕が迎えに来たんだから、どこにいるか教えてくれるよね、シロハラムクドリさん!」
とたんにしゃきん、と彼の若干丸まっていた背が伸びる。あるのかないのか分からないような目が、あちこちきょろきょろしているのか、長く垂れ下がった眉毛がふわふわ揺れている。
「それはもちろん、教えてやらんことはないわい。じゃが、その前に一つやってもらわなならんことがあるのじゃ」
ヴィーはもったいぶったしかめっ面で言い放った。
でたよ! やっぱり条件付きだ——
僕はつい吐き出してしまいそうなため息を吞み込んだ。
これでも闇雲にゲールを捜していた時よりはずっと彼に近づけるはず、といくら考えようとしても、どんな無理難題を突き付けられるか分かったものじゃない、という不安の方が絶対的に大きいのだ。
とりあえず「それを受けるかどうかは、話を聞いてからだね」と慎重に応えておいた。
この一部始終を黙って見守ってくれていたショーンが、いきなり僕の腕を小突いた。ちらと顔を向けると、くいっと顎で左の方を指し示した。すっと視線を流すと、そこに女の人が箒を持ってちょうど家から出てきたところだった。
「とりあえず、場所を変えた方がいいんじゃないのか」
ショーンが小声で言った。ヴィーはすでに飛び立ってもういない、と思ったら、耳の奥で「トーに来るのじゃ」と小さいけれどやけに甲高い声が響いていた。
「なぁ、コウ。今のが前に話してくれたゲールの友達なんだろ?」
「うん」
「彼に逢えたのっていいことなんだろ? それなのに、なんできみはそんなにピリピリしてるんだ?」
え、とショーンを見つめ返した。
「そんなにピリピリしていたかな」
「ああ、今だって全然嬉しそうに見えないよ」
「ああ、それは——」
何て説明すればいいいのだろう。お伽噺はハッピーエンドばかりじゃない、って僕は知っているからとでも言えばいいのだろうか。
心の中で何度もつぶやいていたこの言葉を、口に出しはしなかった。瞼を瞬かせて、自分の高ぶった感情を落ち着かせた。
「ちょっとややこしいことになっちゃったけどね、ここには助っ人がいるみたいだから、僕らの知っている方のゲールにもすぐに逢えると思うんだ」
僕はいびつに笑って、あえてこの話題から話を逸らした。軌道をゲールに戻したのだ。
そうだよ。例えここが12年前だとしても、彼らなら知っているはずだ。ゲールの居場所も、おそらく、いなくなったジニーのことも。
だけど僕はもう、彼女のことには触れないようにしなければならない。ショーンが余計な想いを抱えないように。叶わない希望を持たないように。「死の真相を知りたいだけだ」と今はそう言っていても、ここにいればそれだけでは済まなくなる、と僕は身に染みて知っている。
伏せていた顔を起こし、正面のオリーブの木の鉢植えをじっと睨みつけた。それはこの中庭の入り口側にある別の店の軒先に置かれていて、ゲールの実家はその斜め向かい僕の右手の奥まった場所にある。
「ね、そうだよね、ヴィー」うるさく聞こえない程度に声を張りあげた。僕の背丈と変わらない細木の枝に止まっていた小鳥が、応えるようにはたはたと羽ばたいた。
たちまち僕の足元にまで来てくれた綺麗な紫色の小鳥に、「おはよう、ヴィー」、ともう一度、念を押す。「ふん!」と鼻を鳴らすような音が聞こえ、小鳥はアメジスト色の侏儒に変わった。
「すげ、本物かい!」
横でショーンが素っ頓狂な声を上げた。
「もちろん、本物じゃとも」ヴィーは胸をそらせて顎を突き出している。
「初めまして! 本当に妖精にお目にかかれるなんて夢みたいだよ! ゲールの友達なんだってな。僕もそうなんだ、彼の友人。どうぞ、よろしく」
ベンチから下りて、彼の膝よりも小さい背丈に合わせて膝を折ったショーンに満足したらしく、ヴィーはますます胸を張って偉そうにしている。ショーンはこの妖精のお気に召したのだ。豊かな立派な髭だの、宝石のように綺麗な色の衣装だの、まだまだ続くショーンのお愛想に負けまいと笑みを堪え、ひくひくしている口元は誇らしげで嬉しそうだもの。
だけど僕はそんなことより、ショーン、見えるんだ——、とそっちの方が気になって。
彼にヴィーが見えるということは、ここは過去といっても現実じゃない。あるいは、未来から来た僕たちが現実の存在じゃない。そのどちらかだろう。僕の知る法則の当てはまらない今の現状は、少なからず僕を混乱させているのだ。目の前の彼に助けを求めたくなるくらいには。
「僕のことは知っているね、ヴィー」ショーンのお喋りの切れ間を待って、ようやくヴィーに話しかけた。
「何を知っておると訊いておるのかな、火の依り代よ」
そういえばこいつ、一筋縄ではいかない相手だった、と思い出した。
「OK、十分だよ。それで、僕の知っているゲールはどこにいるの?」と訊いてはみたが返事はない。案の定、長く伸びた白い髭を撫でまわすだけで、「さあての——」などとそっぽを向いている。
「きみたちの主人に、僕と結び付けられたはずのゲールはどこ、って言えば解かるのかな。知ってるよね? こうして僕が迎えに来たんだから、どこにいるか教えてくれるよね、シロハラムクドリさん!」
とたんにしゃきん、と彼の若干丸まっていた背が伸びる。あるのかないのか分からないような目が、あちこちきょろきょろしているのか、長く垂れ下がった眉毛がふわふわ揺れている。
「それはもちろん、教えてやらんことはないわい。じゃが、その前に一つやってもらわなならんことがあるのじゃ」
ヴィーはもったいぶったしかめっ面で言い放った。
でたよ! やっぱり条件付きだ——
僕はつい吐き出してしまいそうなため息を吞み込んだ。
これでも闇雲にゲールを捜していた時よりはずっと彼に近づけるはず、といくら考えようとしても、どんな無理難題を突き付けられるか分かったものじゃない、という不安の方が絶対的に大きいのだ。
とりあえず「それを受けるかどうかは、話を聞いてからだね」と慎重に応えておいた。
この一部始終を黙って見守ってくれていたショーンが、いきなり僕の腕を小突いた。ちらと顔を向けると、くいっと顎で左の方を指し示した。すっと視線を流すと、そこに女の人が箒を持ってちょうど家から出てきたところだった。
「とりあえず、場所を変えた方がいいんじゃないのか」
ショーンが小声で言った。ヴィーはすでに飛び立ってもういない、と思ったら、耳の奥で「トーに来るのじゃ」と小さいけれどやけに甲高い声が響いていた。
「なぁ、コウ。今のが前に話してくれたゲールの友達なんだろ?」
「うん」
「彼に逢えたのっていいことなんだろ? それなのに、なんできみはそんなにピリピリしてるんだ?」
え、とショーンを見つめ返した。
「そんなにピリピリしていたかな」
「ああ、今だって全然嬉しそうに見えないよ」
「ああ、それは——」
何て説明すればいいいのだろう。お伽噺はハッピーエンドばかりじゃない、って僕は知っているからとでも言えばいいのだろうか。
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