エートス 風の住む丘

萩尾雅縁

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Ⅹ 異界の入り口

70.天国の階段

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「コウ、どういことなんだ、教えてくれよ!」
 僕に合わせて走ってはいるけれど、ショーンの口調は怪訝そうで。僕は勢い息を弾ませながら応えた。
「ゲールは、のろいを解くために、恋人になってくれる誰かを捜すしゅを放ったんだよ。それが、このテントウムシレディバードなんだ」
「恋人! それがきみって言うのか、アルがいるのに!」
 ショーンが叫んでいきなり立ち止まったせいで、つんのめって危うくこけそうになった。ショーンがすぐに腕を掴んでくれたので助かった。目で追いかけていたテントウムシはすでに塔の中に入っている。

 これでおそらく、道を作ってくれているはず――

 ほっと息をついてショーンを見上げ、「だから、呪をかけたってだけだよ。ゲールはその相手が僕かもしれないと誤解していたんだよ。それで、あのテントウムシを僕にくれた」と真顔で答えた。
「誤解?」
 眉間に皺を寄せたショーンは、いまだ信じきれないみたいだ。

 さっきは「呪いを解くのを手伝うためにここに飛ばされたんじゃないか」って言っていたのに。どうしてショーンはゲールの事情を知っているのに、このことは知らないのだろう。

「とにかく、今は先を急ごうよ」
「だめだ。うやむやにしないでちゃんと説明してくれ」

 ショーンのこんな厳しい顔が僕に向けられるのは初めてだった。早く追いかけなきゃ、と気持ちは焦っていたけれど、それ以上に、なぜ彼が僕に怒るのか理解できない不安が勝る。

「アルから聞いたんじゃないの? ショーンはどこまで知ってるのかな? 何を知っていて、何を知らないのかが僕には判らないよ」
 逆に問いかけると、彼はますます怪訝そうに頭を傾ける。
「え――、ってことはアルも知っているってことなのかい?」
「そりゃそうだよ。アルと僕とゲール、それからヴィーの四人で話してたんだから」
 今度は僕の方が首を傾げた。

 あ、そうか。ショーンはキッチンでスペンサーと飲んでいたから――。

「ヴィー?」
「ゲールの友だちの妖精なんだ」
「アルが納得済みなら、俺はもう何も言うことはないよ」
「じゃ、行こう」

 ショーンの腕を掴んで歩きだしながら、ちらっと彼を見上げた。そうは言っても、彼自身が納得できたわけじゃない、とそんな苛立ちを抑えているような顔をしている。

「ショーン、ゲールが呪をかけたテントウムシは、確かに僕たちの家にあった。だけど、それが落ちていたのはアルの部屋だったし、実際に見つけたのはシルフィだった」
「つまりそれは、きみがまじないの対象になったかどうかは、不確実ってことかい?」
「僕はそう思っている」

 塔の西側の入り口まで回り込み、内側に入る前にそこで立ち止まった。きっと、大丈夫。深呼吸して足を踏み入れる。

「ああ、よかった。道が繋がっている」

 外から見た時は空へと伸びるだけの何もなかった空間に、螺旋階段ができてる。塔を構成しているのと同じ、ところどころ薄らと緑に苔むした石造りの階段だ。まるで、これまでずっとそこにあったかのように。これが本来の形ででもあるかのように。悠久の時間を経てきたものだけが持つ風格さえ醸して。

「上、上なのか?」
 呆れたようなショーンの声。
 確かに。でも僕はほっとしている。おそらく、この階段はシルフィの居場所に続いているはずだもの。
「天国への階段じゃないことを祈るしかないな――。さ、行くか!」

 ショーンが一段目に足をかける。僕はその後に続いた。上方の窓から濃いオレンジ色の光が差し込んでいる。そのせいか、外にいたときよりもかなり暖かく感じる。

「それにしても、もうこんな時間になってたんだな。今日一日、大したことをした気もしないのに」
「そうだね。でも、ここでは時間も気まぐれだから、あまり当てにならないと思う」
「気まぐれ? どういう意味で言っている?」
「麓の門に入ってからさ、人に逢わなかっただろ? 僕らはとっくにに来てるんだ。あまりに変化がなくて、僕もついさっき気づいたんだけどね」
「そうか! この丘の7層構造が通過儀礼イニシエーションの役割を果たしているんだったな! もっと時間をかけて、ぐるりと外周を辿りながら登頂する儀式があるもんな。最短で登ったのに効果があるなんて、先人たちが悔しがるだろうな!」

 その正しい道のりを凝縮させた道だったのだ。流れている時間が違う場合、体感する時間もそぐわないものだ。だから僕はあんなにも疲労した。現実の道を通った前回は、こうはならなかったもの。体力がここまで落ちているのかとかなりショックだったのだが、おそらく何時間分もの道のりに匹敵する過程を登ってきたのなら、よく頑張ったと考えていいのかもしれない。むしろ、けろりとしているショーンの方が強靭すぎて驚きだ。

「この塔も、見た目通りの三階で済めばいいけれど――」

 当然、それだけでは済まないんだろうなぁ。

 金色の夕陽の差し込む階段は神々しくて、本当に天国まで続いているかのように、果てしなく感じられた。




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