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Ⅷ 真夜中の向こう側
53.同じ文化で育っているから解ることもある
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信じられない。何も告げずにドラコがいなくなるなんて。
まさか、地の精霊の拘束力が効かない? アルがここにいるのに――
疾風が体を駆け抜けたようだった。
予兆もなく始まった激しい動悸に喉がひくついて、思わず強く握りしめた。自分で自分の首を絞めているみたいだ。すぐにアルの手が僕の手首を優しく撫でて覆ってくれたから、漆喰で塗り固められたような強張りはひび割れて剥落。その隙間から風が入り込むように空気が流れこんでくる。
「心配しないで。あいつのことだから、きみの関心が欲しくてふざけてるだけだよ」
耳元をくすぐる優しい穏やかな声とは裏腹に、その腕は強く僕を束縛している。ぎゅっと抱きすくめられると、アルの鼓動が伝わってくる。彼の方こそが不安で堪らないと、そんな小さくて速い音をたてている。トッ、トッ、トッって。
「精霊は約束を破らない」
ドラコは、だから、勝手にいなくなった訳じゃない。今は、たまたま姿が見当たらないだけで。すぐ近くにいるはずなんだ。
そうアルに、いや、自分自身に言い聞かせた。
「精霊――」
聞こえるか聞こえないかの呟きだったけれど、その一言はとげとげしい音色を帯びていた。上目遣いに盗み見たアルは、案の定渋い顔をしている。ドラコの本質をあれほど目の当たりにしても、やっぱり信じていないんだ。精霊というよりも悪魔か何か、とでも勘繰っているのだろう。
そんな僕の失望を感じ取ったかのように、抱きしめる腕にぎゅっと力が込められた。言い訳じみたキスを額にくれる。
そんなんじゃ、僕は――
「なぁ、それで、コウはマークスの部屋がどこなのか知ってるんだろう? とりあえず、行ってみようや」
はっと見上げたショーンは、鏡を食い入るように見つめたままだ。目のやり場に困っている、とそんなぎこちなさを醸して、少し苛立っているように見える。
びくっと身が引き締まる気がした。ショーンがいるのに、僕はまた、アルとのことしか考えていなかったなんて。
僕の変化に敏感なアルは、すぐに自然に腕を緩め肩に手を置き替えてくれた。だけど、僕は棒立ちのまま。こんな時ですら周りが見えなくなってしまう自分自身に失望しただけでなく、ショーンの提案それ自体にも、冷水をかけられたような衝撃を受けていたのだ。
「なぁ、コウ、あいつら今回の改装で、隠し部屋みたいな設えの使用人部屋を造ったんじゃないのか? ほら、前時代の遺物ていうかさ、あいつら、徹底した階級意識の塊だろ!」
「なるほどね。確かにあの制服からしてそうだね。19世紀じゃあるまいし、て僕は無意識に否定してしまっていたみたいだ。彼らなら、頭の中身までその頃で止まっていても不思議じゃない。さすがにこのペントハウスに地下室はないだろうけれど。そうそう住人の視界に入らないような場所に部屋を構えている、なんてこともありえそうだね、彼らなら。見つからないはずだよ」
ショーンの言い分に、アルも腑に落ちた様子で相槌を打っている。
僕はというと、それを聞いて血の気が引く思いだった。なんでそんなに気が回るんだ、と勘の良い二人をつい恨みがましく思ってしまう。だけど、そんなの当たり前かと思い直した。現地の人なんだから、異邦人の僕とは違う。
僕は、どうしてブラウン兄弟が人前に姿を現したがらないのか、空き部屋を使わず、自分たちの居場所を隠すのか、その理由は彼らがブラウニーだからだと単純に思っていた。そして、それはある意味間違っていないはず。彼らは人と接する表の仕事よりも、人目に付かない裏方を好む生粋のブラウニーなのだから。
そう、だから僕は、英国階級社会に、執事や家政婦等、主人と直接接する上級使用人以外は人目につかない地下室等に隔離され表に出てはならないという規則を課した、とんでもない慣行があったことを、本人たちに聞くまで想像すらしなかった。
ブラウン兄弟は種族の違い以上に、守れなければクビもあり得るというこの古い規則を当然のこととして遵守していたのだ。
そんな彼らが、今日ここでは、執事に家政婦、料理人、下働き、と昔はきっぱりと別れていた様々な役割をこなさなければならない。表に出ない訳にはいかないから、仕方なく同意して務めてくれている。
過剰に人目に触れるだけでなく部屋まで暴かれたら、それこそ――
「コウが知らないんなら、」
「行く!」答えない僕に痺れを切らしたショーンを慌てて遮った。
「僕が行く。きっとマークスは、部屋の位置を知られるのを嫌がると思うんだ。彼はあの通り職務に誇りを持っているし、ちょっと気難しいところもあるからさ」
僕が、と言うのに不自然に力が入ってしまった。なんとか安心させようと微笑んだつもりだったけれど、頬を引きつらせただけで上手く笑えなかった。
言い訳しようがない、二人の推察通りなのだ。視界に入らない場所、全くもってその通り。でもそれはここにはない。マークスの部屋は、こことつながってはいるけれど、こちら側じゃないんだ!
どうしよう。率直に話せば、ショーンなら解ってくれるかもしれない。でも、アルはきっと嫌がる。ゲールを迎えに行くためだとしても、僕がまたあちら側へ行くのを許してくれるとは思えない。それに、もしそうなればきっと彼も――
それだけは避けたかった。アルを以前のような危険に晒す訳にはいかない。あの時、肝に銘じて解かった。あの場所はアルには不安定すぎる。危険すぎるのだ。
まさか、地の精霊の拘束力が効かない? アルがここにいるのに――
疾風が体を駆け抜けたようだった。
予兆もなく始まった激しい動悸に喉がひくついて、思わず強く握りしめた。自分で自分の首を絞めているみたいだ。すぐにアルの手が僕の手首を優しく撫でて覆ってくれたから、漆喰で塗り固められたような強張りはひび割れて剥落。その隙間から風が入り込むように空気が流れこんでくる。
「心配しないで。あいつのことだから、きみの関心が欲しくてふざけてるだけだよ」
耳元をくすぐる優しい穏やかな声とは裏腹に、その腕は強く僕を束縛している。ぎゅっと抱きすくめられると、アルの鼓動が伝わってくる。彼の方こそが不安で堪らないと、そんな小さくて速い音をたてている。トッ、トッ、トッって。
「精霊は約束を破らない」
ドラコは、だから、勝手にいなくなった訳じゃない。今は、たまたま姿が見当たらないだけで。すぐ近くにいるはずなんだ。
そうアルに、いや、自分自身に言い聞かせた。
「精霊――」
聞こえるか聞こえないかの呟きだったけれど、その一言はとげとげしい音色を帯びていた。上目遣いに盗み見たアルは、案の定渋い顔をしている。ドラコの本質をあれほど目の当たりにしても、やっぱり信じていないんだ。精霊というよりも悪魔か何か、とでも勘繰っているのだろう。
そんな僕の失望を感じ取ったかのように、抱きしめる腕にぎゅっと力が込められた。言い訳じみたキスを額にくれる。
そんなんじゃ、僕は――
「なぁ、それで、コウはマークスの部屋がどこなのか知ってるんだろう? とりあえず、行ってみようや」
はっと見上げたショーンは、鏡を食い入るように見つめたままだ。目のやり場に困っている、とそんなぎこちなさを醸して、少し苛立っているように見える。
びくっと身が引き締まる気がした。ショーンがいるのに、僕はまた、アルとのことしか考えていなかったなんて。
僕の変化に敏感なアルは、すぐに自然に腕を緩め肩に手を置き替えてくれた。だけど、僕は棒立ちのまま。こんな時ですら周りが見えなくなってしまう自分自身に失望しただけでなく、ショーンの提案それ自体にも、冷水をかけられたような衝撃を受けていたのだ。
「なぁ、コウ、あいつら今回の改装で、隠し部屋みたいな設えの使用人部屋を造ったんじゃないのか? ほら、前時代の遺物ていうかさ、あいつら、徹底した階級意識の塊だろ!」
「なるほどね。確かにあの制服からしてそうだね。19世紀じゃあるまいし、て僕は無意識に否定してしまっていたみたいだ。彼らなら、頭の中身までその頃で止まっていても不思議じゃない。さすがにこのペントハウスに地下室はないだろうけれど。そうそう住人の視界に入らないような場所に部屋を構えている、なんてこともありえそうだね、彼らなら。見つからないはずだよ」
ショーンの言い分に、アルも腑に落ちた様子で相槌を打っている。
僕はというと、それを聞いて血の気が引く思いだった。なんでそんなに気が回るんだ、と勘の良い二人をつい恨みがましく思ってしまう。だけど、そんなの当たり前かと思い直した。現地の人なんだから、異邦人の僕とは違う。
僕は、どうしてブラウン兄弟が人前に姿を現したがらないのか、空き部屋を使わず、自分たちの居場所を隠すのか、その理由は彼らがブラウニーだからだと単純に思っていた。そして、それはある意味間違っていないはず。彼らは人と接する表の仕事よりも、人目に付かない裏方を好む生粋のブラウニーなのだから。
そう、だから僕は、英国階級社会に、執事や家政婦等、主人と直接接する上級使用人以外は人目につかない地下室等に隔離され表に出てはならないという規則を課した、とんでもない慣行があったことを、本人たちに聞くまで想像すらしなかった。
ブラウン兄弟は種族の違い以上に、守れなければクビもあり得るというこの古い規則を当然のこととして遵守していたのだ。
そんな彼らが、今日ここでは、執事に家政婦、料理人、下働き、と昔はきっぱりと別れていた様々な役割をこなさなければならない。表に出ない訳にはいかないから、仕方なく同意して務めてくれている。
過剰に人目に触れるだけでなく部屋まで暴かれたら、それこそ――
「コウが知らないんなら、」
「行く!」答えない僕に痺れを切らしたショーンを慌てて遮った。
「僕が行く。きっとマークスは、部屋の位置を知られるのを嫌がると思うんだ。彼はあの通り職務に誇りを持っているし、ちょっと気難しいところもあるからさ」
僕が、と言うのに不自然に力が入ってしまった。なんとか安心させようと微笑んだつもりだったけれど、頬を引きつらせただけで上手く笑えなかった。
言い訳しようがない、二人の推察通りなのだ。視界に入らない場所、全くもってその通り。でもそれはここにはない。マークスの部屋は、こことつながってはいるけれど、こちら側じゃないんだ!
どうしよう。率直に話せば、ショーンなら解ってくれるかもしれない。でも、アルはきっと嫌がる。ゲールを迎えに行くためだとしても、僕がまたあちら側へ行くのを許してくれるとは思えない。それに、もしそうなればきっと彼も――
それだけは避けたかった。アルを以前のような危険に晒す訳にはいかない。あの時、肝に銘じて解かった。あの場所はアルには不安定すぎる。危険すぎるのだ。
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