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Ⅷ 真夜中の向こう側
51.どこから友だちでどこまでが他人なんだろう
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バーナードさんに「夜気は体に障るから」と諭され、室内に戻ることにした。開封したばかりのシャンパンボトルを抱えてテラスを回り、レセプションルームに入ったが誰もいない。寝室に行く前の喧騒が嘘のようにしんと静まり返っている。
「皆、どこへ行ったんだろうね」バーナードさんが不思議そうに呟いた。
「あ、きっとゲールのことで――、」
アルが探してくれているのに、マリーやショーンがじっとしているはずがない。バーナードさんは一人でずっとテラスにいたから、ゲールがいなくなったことを知らないのだ。経緯をかいつまんで話していると、いらいらした調子の甲高い声が背後から聞こえてきた。
「もういいじゃない。きっと勝手に帰ったのよ」
ミラとマリーがキツイ顔をして中地下にあるダイニングの階段を上ってきた。
「でも、エレベーターを使うにはここを通らなきゃ。挨拶もなしに帰るような子には見えなかったもの」
「あら、その辺に隠れて驚かそうと思ってるのかもよ。私たちの気を引きたいんじゃないの。相手にされなくて拗ねてるのよ」
振り返ったところで、ちょうどそんな会話をしていたミラと目が合った。ふん、と鼻で笑われた気がした。気のせいかもしれないけれど。
「アルは?」
一瞬で目を逸らして、マリーに向かって尋ねた。
「下に降りてる。コンシェルジュにあの子が通らなかったか訊いてくるって」
「わざわざ行かなくても電話で済ませばいいのに」
ミラが肩をすくませ唇を尖らせる。だけど瞳は絡みつくようにバーナードさんに向けられている。この視線が怖いんだ。マリーには悪いけれど、僕はやっぱりミラが苦手だ。
「飲み直すかい? 開けたところなんだ」バーナードさんが視線に応えるようにボトルを持ちあげてみせる。皆がおたおたしているのに、なんだか場違いな余裕でソファーに腰を据え悠々としている。ミラはそうこなくちゃ、とばかりに嬉々として彼の隣に陣取って、頭から抜けるようなハイテンションな声で喋りはじめた。
テラスから戻る間の彼は、僕と特に言葉を交わすこともなく物思いに耽っているようだった。だから、アルや彼自身も言っていたように仕事のことで頭がいっぱいなんだなと思っていた。
僕としては、鏡のことをもっと訊かれるかと身構えていたのだ。それが「楽しいジョークだね」と一言感想を聞いただけで終わった。僕の方からあえてあの鏡のことをどう考えているのか尋ねるのは藪蛇になりそうで、訊くに訊けなかった。深堀されずにすんで良かった、と思うと同時に、ドラコが彼を操って僕のところへよこしたにしては、特に何も起こらないことが訝しくて。おそらく僕の勘繰りすぎだったのだろう。
それにしても――
アルビーが凄く心配して探してくれている、って話したばかりなのに。そんなの関係ないって感じでくつろいで、ミラのどうでもいい話に付き合っているバーナードさんは一体どういうつもりなんだろう。
ミラもミラだ。ハロウィンの仮装なんて、こんな時にする話じゃないだろ!
それが、いつも僕の話を親身になって聴いてくれるバーナードさんにはそぐわない態度のように思えて、心がざわざわする。それとも、彼にとってゲールは今日たまたまここで居合わせた相手に過ぎないから、そんなものなのだろうか。僕が勝手に期待して、勝手に失望してしまってるだけなんだって解るけれど――
居た堪れなくて目を逸らした先にいたマリーは鬼の形相だ。と、思ったらいきなり菩薩になった。何、この変わりよう。
ああ、バーナードさんが笑いかけたんだ。それに、彼女にもグラスを差しだしている。
どうしよう――
マリーまでがソファーに収まると僕だけがつっ立っていて馬鹿みたいだ。だけど、この中に入る気になんてなれない。
その時どこかから聞こえたアルビーの声に心底ほっとした。だがそれも束の間、部屋に入ってきたアルとその背後にいたショーンの厳しい顔つきに、またもや胃が縮こまる。ゲールはまだ見つからないのだ。
僕に気づいたアルがふわりと緊張を緩めて僕に駆け寄ってきた。
「もう起きて大丈夫なの?」
くしゃりと髪をかき上げ、深く澄んだ緑の瞳で覗きこんでくる。力が抜けそうにほっとした。そのまま倒れ込むようにアルの肩に頬を預けた。ぎゅっと背中に腕を回して抱きしめる。アルがそっと僕の頭部を包みこんでくれる。だけど、このままだとまた心配させてしまうから――
「大丈夫。気が張っていただけだよ」と、顔を起こして微笑みかけた。やっぱり。優しい彼の瞳を曇らせてしまっている。
だけど、僕の心労はゲールの失踪ではなくミラたちだと彼に知れたら、呆れられるだろうな。なんでって、不思議がるに違いないよ。だってアルは人あしらいにかけては天才的だもの。傍から見たら冷たくて意地悪にさえ見えるのに、嫌われることも恨まれることもなく受け入れられる。そのコツを教えてほしいくらいだ。だけどコツを聴いたところできっと僕には使えない。全てを許されるのは、やはりアルが特別な人だからに違いないもの。
「コウ」と、アルが耳許に囁きかけるように僕を呼んだ。
「皆、どこへ行ったんだろうね」バーナードさんが不思議そうに呟いた。
「あ、きっとゲールのことで――、」
アルが探してくれているのに、マリーやショーンがじっとしているはずがない。バーナードさんは一人でずっとテラスにいたから、ゲールがいなくなったことを知らないのだ。経緯をかいつまんで話していると、いらいらした調子の甲高い声が背後から聞こえてきた。
「もういいじゃない。きっと勝手に帰ったのよ」
ミラとマリーがキツイ顔をして中地下にあるダイニングの階段を上ってきた。
「でも、エレベーターを使うにはここを通らなきゃ。挨拶もなしに帰るような子には見えなかったもの」
「あら、その辺に隠れて驚かそうと思ってるのかもよ。私たちの気を引きたいんじゃないの。相手にされなくて拗ねてるのよ」
振り返ったところで、ちょうどそんな会話をしていたミラと目が合った。ふん、と鼻で笑われた気がした。気のせいかもしれないけれど。
「アルは?」
一瞬で目を逸らして、マリーに向かって尋ねた。
「下に降りてる。コンシェルジュにあの子が通らなかったか訊いてくるって」
「わざわざ行かなくても電話で済ませばいいのに」
ミラが肩をすくませ唇を尖らせる。だけど瞳は絡みつくようにバーナードさんに向けられている。この視線が怖いんだ。マリーには悪いけれど、僕はやっぱりミラが苦手だ。
「飲み直すかい? 開けたところなんだ」バーナードさんが視線に応えるようにボトルを持ちあげてみせる。皆がおたおたしているのに、なんだか場違いな余裕でソファーに腰を据え悠々としている。ミラはそうこなくちゃ、とばかりに嬉々として彼の隣に陣取って、頭から抜けるようなハイテンションな声で喋りはじめた。
テラスから戻る間の彼は、僕と特に言葉を交わすこともなく物思いに耽っているようだった。だから、アルや彼自身も言っていたように仕事のことで頭がいっぱいなんだなと思っていた。
僕としては、鏡のことをもっと訊かれるかと身構えていたのだ。それが「楽しいジョークだね」と一言感想を聞いただけで終わった。僕の方からあえてあの鏡のことをどう考えているのか尋ねるのは藪蛇になりそうで、訊くに訊けなかった。深堀されずにすんで良かった、と思うと同時に、ドラコが彼を操って僕のところへよこしたにしては、特に何も起こらないことが訝しくて。おそらく僕の勘繰りすぎだったのだろう。
それにしても――
アルビーが凄く心配して探してくれている、って話したばかりなのに。そんなの関係ないって感じでくつろいで、ミラのどうでもいい話に付き合っているバーナードさんは一体どういうつもりなんだろう。
ミラもミラだ。ハロウィンの仮装なんて、こんな時にする話じゃないだろ!
それが、いつも僕の話を親身になって聴いてくれるバーナードさんにはそぐわない態度のように思えて、心がざわざわする。それとも、彼にとってゲールは今日たまたまここで居合わせた相手に過ぎないから、そんなものなのだろうか。僕が勝手に期待して、勝手に失望してしまってるだけなんだって解るけれど――
居た堪れなくて目を逸らした先にいたマリーは鬼の形相だ。と、思ったらいきなり菩薩になった。何、この変わりよう。
ああ、バーナードさんが笑いかけたんだ。それに、彼女にもグラスを差しだしている。
どうしよう――
マリーまでがソファーに収まると僕だけがつっ立っていて馬鹿みたいだ。だけど、この中に入る気になんてなれない。
その時どこかから聞こえたアルビーの声に心底ほっとした。だがそれも束の間、部屋に入ってきたアルとその背後にいたショーンの厳しい顔つきに、またもや胃が縮こまる。ゲールはまだ見つからないのだ。
僕に気づいたアルがふわりと緊張を緩めて僕に駆け寄ってきた。
「もう起きて大丈夫なの?」
くしゃりと髪をかき上げ、深く澄んだ緑の瞳で覗きこんでくる。力が抜けそうにほっとした。そのまま倒れ込むようにアルの肩に頬を預けた。ぎゅっと背中に腕を回して抱きしめる。アルがそっと僕の頭部を包みこんでくれる。だけど、このままだとまた心配させてしまうから――
「大丈夫。気が張っていただけだよ」と、顔を起こして微笑みかけた。やっぱり。優しい彼の瞳を曇らせてしまっている。
だけど、僕の心労はゲールの失踪ではなくミラたちだと彼に知れたら、呆れられるだろうな。なんでって、不思議がるに違いないよ。だってアルは人あしらいにかけては天才的だもの。傍から見たら冷たくて意地悪にさえ見えるのに、嫌われることも恨まれることもなく受け入れられる。そのコツを教えてほしいくらいだ。だけどコツを聴いたところできっと僕には使えない。全てを許されるのは、やはりアルが特別な人だからに違いないもの。
「コウ」と、アルが耳許に囁きかけるように僕を呼んだ。
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