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Ⅶ 今度は僕の番
44.温かな飲み物は頑なな心をほぐす
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僕がマークスと喋っている間に、ゲールは部屋を出ていたようで。すぐにアルビーが血相を変えてやってきた。バーナードさんと一緒にいたからだろう。当然そうなるよな。僕の頬を両手で覆って、顔色が悪いと綺麗な緑色の瞳を曇らせる。
「心配しないで。大丈夫だから」
こつんと彼の肩に額を当てて、そのまま腕を伸ばして微かに震えている背中を緩く抱きしめた。僕は、このアルの動揺に対して責任がある。彼がこんなにも不安に駆られるのは、この夏の、――僕の不誠実さのせいなのだから。
「僕はちゃんとここにいるよ」
アルにだけ聴こえるように声を落として囁いた。ゲールは、僕のことを何て説明したのだろう。こんなに彼を心配させて。
ゲールが悪い訳じゃないけど、八つ当たり的な思いが沸いてしまう。僕はもう絶対に、アルを悲しませたり不安にさせたりしたくないのだ。
「アル、悪いが少し空けてくれ」すいっとアルビーの肩に置かれた手が、そのまま僕の顎先を持ちあげた。バーナードさんがぐいと顔を近づけてきて、僕の瞳を覗きこむ。ぺろりと下瞼を捲られた。
「貧血気味だね。食事が悪いとも思えないし、生来の体質かい? それとも最近無理をしているのかな?」
貧血! 考えたこともなかった。
マークスが聴いたらぷんぷん怒りかねない。毎日あんなにしっかり料理して食べさせてくれているのに。だけど、ドラコの罠に嵌められた、などと言うよりは「貧血」にしておく方が、きっとアルビーは安心する。
「そうかもしれません。最近ちょっと、」
何て言おう?
「忙しくて」
ありきたりすぎかな。
「昼間のこともあるし、大学が始まってからの環境の変化で、疲労が溜まっていたのかもしれないね。夜は眠れているのかい?」
バーナードさんの口調はゲールの言う通りお医者様みたいだ。こくんと釣られるように頷いていた。そうじゃないってことは自分が一番よく知っているのに、なんだか、もしかしてそうなのかもって気になってくるから不思議だ。
アルビーが心配そうに僕を見つめている。このままそういうことにしておく方がいいような気がする。アルビーの肩越しに、入り口に立ったままのゲールに視線を流した。彼が何て説明してくれたのか気になって。だけど彼のしかめっ面に気づいて、僕は慌ててまた目を伏せてしまった。厳しい視線に怖気づいてしまったのだ。
本当のことを話さない僕に呆れているのかな。
ゲールに気を取られていたせいで、バーナードさんの言葉を聞きそびれてしまった。え、と彼に視線を戻す。
何て言われた?
「コウ、もうこのまま休めばいい。寝室へ行こう」
バーナードさんではなく、アルビーが僕の髪を撫でながら言った。
「え、もう平気だよ」頭をしゃんと起こして背筋を伸ばしてみせる。だけどアルビーには「だめだめだめだめ」と眉をひそめたまま小声で連呼されてしまった。
「ゆっくり休んでいて。その間に僕はあいつと話してくるから」
「あいつって? ゲール?」の訳がない。アルは応えずにただ微笑んでいる。
何も言わなくたって、アルはとっくに気づいていたんだ。低い、落ち着いた声だったもの。僕はその中に彼の静かな怒りを感じて何も言えなくなってしまった。
だけど僕のことで、アルビーがドラコと話し合いなんてできるのだろうか? またお互いに好き勝手なことを言い合って終わり。そんな結末が目に見えるようじゃないか。やはり無謀な試みは僕が止めなきゃ。未だに横たわる二人の間の溝がますます深まって、マリアナ海溝になってしまわないように。
ぼうっとそんなことを考えていると「さぁ、冷めないうちにお上がり」と、バーナードさんが湯気の立つティーカップをくれた。「えっ」と驚いて、戸惑いをいびつな笑みで誤魔化しつつ「ありがとうございます」、とカップを受け取る。
マークスかな? いつの間に――
入り口にはゲールが立っているのだ。いったい彼はどこから部屋に出入りしたのだろう? と、変なことが気にかかる。とつぜん温かいお茶がローテーブルに置かれているのに、誰もそれを不思議に思わないことも不思議だった。
ドラコは、このアパートメント空間に何らかの呪をかけているのかもしれない。
頭の中ではいろんな疑問がかけ巡り、どうしようかと計算ばかりが先走っていた。だから特に意識することもなく機械的にカップを口に運んだのだ。
こくり。
ほどよい温もりの蜂蜜ミルクティーが喉を流れ、凝り固まった心の襞に染みていく。狭く、固く、檻のように組み合わさっていた思考の結合部が、ガシャガシャと解れていくような気がした。
ほぅっと息をつくと、自然に口許がほころんでいた。
アルには「僕が話すから」と、彼の提案を断るつもりだったのに。任せていいじゃないか、と急にそんな気になった。アルだってもう以前の彼とは違う。僕という仲介なしでドラコと一緒に暮らしているのだ。
意図的に教えてくれない、ということはするけれど、決して嘘はつかないドラコ相手に、一か月以上も。これは、二人は上手くやっていけているってことじゃないか。
僕だって、もっとアルを信じるべきなのだ。
「心配しないで。大丈夫だから」
こつんと彼の肩に額を当てて、そのまま腕を伸ばして微かに震えている背中を緩く抱きしめた。僕は、このアルの動揺に対して責任がある。彼がこんなにも不安に駆られるのは、この夏の、――僕の不誠実さのせいなのだから。
「僕はちゃんとここにいるよ」
アルにだけ聴こえるように声を落として囁いた。ゲールは、僕のことを何て説明したのだろう。こんなに彼を心配させて。
ゲールが悪い訳じゃないけど、八つ当たり的な思いが沸いてしまう。僕はもう絶対に、アルを悲しませたり不安にさせたりしたくないのだ。
「アル、悪いが少し空けてくれ」すいっとアルビーの肩に置かれた手が、そのまま僕の顎先を持ちあげた。バーナードさんがぐいと顔を近づけてきて、僕の瞳を覗きこむ。ぺろりと下瞼を捲られた。
「貧血気味だね。食事が悪いとも思えないし、生来の体質かい? それとも最近無理をしているのかな?」
貧血! 考えたこともなかった。
マークスが聴いたらぷんぷん怒りかねない。毎日あんなにしっかり料理して食べさせてくれているのに。だけど、ドラコの罠に嵌められた、などと言うよりは「貧血」にしておく方が、きっとアルビーは安心する。
「そうかもしれません。最近ちょっと、」
何て言おう?
「忙しくて」
ありきたりすぎかな。
「昼間のこともあるし、大学が始まってからの環境の変化で、疲労が溜まっていたのかもしれないね。夜は眠れているのかい?」
バーナードさんの口調はゲールの言う通りお医者様みたいだ。こくんと釣られるように頷いていた。そうじゃないってことは自分が一番よく知っているのに、なんだか、もしかしてそうなのかもって気になってくるから不思議だ。
アルビーが心配そうに僕を見つめている。このままそういうことにしておく方がいいような気がする。アルビーの肩越しに、入り口に立ったままのゲールに視線を流した。彼が何て説明してくれたのか気になって。だけど彼のしかめっ面に気づいて、僕は慌ててまた目を伏せてしまった。厳しい視線に怖気づいてしまったのだ。
本当のことを話さない僕に呆れているのかな。
ゲールに気を取られていたせいで、バーナードさんの言葉を聞きそびれてしまった。え、と彼に視線を戻す。
何て言われた?
「コウ、もうこのまま休めばいい。寝室へ行こう」
バーナードさんではなく、アルビーが僕の髪を撫でながら言った。
「え、もう平気だよ」頭をしゃんと起こして背筋を伸ばしてみせる。だけどアルビーには「だめだめだめだめ」と眉をひそめたまま小声で連呼されてしまった。
「ゆっくり休んでいて。その間に僕はあいつと話してくるから」
「あいつって? ゲール?」の訳がない。アルは応えずにただ微笑んでいる。
何も言わなくたって、アルはとっくに気づいていたんだ。低い、落ち着いた声だったもの。僕はその中に彼の静かな怒りを感じて何も言えなくなってしまった。
だけど僕のことで、アルビーがドラコと話し合いなんてできるのだろうか? またお互いに好き勝手なことを言い合って終わり。そんな結末が目に見えるようじゃないか。やはり無謀な試みは僕が止めなきゃ。未だに横たわる二人の間の溝がますます深まって、マリアナ海溝になってしまわないように。
ぼうっとそんなことを考えていると「さぁ、冷めないうちにお上がり」と、バーナードさんが湯気の立つティーカップをくれた。「えっ」と驚いて、戸惑いをいびつな笑みで誤魔化しつつ「ありがとうございます」、とカップを受け取る。
マークスかな? いつの間に――
入り口にはゲールが立っているのだ。いったい彼はどこから部屋に出入りしたのだろう? と、変なことが気にかかる。とつぜん温かいお茶がローテーブルに置かれているのに、誰もそれを不思議に思わないことも不思議だった。
ドラコは、このアパートメント空間に何らかの呪をかけているのかもしれない。
頭の中ではいろんな疑問がかけ巡り、どうしようかと計算ばかりが先走っていた。だから特に意識することもなく機械的にカップを口に運んだのだ。
こくり。
ほどよい温もりの蜂蜜ミルクティーが喉を流れ、凝り固まった心の襞に染みていく。狭く、固く、檻のように組み合わさっていた思考の結合部が、ガシャガシャと解れていくような気がした。
ほぅっと息をつくと、自然に口許がほころんでいた。
アルには「僕が話すから」と、彼の提案を断るつもりだったのに。任せていいじゃないか、と急にそんな気になった。アルだってもう以前の彼とは違う。僕という仲介なしでドラコと一緒に暮らしているのだ。
意図的に教えてくれない、ということはするけれど、決して嘘はつかないドラコ相手に、一か月以上も。これは、二人は上手くやっていけているってことじゃないか。
僕だって、もっとアルを信じるべきなのだ。
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