43 / 97
Ⅵ クリスマスチャイルドの受難
42.伝え方が悪くても伝わる相手がいる
しおりを挟む
「おい、しっかりしろよ、コウ!」
ピシャピシャと頬を叩かれる痛みに、目が開いた。
空気の澄んだ冬の空のような――、ショーンやマリーの青よりもずっと明るい空色の瞳が覗きこんでいた。鼻梁に散らばる星屑のようなそばかす、こんな近くで見るまで気づかなかったな。
目を開けてからもぼうっとしたままの僕に苛立ったのか、ほっとしたように緩んでいたゲールの瞳が、すぐにまたきつく釣り上がる。
「なぁ、あいつに何かされたんだろ! コウ、大丈夫? ちゃんと生きてる?」
「生きてるよ」
酷い言われように、つい笑ってしまった。
ゲールは腹立たしげに唇を尖らせていたけれど、僕の返事に今度こそ安堵の笑みを見せてくれた。それから体を捻り、水の入ったグラスを「ほら」と差しだしてくれた。彼の背後で、白薔薇が揺れていた。心配そうに。
そうだ、アルビー……
彼をまたこんなところへ呼び込むわけにはいかない。
視線をゲールに戻した。頭が割れるように痛い。
「ごめん。きみを巻きこんでしまったんだね」
彼もあの場にいたのだろうか――
頭が上手く働かない。
彼はいつの間にここへ来たのだろう。彼女が見つけて、ここへ招いたのだろうか。
僕は確か、アビーと館の庭にいて、それからサンルームで朝食を……
食べたっけ――、僕は、サンルームに行った?
ここはサンルームじゃない。
金づちでカンカン、カンカン殴られているような痛みに頭を押さえ、どうにか半身を起こした。差し出された水を受け取り、目を瞑ってゆっくりと噛みしめ飲みくだす。
ゲールが立ちあがって離れたような気配がした。
再び開かれた視界には、切り花の白薔薇と空っぽの大皿の置かれた食べかすだらけの汚れたローテーブルがあった。その向こうには死人のように血の気のない顔の僕がいて、虚ろな顔でこちらを見ていた。おもむろに見上げた天井にも、幽霊のような僕が映っている。こんな鏡だらけの部屋、あそこにはない。
「ここって、――ロンドン?」
「うん。ナイツブリッジのきみのアパートメント」
水差しを持って同じ位置に戻ってきたゲールが神妙な顔で頷く。
僕の、じゃないけれど。
自然に頬がほころんだ。僕は戻って来られたのだ。本当によかった。
だけど、どうやって帰ってこられたのかまるで判らない。初めからドラコの手違いだったとか? それとも思ったような収穫がなかった? こんなことをするドラコの意図が読めなさすぎる。
あるいは、以前よりもずっと強力になっているはずの地の精霊の結界に弾き戻されたとか。
考えたところで判るはずがない。ドラコ本人に訊ねるほうが早いだろう。素直に教えてくれるかどうかは判らないけれど。
今、置かれている状況などそっちのけで、つらつら考え込んでしまっていた。その間、ゲールは僕が落ち着くの待って声をかけるのを控えてくれていたようだ。
ひとしきりしてようやく、訊きたい事が溢れそうなのにじっと我慢しているような、労わりと厳しさを湛えた瞳で僕を見ている彼に気づいた。
彼の緊張を解すために、そして僕自身の覚悟をつけるために、「お水、もう一杯もらえるかな」とグラスを手渡して頼んだ。
今度は僕が僕のことを話す番なのだ。
僕も彼に負けず劣らず神妙な面持ちになって、深呼吸する。
目を瞑るとまた、まとわりつく白薔薇の香りに錯覚してしまいそうだった。
ここはどこなのか――
二杯目の水を飲み干すと、僕は「あ!」といきなり声をあげて、カーペットに膝をついてしゃがんだままのゲールの肩を掴んで、身を乗り出してしまった。
もしかして、僕の知らない間に彼が僕を連れ帰ってくれたんじゃないか、とそんな突拍子もないことを思いついたのだ。
「えっと、僕はどうしてここにいるのかな?」
我ながら間抜けな質問だと思う。けれど上手い言い方が思いつかなかった。彼ならこんな変なことを訊いても解ってくれるような気がしたのだ。
「窓越しにあいつがいるのに気がついてさ、そこを開けたら、頭にキーンってくる金属を叩いたような声が聞こえたんだ」
軽く頷いてから、ゲールは少し強張った口調で応えてくれた。
「それからきみがいきなり倒れて。めちゃくちゃ焦ったよ。コウ」
ごく当たり前の説明に安堵して、それから少しがっかりした。
彼は、僕が抜けてくずおれた体を部屋の中に運んでくれたのだ。だから、僕はテラスではなくここにいる。それだけだ。僕の意図した答えじゃなかった。
と、ひやりと冷たい手のひらが額に置かれた。心配そうに「本当に平気なの?」、と髪をすくい撫でていく。
田舎のおばあちゃんに頭を撫でてもらっているみたいだ。子どもの頃と同じようにほっとしている自分が気恥ずかしくて、頭を振った。
「心配かけてごめん。こういうこと、よくあるんだ。最近はなかったからさ、気が緩んでいたせいかな。ほんと大したことじゃないんだよ」
本当にそうだと思う。僕自身が夢でも見ていたんじゃないか、って気さえしているのだ。そうじゃない、ってことも解っているのだけれど。
とはいえ、平気かと訊かれれば、平気だと応えるしかない。
僕は、大丈夫だ。
「大したことじゃないわけないじゃん! コウ、きみが行っていた場所は危ないところじゃなかったってこと? それでも、ぶじに帰ってこられたのって奇跡じゃん! こんな――、魂をもぎ取るみたいにして放り込まれたのに! マジ酷すぎる。やっぱりあいつ、悪い妖精じゃん。コウ、あんなやつと付き合ってちゃだめだ! ヴィーがいなかったら、どうなってたか判ったもんじゃないんだぞ!」
まじまじとゲールの険しい顔を見つめてしまった。
早口で、それも僕を心配してというよりも叱りつけるような口調になっているのに。
胸が、どきどきする。
僕の質問、ちゃんと伝わっていたんだってことが、こんなにも嬉しくて――
ピシャピシャと頬を叩かれる痛みに、目が開いた。
空気の澄んだ冬の空のような――、ショーンやマリーの青よりもずっと明るい空色の瞳が覗きこんでいた。鼻梁に散らばる星屑のようなそばかす、こんな近くで見るまで気づかなかったな。
目を開けてからもぼうっとしたままの僕に苛立ったのか、ほっとしたように緩んでいたゲールの瞳が、すぐにまたきつく釣り上がる。
「なぁ、あいつに何かされたんだろ! コウ、大丈夫? ちゃんと生きてる?」
「生きてるよ」
酷い言われように、つい笑ってしまった。
ゲールは腹立たしげに唇を尖らせていたけれど、僕の返事に今度こそ安堵の笑みを見せてくれた。それから体を捻り、水の入ったグラスを「ほら」と差しだしてくれた。彼の背後で、白薔薇が揺れていた。心配そうに。
そうだ、アルビー……
彼をまたこんなところへ呼び込むわけにはいかない。
視線をゲールに戻した。頭が割れるように痛い。
「ごめん。きみを巻きこんでしまったんだね」
彼もあの場にいたのだろうか――
頭が上手く働かない。
彼はいつの間にここへ来たのだろう。彼女が見つけて、ここへ招いたのだろうか。
僕は確か、アビーと館の庭にいて、それからサンルームで朝食を……
食べたっけ――、僕は、サンルームに行った?
ここはサンルームじゃない。
金づちでカンカン、カンカン殴られているような痛みに頭を押さえ、どうにか半身を起こした。差し出された水を受け取り、目を瞑ってゆっくりと噛みしめ飲みくだす。
ゲールが立ちあがって離れたような気配がした。
再び開かれた視界には、切り花の白薔薇と空っぽの大皿の置かれた食べかすだらけの汚れたローテーブルがあった。その向こうには死人のように血の気のない顔の僕がいて、虚ろな顔でこちらを見ていた。おもむろに見上げた天井にも、幽霊のような僕が映っている。こんな鏡だらけの部屋、あそこにはない。
「ここって、――ロンドン?」
「うん。ナイツブリッジのきみのアパートメント」
水差しを持って同じ位置に戻ってきたゲールが神妙な顔で頷く。
僕の、じゃないけれど。
自然に頬がほころんだ。僕は戻って来られたのだ。本当によかった。
だけど、どうやって帰ってこられたのかまるで判らない。初めからドラコの手違いだったとか? それとも思ったような収穫がなかった? こんなことをするドラコの意図が読めなさすぎる。
あるいは、以前よりもずっと強力になっているはずの地の精霊の結界に弾き戻されたとか。
考えたところで判るはずがない。ドラコ本人に訊ねるほうが早いだろう。素直に教えてくれるかどうかは判らないけれど。
今、置かれている状況などそっちのけで、つらつら考え込んでしまっていた。その間、ゲールは僕が落ち着くの待って声をかけるのを控えてくれていたようだ。
ひとしきりしてようやく、訊きたい事が溢れそうなのにじっと我慢しているような、労わりと厳しさを湛えた瞳で僕を見ている彼に気づいた。
彼の緊張を解すために、そして僕自身の覚悟をつけるために、「お水、もう一杯もらえるかな」とグラスを手渡して頼んだ。
今度は僕が僕のことを話す番なのだ。
僕も彼に負けず劣らず神妙な面持ちになって、深呼吸する。
目を瞑るとまた、まとわりつく白薔薇の香りに錯覚してしまいそうだった。
ここはどこなのか――
二杯目の水を飲み干すと、僕は「あ!」といきなり声をあげて、カーペットに膝をついてしゃがんだままのゲールの肩を掴んで、身を乗り出してしまった。
もしかして、僕の知らない間に彼が僕を連れ帰ってくれたんじゃないか、とそんな突拍子もないことを思いついたのだ。
「えっと、僕はどうしてここにいるのかな?」
我ながら間抜けな質問だと思う。けれど上手い言い方が思いつかなかった。彼ならこんな変なことを訊いても解ってくれるような気がしたのだ。
「窓越しにあいつがいるのに気がついてさ、そこを開けたら、頭にキーンってくる金属を叩いたような声が聞こえたんだ」
軽く頷いてから、ゲールは少し強張った口調で応えてくれた。
「それからきみがいきなり倒れて。めちゃくちゃ焦ったよ。コウ」
ごく当たり前の説明に安堵して、それから少しがっかりした。
彼は、僕が抜けてくずおれた体を部屋の中に運んでくれたのだ。だから、僕はテラスではなくここにいる。それだけだ。僕の意図した答えじゃなかった。
と、ひやりと冷たい手のひらが額に置かれた。心配そうに「本当に平気なの?」、と髪をすくい撫でていく。
田舎のおばあちゃんに頭を撫でてもらっているみたいだ。子どもの頃と同じようにほっとしている自分が気恥ずかしくて、頭を振った。
「心配かけてごめん。こういうこと、よくあるんだ。最近はなかったからさ、気が緩んでいたせいかな。ほんと大したことじゃないんだよ」
本当にそうだと思う。僕自身が夢でも見ていたんじゃないか、って気さえしているのだ。そうじゃない、ってことも解っているのだけれど。
とはいえ、平気かと訊かれれば、平気だと応えるしかない。
僕は、大丈夫だ。
「大したことじゃないわけないじゃん! コウ、きみが行っていた場所は危ないところじゃなかったってこと? それでも、ぶじに帰ってこられたのって奇跡じゃん! こんな――、魂をもぎ取るみたいにして放り込まれたのに! マジ酷すぎる。やっぱりあいつ、悪い妖精じゃん。コウ、あんなやつと付き合ってちゃだめだ! ヴィーがいなかったら、どうなってたか判ったもんじゃないんだぞ!」
まじまじとゲールの険しい顔を見つめてしまった。
早口で、それも僕を心配してというよりも叱りつけるような口調になっているのに。
胸が、どきどきする。
僕の質問、ちゃんと伝わっていたんだってことが、こんなにも嬉しくて――
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
夏の扉を開けるとき
萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」
アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。
僕の心はきみには見えない――。
やっと通じ合えたと思ったのに――。
思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。
不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。
夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。
アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。
*****
コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。
注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。
(番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない
すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。
実の親子による禁断の関係です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる