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Ⅴ テラスは風に翻弄される
34.情にほだされると泣きを見る
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「これ、みんなブラウニーが作ったの? すごいよ、噂以上に料理上手じゃん」
なんとなくソファーに座らずつっ立っていた僕に、ゲールが明るく話しかけてきた。だけど彼、喋る合い間にもパイにかぶりつき、頬を膨らませて咀嚼するのに余念がない。
「うん。――きみ、もしかして、ものすごくお腹空いてる?」
テラスからの流れでこうも無邪気にがっつけるって、なんだかすごくないか。一生分でも食べ尽くしそうな勢いなんだけど。
「うん」照れくさそうな笑みを浮かべて、ゲールは皿を膝に下ろした。「それに俺、腹減ってると怒りっぽくなってだめなんだ。まずはそこんとこ。ちゃんと落ち着いて話したいじゃん」
「そうだね。まずはゆっくり食べて。時間は充分あるし焦らなくていいからね」
ああ、そうか、解るような気がする。くつろいで食べてるんじゃない。その逆、緊張してるんだ。これから話さなきゃいけないことに――
それならその前に、食事を楽しんでほしい。ロンドンに来てからの彼の生活の過酷さを聴いてから、できることなら、ここでひと息ついていってほしいと、ずっと思っていたんだ。
僕も日本からこっちに来たばかりの頃は学校の課題をこなすだけでいっぱいいっぱいで、日々の食事にまで気が回らなかった。よく食事を抜いてサラに怒られていた。
せめて、こんな時だけど――
ガラスのローテーブルには、アルビーの言った通りに、いろんな料理を少しづつ取り分けた大皿がいくつも載っていた。そのなかでも、メインの肉類ばかりが減っている。アルビーと僕の分も考えて取り分けてくれているところに、ゲールの性格が見えるようじゃないか。
それに彼も。お酒のつまみに、小さな嘴で飾り切りされた林檎をとても上品に啄んでいる。
僕の分を皿に取り分け「気に入ったなら、これもどうぞ。僕は先に取ってあるから」、とゲールの傍に置いた。
それから僕のイニシャルのピックの刺さった、先ほどアルビーのくれた皿を手に持った。ソファーには座らずにアルの横を回ってその後方、壁際に置かれたアップライトピアノの椅子に浅く腰かけた。
ここでも正面の間仕切りは可動式の鏡壁だ。アルビーが鏡の中の僕を睨んでいる。僕自身には目もくれないのに。
あの仮装パーティーの日から、どれだけ言葉を尽くして説明しても彼は解ってくれないような気がして、言葉は喉に詰まったまま出てこない。
視える世界が違う。同じものを見ていても、捉え方が違う。互いが納得し合えることは決してないんじゃないか、とそんな気がしてならない。
それが悲しいのか、悔しいのか、やるせないのか――、今さらどうこう考えることもないけれど。
それでも、彼の眼差しに火傷したみたいに全身の皮膚がヒリヒリする。ささくれだってポロポロになって崩れてしまいそうだ。
この小さな痛みのせいで落ち着かない。心が波立つ。だから僕は、ついアルビーから顔を背けてしまう。彼をますます怒らせ、悲しませてしまうと解っていても……。
「コウ」
ゲールに呼ばれて、反射的に微笑んでみせた。彼には、僕のぐずぐずした内側を悟られたくない。彼は、関係ないのだから。
「ごめん、コウ。俺、ほんと申し訳ないことをしたと思ってる。きみを待っている間に、彼にも事情を聞いてもらったんだけどさ、」
ぴくっと、反射的に眉が釣りあがった。顔が強張っていくのが自分でも判った。
先にアルと話したって――
「俺、さすがにきみに恋人がいるなんて考えてもみなくてさ。まさか、俺のてんとう虫がそんな相手のところへ行くなんて思わないじゃん。だからほんと、男だとか女だとか関係なくてさ、運命の相手って決められちゃったのは、無効に――」
「ゲール、ほれ、そんなに焦って結論をだしてはいかんぞ、と教えてやったではないか、ほれ」
話の途中で、小鳥がテーブルからパサパサッとゲールの肩へ移動した。侏儒に変化して間髪入れずに口を挟む。
さすが、この侏儒、心得てるな。ゲールの口から言わさないつもりだ。
「火の依代よ、ほれ、ここは一つ腰を据えて、ほれ、この愚かな若者の命に関わる打ち明け話を聴いてもらえんじゃろうか」
白いふさふさした眉毛の下の意外にもつぶらな瞳に見つめられると、なんともふわふわと浮きあがりそうな気分に――
だめだめ、取り込まれるな!
ぎゅっと目を瞑ってうつむいた。この声からしてもう呪術的だ。鳥だからか。そりゃ、声音に掛けては一流だろうさ。
「ほれ、大地の依代は寛大な御心でもって、先にお許しくださったぞ、火の依代よ」
なんとなくソファーに座らずつっ立っていた僕に、ゲールが明るく話しかけてきた。だけど彼、喋る合い間にもパイにかぶりつき、頬を膨らませて咀嚼するのに余念がない。
「うん。――きみ、もしかして、ものすごくお腹空いてる?」
テラスからの流れでこうも無邪気にがっつけるって、なんだかすごくないか。一生分でも食べ尽くしそうな勢いなんだけど。
「うん」照れくさそうな笑みを浮かべて、ゲールは皿を膝に下ろした。「それに俺、腹減ってると怒りっぽくなってだめなんだ。まずはそこんとこ。ちゃんと落ち着いて話したいじゃん」
「そうだね。まずはゆっくり食べて。時間は充分あるし焦らなくていいからね」
ああ、そうか、解るような気がする。くつろいで食べてるんじゃない。その逆、緊張してるんだ。これから話さなきゃいけないことに――
それならその前に、食事を楽しんでほしい。ロンドンに来てからの彼の生活の過酷さを聴いてから、できることなら、ここでひと息ついていってほしいと、ずっと思っていたんだ。
僕も日本からこっちに来たばかりの頃は学校の課題をこなすだけでいっぱいいっぱいで、日々の食事にまで気が回らなかった。よく食事を抜いてサラに怒られていた。
せめて、こんな時だけど――
ガラスのローテーブルには、アルビーの言った通りに、いろんな料理を少しづつ取り分けた大皿がいくつも載っていた。そのなかでも、メインの肉類ばかりが減っている。アルビーと僕の分も考えて取り分けてくれているところに、ゲールの性格が見えるようじゃないか。
それに彼も。お酒のつまみに、小さな嘴で飾り切りされた林檎をとても上品に啄んでいる。
僕の分を皿に取り分け「気に入ったなら、これもどうぞ。僕は先に取ってあるから」、とゲールの傍に置いた。
それから僕のイニシャルのピックの刺さった、先ほどアルビーのくれた皿を手に持った。ソファーには座らずにアルの横を回ってその後方、壁際に置かれたアップライトピアノの椅子に浅く腰かけた。
ここでも正面の間仕切りは可動式の鏡壁だ。アルビーが鏡の中の僕を睨んでいる。僕自身には目もくれないのに。
あの仮装パーティーの日から、どれだけ言葉を尽くして説明しても彼は解ってくれないような気がして、言葉は喉に詰まったまま出てこない。
視える世界が違う。同じものを見ていても、捉え方が違う。互いが納得し合えることは決してないんじゃないか、とそんな気がしてならない。
それが悲しいのか、悔しいのか、やるせないのか――、今さらどうこう考えることもないけれど。
それでも、彼の眼差しに火傷したみたいに全身の皮膚がヒリヒリする。ささくれだってポロポロになって崩れてしまいそうだ。
この小さな痛みのせいで落ち着かない。心が波立つ。だから僕は、ついアルビーから顔を背けてしまう。彼をますます怒らせ、悲しませてしまうと解っていても……。
「コウ」
ゲールに呼ばれて、反射的に微笑んでみせた。彼には、僕のぐずぐずした内側を悟られたくない。彼は、関係ないのだから。
「ごめん、コウ。俺、ほんと申し訳ないことをしたと思ってる。きみを待っている間に、彼にも事情を聞いてもらったんだけどさ、」
ぴくっと、反射的に眉が釣りあがった。顔が強張っていくのが自分でも判った。
先にアルと話したって――
「俺、さすがにきみに恋人がいるなんて考えてもみなくてさ。まさか、俺のてんとう虫がそんな相手のところへ行くなんて思わないじゃん。だからほんと、男だとか女だとか関係なくてさ、運命の相手って決められちゃったのは、無効に――」
「ゲール、ほれ、そんなに焦って結論をだしてはいかんぞ、と教えてやったではないか、ほれ」
話の途中で、小鳥がテーブルからパサパサッとゲールの肩へ移動した。侏儒に変化して間髪入れずに口を挟む。
さすが、この侏儒、心得てるな。ゲールの口から言わさないつもりだ。
「火の依代よ、ほれ、ここは一つ腰を据えて、ほれ、この愚かな若者の命に関わる打ち明け話を聴いてもらえんじゃろうか」
白いふさふさした眉毛の下の意外にもつぶらな瞳に見つめられると、なんともふわふわと浮きあがりそうな気分に――
だめだめ、取り込まれるな!
ぎゅっと目を瞑ってうつむいた。この声からしてもう呪術的だ。鳥だからか。そりゃ、声音に掛けては一流だろうさ。
「ほれ、大地の依代は寛大な御心でもって、先にお許しくださったぞ、火の依代よ」
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