エートス 風の住む丘

萩尾雅縁

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第二章 Ⅳ ホームパーティーのはじまり、はじまり

22.目は口ほどにものを言うのか

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 言っていた通りに、時間よりも少し前にやってきたバーナードさんと書斎で話した。
 
「まだ眠そうだね、ゆっくり休めた?」
 向けられた温かな眼差しに、どっちつかずの微笑で返した。彼もすべてを察してくれているかのように微笑んで「夢は見たかい?」と続けて訊いた。

「――夢、どうだったろう。アルの夢を見たかも」
 そんな気がする。アルビーが嬉しそうに何か言っていた、ような。
「でも、もう思い出せません」
 なんだか、大事なことを言っていた気がするのに。


 寝起きが悪すぎるからだ。マリーのせいで。いつの間にか来て、いきなり煩くしゃべりかけて起こすから。
 まるで生まれたての雛の囀りを聞いているみたいだった。
 ギャ、ギャ、ギャって、要求ばかり。


 それから書斎に移って目覚ましのコーヒーを飲んだのに、頭はぼーとしたまま。目が覚め切ってない感じがする。
 カップを片手に、マリーとバーナードさんのやり取りを眺めていた。仕切りのカーテンを開け放っていたから、ダイニングが丸見えだったのだ。

 彼を案内してきたマークスに、マリーはいち早く気づいて寄って行った。マークスは右へ左へと伸びあがって牽制したのに、彼女の眼中には入ってなかったようだ。当然のようにバーナードさんは足止めされた。
 だけど話しかけてきた彼女にお土産のワインだかシャンパンだかを手渡すと、彼はとてもそつなく話を切り上げた。
 おかげでそれ以上マリーに邪魔されることなく、すんなり面談時間を持つことができた。
 きっと、僕じゃこうはいかなかっただろう。


 カーテンは、今はきっちり閉められている。ほとんど黒のような、床と同じ焦茶こげちゃ色の。それにキッチンと同じ鏡張りの天井、壁。ここはまるで穴倉だ。


 バーナードさんは「そう」と言ったきり話題を変えて、僕の体調のこと訊き、いつものように今週の出来事を尋ねた。

 ちょっと会話に隙間ができると、注意力が脇に流れていく。
 しっかりしなきゃ、とコーヒーをもう一口飲んだ。このカップには色は付いていなくて、白磁に金彩で繊細な花の絵が描かれている。


「あ、新しい友だちができました」
 そうだ、ゲールのことを話しておかなければ。
「友達? それは良かったね」

 にこやかに微笑んでくれるこの人に対して、なんだか鼻が高い気分だった。僕にだって友達くらい作れるんだって自慢しているような。そんなくすぐったい気持ちだ。

「それで、今日のホームパーティーに彼も招いているんです」

 同じ史学科の子で話も合うのだ、とひとしきり彼のことを話した。バーナードさんは、にこにこと頷きながら、特にコメントすることもなく聴いてくれていた。

 一区切りついたところで、「それは僕にとっても有難いな。期せずして、きみの環境に触れることができるわけだ」と言われた。僕にはそれがどういう意味なのか、判らなかった。
 環境に触れる――って、ここは僕が暮らしている家じゃないのに。それは彼だって知っている。僕のことをよく知っている人たちに逢える、という意味だろうか。

「でも、ゲールとはまだ知り合ったばかりで、一度話しただけで……」

 そうなのだ。まだ、たった一度会っただけ。それなのに僕は、彼をこの家に迎え入れることを考えているのだ。ショーンが心配するはずだ。

 だけど、彼は変なやつじゃないと思うし、自分が軽はずみなことをしているとも、取りたてて思わない。いや、どうなんだろう――。
 だからショーンが見極めてくれる。そんな話になったんじゃないか。そうだ、バーナードさんにもマリーにも、後から彼の印象を教えてもらおう。

「実は、彼にこの家の部屋を貸そうかと考えているんです。彼、この前の大雨で下宿先を移らなくてはならなくなって、困っていたので」
「ここの? ハムステッドじゃなくて?」
「向こうの家はもう空き部屋がなくて。それに大学まで遠いですし」
「ああ、確かに。ここからなら便利だな。僕が借りたいくらいだ」
「え、でも、デンマークヒルなら――」
「ユニバ―シティー・カレッジUCLとの共同研究で、しばらくの間、ブルームズベリーに通わなくちゃいけなくてね」

 なるほど。ここなら、UCLのあるブルームズベリーまで、地下鉄で20分ほどだ。デンマークヒルからでは一時間近くかかるだろうから、ちょうどいい中継地点になる。

 まったく――、こんな必要のない、頼んでもいない改装さえしていなければ、どうぞうちを使ってください、って意気揚々と言えるのに!

 黙りこんでしまった僕を見つめて、バーナードさんは、軽く眉を上げてにっこりした。

 後から考えると、僕はこの時、とても怒ったような、困ったような顔をしていたのではないだろうか。
 彼の笑みは、それを目にした僕の方が申し訳なくなるような、困らせるつもりはなかった、すまない、とでも語っているような、とても優しい笑みだったのだ。 



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