霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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エピローグ

186 虹のたもとに1

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 六月に入って、アルビーはまた忙しい日常に戻り、僕は無事大学進学準備ファウンデーションコースを終えた。規定を満たす成績を取れたので、九月からキングス・カレッジで民俗学を専攻することができる。もちろん、ショーンも一緒だ。マリーも最終試験を終えてほっとしている。
 
 僕たちはアルビーにプレゼントしてもらったチケットで、大学の学園祭にも参加した。彼のくれたディナージャケットが早速役に立ったわけだ。
 ドレスアップした彼らと並ぶ僕は、どうにも写真館で撮る記念写真の中の大人びた恰好をした子どもみたいで、居た堪れないほど恥ずかしかった。
 大学に入ったら、しょっちゅうこんな格好をしなくてはならないなんて、僕は留学したことを初めて後悔したほどだよ。
 でも、こればかりは、郷に入っては郷に従えなので諦めるより仕方ない。


 アルビーも研究員として大学に残るので、秋からはまたこれまでと変わらない一年が始まる、と勝手に思っていた。だから、夏の間に一時帰国しようかな、と。
 彼にそう告げると、
「九月から、ドイツの大学に客員研究員として留学することに決まっているんだ」
 と、唐突に告げられた。
「だから夏は一緒に過ごそうよ。しばらく会えなくなる訳だから」
 なんて甘えるような声音で囁きながら、僕のうなじをくすぐる。

 そういう大事なことは、もっと早く言ってよ!

 ぷん、と膨れた僕の顔を見て、彼は逆に嬉しそうにクスクス笑っている。

 酷いよ、アルビー。
 腹が立つと言うか、哀しいというか、なんだかもう頭の中がごちゃごちゃで上手く思考が回らない。

「どのくらいの期間?」
「取り敢えず、一年間ほど」
「クリスマスには帰って来る?」
「もちろん。イースターにはコウが遊びに来てもいいんだよ」
「そんな先のこと、考えられないよ」

 僕の定位置に額をのせ、彼の背中に腕を回す。

「これをあげる」
 僕の腕の下から、僕には見えないようにそっと胸ポケットに何かを入れた。身体を離し、確かめた。
「アビゲイルのペン……」
 あのメタルブルーの夜空のような万年筆ペンだ。
「どんなに離れても、このペンがきみを僕の許へ導いてくれる」
「信じてるんだ?」
「アーノルドのおまじないよりはね」
「ありがとう」
 ペンを握り締め、もう一度彼の首筋に腕を回す。

 
 儀式なんかに頼らなくても、アビゲイルはアーノルドのことが好きだった。アンナと一緒に訪れた彼の展覧会に、彼女はわざとこのペンを落としてきたんだ。彼と話すきっかけが欲しくて。

 この家に来たきっかけを話した時、アンナがこっそりと教えてくれた。「スティーブには内緒よ。純粋なアビーを計算高い女だなんて思われたら癪だもの」て。

 これが本当の始まりの物語。恋を成就するための儀式が茶番だった理由。本当は、アーノルドに必要だったのはほんの少しの勇気だけだったんだ。





「ちょっと、居間でいちゃいちゃするのはやめてよね」
 マリーの嫌味な声にも、もう慣れた。まったく、感傷に浸らせてもくれないなんて……。
「それで、コウ、どうする? アルがいなくなったら、あんたがアルの部屋を使う? 今だってあんたの部屋、物置と変わりないんだし」

 たった今話を聞いたばかりなのに、マリーはホント、容赦ない。現実をどんどんと突き付けて来る。

「あんたがアルの部屋へ移ったら、あの部屋を友だちに貸したいのよね。あんたが来てからのこの一年は刺激的だったし、シェアメイトを増やすのも面白いと思うの」
「いなくなったらと言わず、今すぐだって僕は構わないよ」
 真顔でアルビーが僕を見つめる。
 まぁ、確かに、自分の部屋にいるのなんて、着替えを取りに行く時くらいだけど……。

「友だちって、女の子だよね?」
 なんだか上手く想像がつかない。大学進学準備ファウンデーションコースにいた女の子たちとは、結局一年近く接していても、授業以外で言葉を交わすことはなかったから。
 上手くやって行けるかどうか、考えるよりも先に緊張してしまう。

「ミランダ」

 僕を見て意地悪く微笑んだマリーに、僕はちょっと首を傾げた。なんだか聞き覚えがあるような、ないような……。

「ミラよ。ほら、あんたの仲良しの下半身バカと付き合ってる、」

 ショーンの彼女!

「あの子と暮らすの?」

 明らかに、アルビーは不快感をあからさまにしている。マリーは、チラチラと彼のことを気にしている素振りを見せながらも、毅然と言い放つ。

「いいでしょ? アルはいないんだもの。あの子、馬鹿だけど一緒にいて楽しいし、一番気が合うのよ」

 僕の立場は思い遣ってくれないの、マリー……。

 彼女がここへ越して来ると言うのなら、僕はどこか別の家を探すべきなのかもしれない。それか、寮へ戻るか……。

「さすがに、上手くやっていける自信がないよ、マリー」


 なんとも居た堪れない気持ちで、僕は彼女を見つめて呟いた。







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