霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅳ 初夏の木漏れ日

183 器1

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 アルビーが戻って来た時、僕はまた居間のソファーで寝こけていた。今日は本当にどうしたんだろう、ってくらい眠ってばかりいる。
 彼は「夕飯はちゃんと食べた?」と訊ね、僕が首を振ると、苦笑して鞄からテイクアウェイの容器を取り出して並べた。チャーハンと中華スープだ。どちらもすっかり冷めきっていた。

 お礼を言って食べている間に、彼はジャスミン茶を淹れてくれた。なんだか最近、立場が逆転している。たるみ過ぎているのかな、僕は……。

「コウはどうしていつも、あんなにまめまめしく働くのか、ずっと不思議だったんだ。やっと最近解るような気がしてきたよ」
「好きでやっているんだよ」
「うん。コウは僕が好きってことだね。僕も、食事を用意してお茶を淹れるだけでコウがこんなに喜んでくれて、疲れている時にちゃんと休憩を取ってくれて、僕に笑顔を向けてくれる。それで幸せを感じている。そういうことだろ?」
「それもあるけれど、それだけじゃないよ。この家はアンナとスティーブの愛情がいっぱい詰まっているだろ? 僕も大切にしたいんだよ」
「ありがとう」

 アルビーは嬉しそうに、にっこりと笑った。それから僕の膨らんだ頬を指でつついた。「口に入れ過ぎ。そんなに焦って食べなくても大丈夫だよ」って。

 だって、もう夜も大分遅かったんだ。話がしたい、とわざわざ帰って来てもらったけれど、論文の訂正を終えてから、アルビーは大学の仕事や研究で帰宅時間はいつも遅く、大学に泊まり込むことも度々あった。休息が必要なのは彼の方だもの。
 ほら、今だってやっぱり疲れて見える。僕なんかよりもずっと。

「明日にしようか。アルビーも、早く休みたいだろ?」
「構わないよ。コウの話したいことが気になって、きっと眠れないもの」
 クスクス笑いながら、空になったマグカップにお茶を足してくれている。

 こう期待されると却って言い出し辛くなってしまう。
 だって、言った方が良いことなのか、そうじゃないのか、僕はこの時点でも、まだ決めかねているんだ。考えようとすると、引きずり込まれるように眠りに落ちていて……。

 ジャスミン茶の花の香りに、ふっと意識が醒めるような気がした。

「アルビー、僕はこれから、きみからしたら信じ難い、突飛なことを言い出すかもしれない。これは僕の学んできた魔術的な見解で、きっと一般的な常識からは受け入れ難いことなのだと思う。僕自身はその辺の境界が曖昧で、何が人を不快にさせてしまうか、ってことにとても疎いんだ」
「そういう世界の、特殊な思考をする人たちがいるってことは、前に話してくれた内容でだいたい解っているつもりだよ。そのことで、コウ自身に偏見を持ったりしないから。心配しないで」
「僕の言うことを信じられなくても、受け入れられなくても、僕は気にしないから。ただ、これが僕の知り得た事実なんだ、てことだけ解って」
「うん。きみが僕に伝えたいと思ってくれていることは、真摯に受け止めるよ」

 アルビーは微笑を湛えて、おっとりと落ち着いた柔らかな声音で応じてくれた。きっとこれがショーンの言う、彼の職業的スタイルだ。何でも喋りたくなってしまうという……。余計なことまで言わないように気をつけなくちゃ。

「アーノルドの家で、彼と一緒に席を外しただろ? あの時、彼に確認したことなんだ」
「うん」
 彼は表情を改めて、静かに頷いた。意外、って感じでもなさそうだ。彼自身、訊きたかったことなのだろう。
「二度目の儀式のことを訊ねたんだ。僕の憶測は間違っていないか、と」
「憶測って?」
「確証はほとんどなかったんだ。ただ、彼ならそれを願うのではないかと思っただけで」
「アーノルドは何を望んだの?」
「アビゲイルとの永遠」
「彼女の墓で話してくれたことだね」

 軽く眉根を寄せ、アルビーは皮肉気に微笑んだ。

「アルビー、この人形を手に取ってみてもいいかな?」

 僕の唐突な問い掛けに、彼は訝し気に僕を見つめ、僕が意味もなく、気まぐれにそんなことを言い出したのではないことを見て取って、黙って飾り棚のガラス扉を開いた。

 




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