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Ⅳ 初夏の木漏れ日
174 墓地
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次にタクシーから降り立ったのは、やはり灰色の石造りの小さな教会の前だった。すぐに済むから、とアルビーは、そのまま待っていてくれるようにと運転手に頼んでいる。
蔦の絡まるその教会はまるで遺跡みたいだ。こんな急傾斜の屋根は、ロンドンやコーンウォールでは見なかった。イングランドの北西部に位置するこの地域は、雪がたくさん降るのだろうか? 今は、雪ではなく草と蔦に埋もれているけれど。
その横手に見える墓地も青々と生い茂る雑草の中、ぽつん、ぽつんと申し訳程度に墓石が並ぶ。ヒナギクに似た白い花が咲いているのが、この侘しさからのせめてもの救いだ。しんと静まり返ったこの場所に聞こえるのは、さわさわと草を揺らす風の音だけ。
この場所に一人眠るアビゲイルの墓は、その類まれな美貌で一世を風靡したファッションモデルのものとは思えない、簡素なただの四角い石碑だった。
その墓前に、アルビーは持参した白薔薇の花束をそっと置く。頭を垂れ、黙祷を捧げる。僕も慌てて彼に習う。
若くしてアルビーを、そして夫を残して逝った、彼女の無念に想いを馳せた。
は、っと息を吐き出し、アルビーは苦笑した。
「僕を諦めれば良かったのに。今の彼の状況を知ることができたなら、彼女だって考えを変えただろうに。義父母への意地なんかで産むんじゃなかったって」
「それは違うよ、アルビー」
「何が違うって言うんだ!」
吐き捨てるように言う彼に、何て説明すればいいんだろう? 僕だって、アビゲイルの心が解るわけじゃない。だけど……、だけどそれは違う、てことだけは解る。
本当のことを……。アーノルドが何故ああなってしまったのか、本当のことを告げれば、アルビーは楽になれるだろうか?
「アルビー……、」
真実が、喉元まで出かかった。
「ケルト神話の世界は、多重構造なんだ。僕たちのいるこの世界には、別の世界が重なっている。魔法陣は異界への道を開く扉なんだ。アーノルドは、再び四大精霊の人形を作り、精霊たちにアビゲイルの延命を望んだ。精霊たちは彼の望みを叶えた。彼女の魂を永遠の中に閉じ込めたんだ」
「よく、解らないな」
「きみの教えてくれた『虹の橋』の歌。
緑の草原に、なだらかな丘
温かな満ち足りた美しい場所
あの虹のふもとに彼女はいるんだ。天国には向かわずに、そこでアーノルドを待っている。そして、アーノルドもその場所にいるんだ。身体は地上に残したまま、彼の魂はアビゲイルと暮らしているんだ」
「それが二度目の精霊の人形の制作の理由? 依頼者は? 彼らが何のために人形を作らせたのか、ちっとも見えてこないよ」
彼らが依頼したんじゃない。アーノルドが見様見真似の儀式で、彼らを呼んだのだ。でもあれは召喚の儀式なんかじゃない。精霊を受肉させるための儀式だ。アーノルドに扱えるようなものじゃなかったんだ。
それでも、秘儀に触れられたことで、彼らは来たのだ。完全にアーノルドの記憶を封じ込めるために。そしてもうひとつの目的を果たすために。
「地の精霊の宝は何だと思う、アルビー」
「え? 宝……」
「判らないよね。僕も判らなかった」
アルビーは眉根を寄せて、真剣に考えている。
「地の精霊だろ? ……金かな? それとも宝石?」
「白雪姫だよ。そして、その血を受け継ぐ者。きみだよ」
訳が解らない、とアルビーはぽかんとした顔で僕を見ている。
「アビゲイルのお腹の子と引き換えに、精霊は儀式を執り行った。アーノルドには望み通り、アビゲイルとの永遠を。等価交換だ。「取り換え」したんだよ。アビゲイルの命の継承が彼らの望み。それが、彼女自身の望みでもあったからだよ」
――だから、アーノルドの世界に、アルビーは、いない。
彼の中には、アルビーは存在しない。
お腹の子は女の子だったから。アビゲイルは子どもを諦めることに同意してくれたのだから。女の子には爵位は継げないから、両親にとやかく言われることもないのだから。
だから病気を克服して元通りの生活を送っている、と。彼はそんな都合の良い妄想世界に生きている。
そして、諦めた子どもの代わりに、今も、女の子の人形だけを作り続けているんだ。
――アーノルドの中に、きみは、いないんだ。
口にすることはできない言葉の代わりに、涙がこぼれ落ちていた。絶対に泣くまいと決めていたのに。僕が泣いちゃいけない。いけないのに。
「ありがとう、コウ。それが嘘でも、……きみの立てた仮説に過ぎなくても、僕は嬉しいよ」
アルビーの腕が僕を抱き寄せる。僕の頭を掻き抱く。髪の毛に長い指を差し込んで、ぎゅっと胸に押し付ける。
「もう充分だ」
一滴の涙のように、その言葉は零れて落ちた。僕の、胸の中に。
蔦の絡まるその教会はまるで遺跡みたいだ。こんな急傾斜の屋根は、ロンドンやコーンウォールでは見なかった。イングランドの北西部に位置するこの地域は、雪がたくさん降るのだろうか? 今は、雪ではなく草と蔦に埋もれているけれど。
その横手に見える墓地も青々と生い茂る雑草の中、ぽつん、ぽつんと申し訳程度に墓石が並ぶ。ヒナギクに似た白い花が咲いているのが、この侘しさからのせめてもの救いだ。しんと静まり返ったこの場所に聞こえるのは、さわさわと草を揺らす風の音だけ。
この場所に一人眠るアビゲイルの墓は、その類まれな美貌で一世を風靡したファッションモデルのものとは思えない、簡素なただの四角い石碑だった。
その墓前に、アルビーは持参した白薔薇の花束をそっと置く。頭を垂れ、黙祷を捧げる。僕も慌てて彼に習う。
若くしてアルビーを、そして夫を残して逝った、彼女の無念に想いを馳せた。
は、っと息を吐き出し、アルビーは苦笑した。
「僕を諦めれば良かったのに。今の彼の状況を知ることができたなら、彼女だって考えを変えただろうに。義父母への意地なんかで産むんじゃなかったって」
「それは違うよ、アルビー」
「何が違うって言うんだ!」
吐き捨てるように言う彼に、何て説明すればいいんだろう? 僕だって、アビゲイルの心が解るわけじゃない。だけど……、だけどそれは違う、てことだけは解る。
本当のことを……。アーノルドが何故ああなってしまったのか、本当のことを告げれば、アルビーは楽になれるだろうか?
「アルビー……、」
真実が、喉元まで出かかった。
「ケルト神話の世界は、多重構造なんだ。僕たちのいるこの世界には、別の世界が重なっている。魔法陣は異界への道を開く扉なんだ。アーノルドは、再び四大精霊の人形を作り、精霊たちにアビゲイルの延命を望んだ。精霊たちは彼の望みを叶えた。彼女の魂を永遠の中に閉じ込めたんだ」
「よく、解らないな」
「きみの教えてくれた『虹の橋』の歌。
緑の草原に、なだらかな丘
温かな満ち足りた美しい場所
あの虹のふもとに彼女はいるんだ。天国には向かわずに、そこでアーノルドを待っている。そして、アーノルドもその場所にいるんだ。身体は地上に残したまま、彼の魂はアビゲイルと暮らしているんだ」
「それが二度目の精霊の人形の制作の理由? 依頼者は? 彼らが何のために人形を作らせたのか、ちっとも見えてこないよ」
彼らが依頼したんじゃない。アーノルドが見様見真似の儀式で、彼らを呼んだのだ。でもあれは召喚の儀式なんかじゃない。精霊を受肉させるための儀式だ。アーノルドに扱えるようなものじゃなかったんだ。
それでも、秘儀に触れられたことで、彼らは来たのだ。完全にアーノルドの記憶を封じ込めるために。そしてもうひとつの目的を果たすために。
「地の精霊の宝は何だと思う、アルビー」
「え? 宝……」
「判らないよね。僕も判らなかった」
アルビーは眉根を寄せて、真剣に考えている。
「地の精霊だろ? ……金かな? それとも宝石?」
「白雪姫だよ。そして、その血を受け継ぐ者。きみだよ」
訳が解らない、とアルビーはぽかんとした顔で僕を見ている。
「アビゲイルのお腹の子と引き換えに、精霊は儀式を執り行った。アーノルドには望み通り、アビゲイルとの永遠を。等価交換だ。「取り換え」したんだよ。アビゲイルの命の継承が彼らの望み。それが、彼女自身の望みでもあったからだよ」
――だから、アーノルドの世界に、アルビーは、いない。
彼の中には、アルビーは存在しない。
お腹の子は女の子だったから。アビゲイルは子どもを諦めることに同意してくれたのだから。女の子には爵位は継げないから、両親にとやかく言われることもないのだから。
だから病気を克服して元通りの生活を送っている、と。彼はそんな都合の良い妄想世界に生きている。
そして、諦めた子どもの代わりに、今も、女の子の人形だけを作り続けているんだ。
――アーノルドの中に、きみは、いないんだ。
口にすることはできない言葉の代わりに、涙がこぼれ落ちていた。絶対に泣くまいと決めていたのに。僕が泣いちゃいけない。いけないのに。
「ありがとう、コウ。それが嘘でも、……きみの立てた仮説に過ぎなくても、僕は嬉しいよ」
アルビーの腕が僕を抱き寄せる。僕の頭を掻き抱く。髪の毛に長い指を差し込んで、ぎゅっと胸に押し付ける。
「もう充分だ」
一滴の涙のように、その言葉は零れて落ちた。僕の、胸の中に。
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