177 / 193
Ⅳ 初夏の木漏れ日
172 訪問4
しおりを挟む
「ほう、火の精霊の人形に似た友人がいるのかい? 奇遇だな。昔、私にもそんな友人がいたんだよ」
「……人形の、モデルにされたそうですね」
どんなつもりで、アルビーがこの話を持ち出したのかは判らない。でも、この機会を逃す訳にはいかないのだろう。もう僕には、確かめる必要はなかったのだけれど……。
「ああ、彼らの容姿は際立っていたからね」
湖面が揺らぎ、飛沫が上がるように彼の瞳の中で光がはぜる。
「再会した時も、全く年月の経過を感じさせない不思議な連中だった」
「では、二度目の儀式も成功したのですね」
僕の問い掛けに、アーノルドの表情が硬く強張った。
「僕も同じ儀式を執り行ったことがあります」
立ち上がり、アーノルドの背後に回って彼の耳許で囁いた。火蜥蜴の用いた呪文の触りを、一文だけ。たとえ一文であっても、アルビーに聴かせる訳にはいかないから、羽虫の羽音のような小声で。
でも、彼にはそれで充分だったみたいだ。
「彼らに逢ったのかい? 彼らは今どこにいる?」
「それをあなたにお訊ねしたくて。どこで、彼らに出逢ったのですか?」
自分の席に戻る途中で、アルビーの肩に一瞬手のひらを重ねた。席に座り直し、チラリと視線を向けた。彼は眼を伏せたままだ。
「昔のことだ」
アーノルドは、大きく眼を瞠ったまま頭を振る。
「でも忘れられない。そうですね?」
僕は畳みかけるように問い掛けた。
「夢の中のような記憶なんだよ」
アーノルドのあの張り詰めた瞳が緩み、細まり、遠い記憶を探るように彷徨っている。
「夏至の頃だったと思う。湖のほとりで、本をもらった。魔術に関する本で、私は当時、そんな魔術に興味を持ち始めたばかりで……」
断片的で、とりとめのない言葉が続く。この記憶は本物だろうか? そんな疑念が湧いて来る。夢の中で出逢っていても、現実の出来事でも、おそらく今の彼には区別なんてつかないだろう。
彼からはやはり、彼らに関する情報なんて何も引き出せないに違いない。
僕は、その記憶の断片を遮って、質問を変えた。
「では、儀式に使ったアビゲイルの人形はそれですか?」
正面の人形の置かれた椅子を指さした。
「きみ、何てことを言うのだ!」
怒声と共に、アーノルドが椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。僕は「すみません」と直ぐに謝って、視線で彼を戸口に誘った。
アーノルドは苦々し気な顔付きで頷き、ちらりと横の人形の置かれた席に視線を留めると、「すぐ戻るからね」と、静かに椅子を引いた僕に続いてこの部屋を出た。
ドアを閉め、彼は深く息を吸い込む。
「家内は病気なんだ。言葉に気をつけてくれ」
「失言でした。申し訳ありません。それで……」
「あの人形が今どこにあるかは知らんよ。彼らが持って行ってしまった。きみは、あの儀式のことを彼らに聞いたのかい?」
「召喚の儀式ですか? それとも、奥さんの……」
「何もかも、知っているんだな……」
深いため息が聞こえる。こうしていると、この彼が病気だなんてとても思えない。だけど、そうなのだ。そしてこの病が、彼自身だけでなく、アルビーをもずっと苦しめ続けているのだ。
アーノルドのために、そしてアルビーのために、僕にできることがあるのだろうか……。
僕が今、ここにいる理由は……。
頭の中が煮えくり返って沸騰しそうだ。また熱が出そうだ。きっとアルビーが心配する。
僕はその熱を払い飛ばすように、頭を振った。
「お話、ありがとうございました」
「私は、彼らにまた逢うことができるだろうか?」
「願いは全て成就なされたのでしょう?」
アーノルドは、わなわなと唇を震わせ、絞り出すように言った。
「後悔している」
「何をですか?」
「妻と子どもと、両方望めば良かった」
泣き出しそうな気持ちを押さえつけ、僕は彼の手を取り両手で握り締めた。彼を慰める言葉をかけたかったのに、いい言葉が思いつかなかった。こんな時、僕は本当に役に立たない。申し訳ないほどに……。
アーノルドは、ポンポンッと僕の肩を二度叩き、再び居間に続くドアを開けた。アルビーが立ちあがり、静かに告げた。
「そろそろ、お暇する時間のようです。お茶をごちそうさまでした」
「……人形の、モデルにされたそうですね」
どんなつもりで、アルビーがこの話を持ち出したのかは判らない。でも、この機会を逃す訳にはいかないのだろう。もう僕には、確かめる必要はなかったのだけれど……。
「ああ、彼らの容姿は際立っていたからね」
湖面が揺らぎ、飛沫が上がるように彼の瞳の中で光がはぜる。
「再会した時も、全く年月の経過を感じさせない不思議な連中だった」
「では、二度目の儀式も成功したのですね」
僕の問い掛けに、アーノルドの表情が硬く強張った。
「僕も同じ儀式を執り行ったことがあります」
立ち上がり、アーノルドの背後に回って彼の耳許で囁いた。火蜥蜴の用いた呪文の触りを、一文だけ。たとえ一文であっても、アルビーに聴かせる訳にはいかないから、羽虫の羽音のような小声で。
でも、彼にはそれで充分だったみたいだ。
「彼らに逢ったのかい? 彼らは今どこにいる?」
「それをあなたにお訊ねしたくて。どこで、彼らに出逢ったのですか?」
自分の席に戻る途中で、アルビーの肩に一瞬手のひらを重ねた。席に座り直し、チラリと視線を向けた。彼は眼を伏せたままだ。
「昔のことだ」
アーノルドは、大きく眼を瞠ったまま頭を振る。
「でも忘れられない。そうですね?」
僕は畳みかけるように問い掛けた。
「夢の中のような記憶なんだよ」
アーノルドのあの張り詰めた瞳が緩み、細まり、遠い記憶を探るように彷徨っている。
「夏至の頃だったと思う。湖のほとりで、本をもらった。魔術に関する本で、私は当時、そんな魔術に興味を持ち始めたばかりで……」
断片的で、とりとめのない言葉が続く。この記憶は本物だろうか? そんな疑念が湧いて来る。夢の中で出逢っていても、現実の出来事でも、おそらく今の彼には区別なんてつかないだろう。
彼からはやはり、彼らに関する情報なんて何も引き出せないに違いない。
僕は、その記憶の断片を遮って、質問を変えた。
「では、儀式に使ったアビゲイルの人形はそれですか?」
正面の人形の置かれた椅子を指さした。
「きみ、何てことを言うのだ!」
怒声と共に、アーノルドが椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。僕は「すみません」と直ぐに謝って、視線で彼を戸口に誘った。
アーノルドは苦々し気な顔付きで頷き、ちらりと横の人形の置かれた席に視線を留めると、「すぐ戻るからね」と、静かに椅子を引いた僕に続いてこの部屋を出た。
ドアを閉め、彼は深く息を吸い込む。
「家内は病気なんだ。言葉に気をつけてくれ」
「失言でした。申し訳ありません。それで……」
「あの人形が今どこにあるかは知らんよ。彼らが持って行ってしまった。きみは、あの儀式のことを彼らに聞いたのかい?」
「召喚の儀式ですか? それとも、奥さんの……」
「何もかも、知っているんだな……」
深いため息が聞こえる。こうしていると、この彼が病気だなんてとても思えない。だけど、そうなのだ。そしてこの病が、彼自身だけでなく、アルビーをもずっと苦しめ続けているのだ。
アーノルドのために、そしてアルビーのために、僕にできることがあるのだろうか……。
僕が今、ここにいる理由は……。
頭の中が煮えくり返って沸騰しそうだ。また熱が出そうだ。きっとアルビーが心配する。
僕はその熱を払い飛ばすように、頭を振った。
「お話、ありがとうございました」
「私は、彼らにまた逢うことができるだろうか?」
「願いは全て成就なされたのでしょう?」
アーノルドは、わなわなと唇を震わせ、絞り出すように言った。
「後悔している」
「何をですか?」
「妻と子どもと、両方望めば良かった」
泣き出しそうな気持ちを押さえつけ、僕は彼の手を取り両手で握り締めた。彼を慰める言葉をかけたかったのに、いい言葉が思いつかなかった。こんな時、僕は本当に役に立たない。申し訳ないほどに……。
アーノルドは、ポンポンッと僕の肩を二度叩き、再び居間に続くドアを開けた。アルビーが立ちあがり、静かに告げた。
「そろそろ、お暇する時間のようです。お茶をごちそうさまでした」
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
理香は俺のカノジョじゃねえ
中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。
目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる