173 / 193
Ⅳ 初夏の木漏れ日
168 後悔
しおりを挟む
「田舎だ……」
ウィンダミア駅に降り立った感想は、この一言に尽きる。
ぽかんとした間抜け面で三百六十度見廻していた僕を見て、アルビーはクスクスと笑っていた。
春の旅行のコーンウォールだって、こんな田舎だった。驚くことはないはずなのに。だけど、潮の香りの漂っていた彼の地とは違って、ここはなんだか郷愁を感じさせる田舎感で……。
白い板壁に灰色の屋根。横に伸びる駅舎。単線だけの小さな駅だ。有名な観光地、湖水地方の入り口となる駅なのに閑散としている。
駅から一歩出てみると、緑にそよぐ樹々に囲まれた広々とした駐車場があり、沢山の車が停まっていた。その向こうにはモダンな洒落たデザインの店舗や、大きなスーパーマーケットもあって、干からびた町という訳でもなさそうだ。
タクシー乗り場からまた一時間、と思いきや、十分ほどで着いた。先に今晩泊まるホテルにチェックインしておくのだそうだ。
真っ白な外観の瀟洒な建物の向かいには、午後の陽射しを照り返す広大なウィンダミア湖が広がっている。その岸辺に、白いマストが空に伸びるヨットが幾つも停泊している。
そして湖畔を囲むように連なる稜線。どこか郷愁を掻き立てられると思ったのは、このせいだ。
この、見渡す限りの地平線と、丘陵くらいしか見られなかった平坦な英国にも、山があったんだよ!
そりゃ、日本の山々に比べればずっと低いけどさ。
「コウ、行くよ」
またぼんやりと景色に見とれていると、ぽんっと肩を叩かれた。慌てて頷いて後に続く。クラシカルな外観にそぐわず、中はモダンな内装だ。でも、その豪華な印象は変わらない。緊張してぎくしゃくしたままアルビーの後について行く。彼は手慣れたもので、さっさとチェックインを済ませて振り返ると、軽く頭を振って微笑んでいた。
「くたびれただろ? 部屋で少し休んでから出掛けようか。それとも、お茶にする?」
「さすがに、もうお腹がたぽたぽだよ」
僕は苦笑いして答えた。紅茶とコーヒーは、しばらく欲しくない。
それよりも、白でモールディングされた灰紫色の洒落た内装のこの部屋に見惚れて、ため息ばかりついていた。人形芝居の額縁舞台のようなカーテンに囲われた窓からは湖が一望でき、とても贅沢な気分に浸ってドキドキしていたんだ。
「ボランティアに来ているのに、こんな贅沢なところに泊まっていいのかな」
「ボランティアはおまけ。コウと旅行に来たかったんだ」
また、アルビーはクスクス笑っている。
嘘つき。
僕は唇を尖らせて彼を睨む。
「これでも、いろいろ後悔していることがあるんだよ」
そう言いながら、アルビーは僕をふわりと抱き寄せた。
「初めての時、あんな場所であんなふうにするべきじゃなかった。焦ってたんだ。今を逃せばコウを僕のものにはできないと思って。本当は、もっとコウを大事にしたかったのに」
「僕がきみを捕まえたんだよ」
肩口に頬をつけ、彼の背中に回した腕にぎゅっと力を込める。
「うん。今もこうして捕まってる」
「だから、いいんだよ、それはもう」
「それでも、できることならやり直したい」
だからなの?
そんな疑問が脳裏を過る。
三か月前のあの日と同じ。あの日、僕が問い続けることのできなかったその答えを教えてくれるために、僕をここへ誘ったの?
今もまだ、言葉にして問い掛けることはできなかった。怖くて。それが何かは判らなくても、僕はもう、充分過ぎるほど彼の抱える虚空の深さと広さ、その虚ろさを知っている。
霧の中を彷徨っているような、その覚束なさを……。
そして、その出口のない空漠を、僕では埋めることができないことも。
それでも、僕を望んで欲しい。きみ自身を見つけることができないのなら、霧の中で僕を見つけて。僕の手を握っていて。抱き締めていて。アルビー。
「でも、先に用事を済ませてしまわないとね。タクシーを呼んでもらっているんだ。そろそろ行かなきゃ」
アルビーは軽く僕の額にキスを落として、優しく微笑んで言った。それはとても綺麗な笑顔だったのに、僕にはとても辛そうに見えたんだ。
ウィンダミア駅に降り立った感想は、この一言に尽きる。
ぽかんとした間抜け面で三百六十度見廻していた僕を見て、アルビーはクスクスと笑っていた。
春の旅行のコーンウォールだって、こんな田舎だった。驚くことはないはずなのに。だけど、潮の香りの漂っていた彼の地とは違って、ここはなんだか郷愁を感じさせる田舎感で……。
白い板壁に灰色の屋根。横に伸びる駅舎。単線だけの小さな駅だ。有名な観光地、湖水地方の入り口となる駅なのに閑散としている。
駅から一歩出てみると、緑にそよぐ樹々に囲まれた広々とした駐車場があり、沢山の車が停まっていた。その向こうにはモダンな洒落たデザインの店舗や、大きなスーパーマーケットもあって、干からびた町という訳でもなさそうだ。
タクシー乗り場からまた一時間、と思いきや、十分ほどで着いた。先に今晩泊まるホテルにチェックインしておくのだそうだ。
真っ白な外観の瀟洒な建物の向かいには、午後の陽射しを照り返す広大なウィンダミア湖が広がっている。その岸辺に、白いマストが空に伸びるヨットが幾つも停泊している。
そして湖畔を囲むように連なる稜線。どこか郷愁を掻き立てられると思ったのは、このせいだ。
この、見渡す限りの地平線と、丘陵くらいしか見られなかった平坦な英国にも、山があったんだよ!
そりゃ、日本の山々に比べればずっと低いけどさ。
「コウ、行くよ」
またぼんやりと景色に見とれていると、ぽんっと肩を叩かれた。慌てて頷いて後に続く。クラシカルな外観にそぐわず、中はモダンな内装だ。でも、その豪華な印象は変わらない。緊張してぎくしゃくしたままアルビーの後について行く。彼は手慣れたもので、さっさとチェックインを済ませて振り返ると、軽く頭を振って微笑んでいた。
「くたびれただろ? 部屋で少し休んでから出掛けようか。それとも、お茶にする?」
「さすがに、もうお腹がたぽたぽだよ」
僕は苦笑いして答えた。紅茶とコーヒーは、しばらく欲しくない。
それよりも、白でモールディングされた灰紫色の洒落た内装のこの部屋に見惚れて、ため息ばかりついていた。人形芝居の額縁舞台のようなカーテンに囲われた窓からは湖が一望でき、とても贅沢な気分に浸ってドキドキしていたんだ。
「ボランティアに来ているのに、こんな贅沢なところに泊まっていいのかな」
「ボランティアはおまけ。コウと旅行に来たかったんだ」
また、アルビーはクスクス笑っている。
嘘つき。
僕は唇を尖らせて彼を睨む。
「これでも、いろいろ後悔していることがあるんだよ」
そう言いながら、アルビーは僕をふわりと抱き寄せた。
「初めての時、あんな場所であんなふうにするべきじゃなかった。焦ってたんだ。今を逃せばコウを僕のものにはできないと思って。本当は、もっとコウを大事にしたかったのに」
「僕がきみを捕まえたんだよ」
肩口に頬をつけ、彼の背中に回した腕にぎゅっと力を込める。
「うん。今もこうして捕まってる」
「だから、いいんだよ、それはもう」
「それでも、できることならやり直したい」
だからなの?
そんな疑問が脳裏を過る。
三か月前のあの日と同じ。あの日、僕が問い続けることのできなかったその答えを教えてくれるために、僕をここへ誘ったの?
今もまだ、言葉にして問い掛けることはできなかった。怖くて。それが何かは判らなくても、僕はもう、充分過ぎるほど彼の抱える虚空の深さと広さ、その虚ろさを知っている。
霧の中を彷徨っているような、その覚束なさを……。
そして、その出口のない空漠を、僕では埋めることができないことも。
それでも、僕を望んで欲しい。きみ自身を見つけることができないのなら、霧の中で僕を見つけて。僕の手を握っていて。抱き締めていて。アルビー。
「でも、先に用事を済ませてしまわないとね。タクシーを呼んでもらっているんだ。そろそろ行かなきゃ」
アルビーは軽く僕の額にキスを落として、優しく微笑んで言った。それはとても綺麗な笑顔だったのに、僕にはとても辛そうに見えたんだ。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭

新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった
たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」
大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる