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Ⅳ 初夏の木漏れ日
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「召喚の儀式。アーノルドは、スティーブにそう説明したのかな?」
何の脈絡もなく呟いたのに、アルビーは食事で途切れていた話が再開されただけのように、何も訊ね返すことなく「そうだよ」と、肯定した。
「僕は、儀式は二度執り行なわれた、と思っているんだ。精霊召喚と、願いの成就と」
たった今まであれほど躊躇して、言葉に乗せることができなかったのが嘘のように、すらすらと堰を切って流れ出す。
彼に説明できるような、上手い言い訳を思いついたからじゃない。またもや、日記と、アルビーの話と、彼が見せてくれた魔法陣の矛盾点に気づいたからだ。
アルビーはハムステッドヒースで、僕の話した儀式の概要を、「召喚の儀式」だと誤解した。スティーブから聞いた儀式との共通点からそう連想したんだと思う。夏至の日、人形、火を用いたことなどから。
アーノルドも、そう思い込んでいたに違いない。あるいは、彼ら自身が「召喚の儀式」と説明したのかもしれない。 彼らが、儀式の本当の目的をアーノルドに喋るはずがないのだから。
スティーブの聞いたという儀式を、あくまでも「召喚の儀式」として説明した。四大精霊を召喚し、魔法陣の上に四つの元素で構成された疑似世界を創り出す。これが第一の儀式だと。
「人形の役割は? 精霊召喚の生贄なんだろ? 人形を火あぶりにすることで精霊を呼ぶの?」
アルビーは突然始まったこの唐突な嘘話を、真剣に聴いてくれていた。そしていかにも素人らしい質問を、大真面目に口にした。僕は一瞬呆気に取られ、思わず吹き出さないように、喉を鳴らして息を呑み込む。
「生贄じゃないよ。人形の役割は召喚した精霊の器だよ。この儀式の目的は、召喚した精霊の力を人形に封じ込めること。魔導書なんかには、人形の代わりに胎児や赤ん坊を用いると書いてあるものもある」
アルビーの眉根が微かにしかめられる。僕ははっとして顔を伏せた。
異常なんだ……、こんな話。普通の感性で受け入れられるものじゃない。
旅行中の、ショーンやコリーヌの誤解に基づいた解釈をそのまま使ってしまったことを、はや後悔していた。彼らならともかく、普通の人からしたらこんなもの、黒魔術と変わらないじゃないか。口に出して彼の反応を見るまで、そんなことも忘れていたなんて……。以前はもっと、気をつけていたはずなのに。
俯いて、無意識にテーブルの下のアルビーの脚に自分の脹脛をすり寄せるようにくっつけていた。彼はテーブルの上で小刻みに震えていた僕の拳に、その温かな手を重ねてくれた。
「僕を怖がらないで」
反対じゃないの?
意味が解らなくて、恐る恐る視線を上げ小首を傾げた。静かな瞳がじっと僕を見つめている。
「続けて。これが、きみの探究する学問分野だってことは、ちゃんと理解しているつもりだよ。僕はその内容で、きみの人格を否定的にみたりすることはないから」
ふっと力が抜けていた。心が震えて泣き出しそうだ。アルビーは座席を移って僕の横にくると、ふわりと抱き締めてくれた。
「ごめん」
「大丈夫。無理しないで」
アルビーの肩に額をつけて、ゆっくりと呼吸した。
「ありがとう。もう平気だよ」
「きみは、そんなにも他人から否定されてきたの?」
深緑の瞳が、憂いを帯びて僕を見ている。
答えられなかった。言葉には、ならない。僕の心の奥の奥に沈められた記憶には、しっかりと蓋がされ、意識の表層まで上がってくることはなかったから。ただ、漠然とした不安がふいにブレーキをかけるだけ。
だから、彼を見上げ微笑み返した。あまり綺麗に笑えなかったけれど。でもアルビーは笑わない。もう一度僕の頭を掻き抱いて、耳許で、強張ったままの僕を解き解してくれる、柔らかな声音で囁き続けた。
「ショーンに教えてもらったんだ。きみの本領が発揮されるのは、魔術や錬金術の古文書や希少本に関してで、それも、理論から実践まで余すことなく網羅しているって。実際に行われていた、生々しく残酷な儀式の数々も驚くほど知っている。その知識量も理解度も、同じ民俗学希望の他の連中とはちょっと違うって」
アルビーは、僕の眼を覗き込むように見つめて続けた。
「僕はちっとも知らなかった。クリスマスにきみがスティーブと話していた時は、子どもの心を失わず、御伽噺やたわいもない童話に今も憧れている純粋な子、そんなふうに、きみをみていたんだ」
「多分、違わない。純粋かどうかは判らないけれど」
アルビーにもたれたまま、くすくす笑った。僕が彼を知らないように、彼も僕を知らない。そう再認識できたから。でも、彼は僕を知ろうとしてくれている。こんなにも真摯に。
「ありがとう、アルビー。続きを話すよ」
アルビーから躰を離し、カップに残っていた冷めてしまった紅茶を飲んだ。甘いミルクティーは、口内にねっとりと残り後口が悪い。でも、その甘さと微かな渋みは、波立っていた僕の心を沈めてくれるのに充分だった。
何の脈絡もなく呟いたのに、アルビーは食事で途切れていた話が再開されただけのように、何も訊ね返すことなく「そうだよ」と、肯定した。
「僕は、儀式は二度執り行なわれた、と思っているんだ。精霊召喚と、願いの成就と」
たった今まであれほど躊躇して、言葉に乗せることができなかったのが嘘のように、すらすらと堰を切って流れ出す。
彼に説明できるような、上手い言い訳を思いついたからじゃない。またもや、日記と、アルビーの話と、彼が見せてくれた魔法陣の矛盾点に気づいたからだ。
アルビーはハムステッドヒースで、僕の話した儀式の概要を、「召喚の儀式」だと誤解した。スティーブから聞いた儀式との共通点からそう連想したんだと思う。夏至の日、人形、火を用いたことなどから。
アーノルドも、そう思い込んでいたに違いない。あるいは、彼ら自身が「召喚の儀式」と説明したのかもしれない。 彼らが、儀式の本当の目的をアーノルドに喋るはずがないのだから。
スティーブの聞いたという儀式を、あくまでも「召喚の儀式」として説明した。四大精霊を召喚し、魔法陣の上に四つの元素で構成された疑似世界を創り出す。これが第一の儀式だと。
「人形の役割は? 精霊召喚の生贄なんだろ? 人形を火あぶりにすることで精霊を呼ぶの?」
アルビーは突然始まったこの唐突な嘘話を、真剣に聴いてくれていた。そしていかにも素人らしい質問を、大真面目に口にした。僕は一瞬呆気に取られ、思わず吹き出さないように、喉を鳴らして息を呑み込む。
「生贄じゃないよ。人形の役割は召喚した精霊の器だよ。この儀式の目的は、召喚した精霊の力を人形に封じ込めること。魔導書なんかには、人形の代わりに胎児や赤ん坊を用いると書いてあるものもある」
アルビーの眉根が微かにしかめられる。僕ははっとして顔を伏せた。
異常なんだ……、こんな話。普通の感性で受け入れられるものじゃない。
旅行中の、ショーンやコリーヌの誤解に基づいた解釈をそのまま使ってしまったことを、はや後悔していた。彼らならともかく、普通の人からしたらこんなもの、黒魔術と変わらないじゃないか。口に出して彼の反応を見るまで、そんなことも忘れていたなんて……。以前はもっと、気をつけていたはずなのに。
俯いて、無意識にテーブルの下のアルビーの脚に自分の脹脛をすり寄せるようにくっつけていた。彼はテーブルの上で小刻みに震えていた僕の拳に、その温かな手を重ねてくれた。
「僕を怖がらないで」
反対じゃないの?
意味が解らなくて、恐る恐る視線を上げ小首を傾げた。静かな瞳がじっと僕を見つめている。
「続けて。これが、きみの探究する学問分野だってことは、ちゃんと理解しているつもりだよ。僕はその内容で、きみの人格を否定的にみたりすることはないから」
ふっと力が抜けていた。心が震えて泣き出しそうだ。アルビーは座席を移って僕の横にくると、ふわりと抱き締めてくれた。
「ごめん」
「大丈夫。無理しないで」
アルビーの肩に額をつけて、ゆっくりと呼吸した。
「ありがとう。もう平気だよ」
「きみは、そんなにも他人から否定されてきたの?」
深緑の瞳が、憂いを帯びて僕を見ている。
答えられなかった。言葉には、ならない。僕の心の奥の奥に沈められた記憶には、しっかりと蓋がされ、意識の表層まで上がってくることはなかったから。ただ、漠然とした不安がふいにブレーキをかけるだけ。
だから、彼を見上げ微笑み返した。あまり綺麗に笑えなかったけれど。でもアルビーは笑わない。もう一度僕の頭を掻き抱いて、耳許で、強張ったままの僕を解き解してくれる、柔らかな声音で囁き続けた。
「ショーンに教えてもらったんだ。きみの本領が発揮されるのは、魔術や錬金術の古文書や希少本に関してで、それも、理論から実践まで余すことなく網羅しているって。実際に行われていた、生々しく残酷な儀式の数々も驚くほど知っている。その知識量も理解度も、同じ民俗学希望の他の連中とはちょっと違うって」
アルビーは、僕の眼を覗き込むように見つめて続けた。
「僕はちっとも知らなかった。クリスマスにきみがスティーブと話していた時は、子どもの心を失わず、御伽噺やたわいもない童話に今も憧れている純粋な子、そんなふうに、きみをみていたんだ」
「多分、違わない。純粋かどうかは判らないけれど」
アルビーにもたれたまま、くすくす笑った。僕が彼を知らないように、彼も僕を知らない。そう再認識できたから。でも、彼は僕を知ろうとしてくれている。こんなにも真摯に。
「ありがとう、アルビー。続きを話すよ」
アルビーから躰を離し、カップに残っていた冷めてしまった紅茶を飲んだ。甘いミルクティーは、口内にねっとりと残り後口が悪い。でも、その甘さと微かな渋みは、波立っていた僕の心を沈めてくれるのに充分だった。
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