霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
166 / 193
Ⅳ 初夏の木漏れ日

161 前日

しおりを挟む
 明日はいよいよ約束の小旅行に、もとい、アルビーのボランティアの手伝いに
出発する。荷物、というほどでもないけれど、一泊分の着替えなんかを詰め終えてから、アルビーの部屋をノックした。

 明日、明後日をまるまるアルビーと二人で過ごすのだ。遊びで行く訳ではないのだから、二人っきりでという訳ではないのだろう。けれど、前回の旅行と違って、彼と共に過ごすことになる時間は、これまでで一番長くなるのではないかと思う。

 行き先は、鉄道で片道四時間弱もかかる交通の便の悪い場所らしい。移動だけでもう、その間ずっとアルビーと向かい合わせってことだ。
 今までアルビーと一緒にいる時間って、僕も、彼も互いに関係ないことをして過ごしていたんじゃないかな。ほとんどが、本を読んだり、レポートを書いたりで。講義でよく判らなかった内容を、噛み砕いて教えてもらったりすることもあるにはあったけれど。
 
 でも日々の生活の中でのことや、習慣の違い、些細で意味のない日常的な雑談は、ほぼマリーを加えた三人でいる時だった気がする。

 だって、何もせずに二人だけでいる時って、アルビーはすぐに僕に触れたがるし、僕はそんな彼を意識して、何か喋るよりもまず応えようと、先に躰が反応していた。

 旅行先で、これはマズいだろ。いくらなんでも。
 思い返せば返すほど、僕たちの間には会話が少ない。これも、マズいと気がついたんだ。
 
 こうしてその日が近づくにつれ、僕の心は楽しみよりも、そんな、いつの間にか青空を覆って鈍色に変える、あの小憎たらしいロンドンの灰色の雲のような不安に大きく支配されていったんだ。

 出発する前に心に引っかかっていることは吐き出して、先に解決しておかないと、道中で喧嘩でもしてしまったら目も当てられない。もし仮に、この場で以前みたいにすれ違ってしまったとしても、その方がまだマシなんじゃないかと思ったり。


 そんな鬱々とした、天が落っこちて来る的な想いに胸を塞がれていたせいだろうか。机についてパソコンを使っていたらしいアルビーは、顔を上げ僕を一目見るなり、とても優しい、おっとりとした笑顔を向けてくれた。

 営業スマイルだ。
 何故だか僕はそう思った。

 ショーンから聞くアルビー、臨床心理の博士ドクターになるアルビーと、僕の知る彼はかけ離れて一致しない。初めて逢った頃ほど、彼は無口ではないのはもう解っているけれど。アルビーは優しいけれど、さり気なく気を回すのがとても上手な大人だけど。
 でも、この顔は違う。アルビーじゃない。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。移動に時間がかかるだけで、活動内容はせいぜい一、二時間程度なんだから。観光地だし、ゆっくり週末を過ごそう」
 アルビーのクスクスとした軽い笑い声は、僕の気持ちを解すためみたいだ。僕だって、こんなふうに思い詰めるのは馬鹿みたいだ、って解ってはいるんだ。でも……。
「アルビー、今のうちに確認しておきたいことが幾つかあるんだ」
 思ったよりずっと押し殺したような、重たい声が出てきて自分でも驚いた。そんな、深刻に悩んでいる訳ではないつもりなのに。
「うん。何?」

 アルビーはやはり朗らかな声音で、歌うように訊き返した。そして当たり前のように僕に向かって手のひらを差し伸べる。

「あの日記のこと」
 慎重に、彼の表情に変化はないかと見つめていた。微笑を湛える彼にゆっくりと歩み寄って、伸ばされたままのその手を握る。

 僕は決して、彼に嫌な想いも、辛い想いもさせたくはない。でも、アルビーだって、このことを僕に訊ねていた。避けては通れないことだと思う。

「精霊の人形のこと。きみは、二度目の人形制作は、モデルになった誰だか判らない人に依頼されたって言っただろ? でも、日記にはそんな記述はなかった」

 読み終えてから一週間も経っているのに。僕は今頃になってこの話を蒸し返すんだ。逆に言えば、あの日記の内容を消化するのにこれだけの日数が掛かっていた。
 アルビーに、触れて欲しくはない話題を、自分から出すのに……。
 僕のそんな重苦しい葛藤とは裏腹に、彼は至って冷静な様子で頷いた。

「ああ、そうだね。先に言っておけばよかったね。依頼の件は日記には書かれていない。スティーブから聞いたんだよ」

 淡々とした彼の口調に、僕はなんだか拍子抜けた気分で首を傾げていた。

 
 




しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

上司と俺のSM関係

雫@3日更新予定あり
BL
タイトルの通りです。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...