霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
165 / 193
Ⅳ 初夏の木漏れ日

160 節操

しおりを挟む
「最近のあんたって、節操なさすぎ」
 朝っぱらからマリーに嫌味を言われた。
「ごめん。これからもっと気をつけるから」
「そうして頂戴。私はまだ試験終わってないんだから! お弁当だっているのよ」
「何時に出るの? 鮭のおにぎりを作っておくよ」

 ここはやはり、平身低頭で謝るしかない。彼女の好物で機嫌を取るくらいのことはしておかないと。
 マリーの部屋まで声が聞こえている、なんてことは、さすがにないだろうけど、恥ずかしいことこの上ない。彼女が友だちの家に泊まる週末だけのはずが、この頃はもう当たり前のようにアルビーの部屋に泊まっている。それどころか、ショーンに貸してもらった本を読む時とか、勉強する時でさえ、僕はアルビーの部屋にいる。だって居心地がいいんだもの。

 当の本人は「別に構わないよ、好きに使って」と言ってくれるけれど。そりゃあ、マリーに「節操がない」と言われるのも仕方がない気がする。自分でも、本当、そう思うから。

 僕はこんなにも自制心のない人間だったのだろうか?

 毎日そんなことで頭を悩ませている。アルビーが僕を甘やかすせいもあると思う。僕だけのせいじゃない。これは僕たち二人で負うべき責任だ。なんて、頭では考えるのだけれど、口に出しては言えない。圧倒的に甘えているのは僕だから。


「でもまぁ、いいわ。五月だから」
「五月に何かあるの?」
 
 釈然としないマリーの呟きに首を傾げた。
 五月だからって? 博士論文が受理されたとか、そんな理由ではなくて、月? 意味が解らない。

「アルから何も聞いていないの?」
 マリーは驚いたように眉根を寄せる。僕は、ん? と首を捻る。
「あ、もしかしてリサーチアシスタントで、彼、疲労気味だから?」

 それなら納得だ。アルビーは、パブで食べる時もあるけれど、食事も満足に取ってないようすで疲れきって帰ってくることがほとんどだもの。
 そんな時は、どんなに遅い時間でも夜食を作ったりしていた。どうせ僕も起きていたから。
 でも、それは試験前からそうだったけどな。彼の方が却って気にして、逆に怒られた。気を回し過ぎだって。試験前は彼との時間を意識して減らしていたから、彼のために解りやすい何かをしてあげたかったのだ。僕はお節介が過ぎるのかもしれない。
 それからはアルビーが負担に思わないように、軽食をテーブルに置いておくようにした。
 確かにこの五月は、お互いに神経が張り詰めていたかもしれない。今のこの状況って、もしかしてその反動? マリーの方が僕らのことをよく解ってくれているみたいだ。

 さらさらと流れていく僕の思考を遮るように、マリーは派手なため息を吐いた。

「アルの忙しさは、今に始まったことじゃないでしょ? あんた本当に聴いてないの?」

 だから何を?

「アルはあんたを連れて行くって言ってたわよ」
「あ、えっと、ボランティアの旅行!」

 あれからその話題に触れた時も、アルビーは仕事というよりも僕との小旅行だから気楽に考えておいて、と笑って言っていた。だから僕もそのつもりで楽しみにしている。

「まぁ、旅行には違いないわね」
 ふん、とマリーはツヤツヤと光る唇の端を跳ね上げて鼻で笑った。僕は訳が解らず、彼女の顔を穴の開くほど見つめる。
 皮肉気な色合いを湛えていた彼女の澄んだ青が、ゆっくりと沈み込むような陰を帯びて。

「アルの傍にいてあげて」

 無理やり絞り出したような、震える囁き声でマリーはそう言うと、くいっと顎を突き出した。

「サーモンのおにぎりに、甘い卵焼きもつけてね」
 言いたいことだけ言って、くるりと踵を返す。あっけに取られている間にもういない。


 五月。小旅行。アルビーと二人で。
 僕は、何か大切なことを見落としているのだろうか……。






しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ひとりじめ

たがわリウ
BL
平凡な会社員の早川は、狼の獣人である部長と特別な関係にあった。 獣人と人間が共に働き、特別な関係を持つ制度がある会社に勤める早川は、ある日、同僚の獣人に迫られる。それを助けてくれたのは社員から尊敬されている部長、ゼンだった。 自分の匂いが移れば他の獣人に迫られることはないと言う部長は、ある提案を早川に持ちかける。その提案を受け入れた早川は、部長の部屋に通う特別な関係となり──。 体の関係から始まったふたりがお互いに独占欲を抱き、恋人になる話です。 狼獣人(上司)×人間(部下)

夏の嵐

萩尾雅縁
キャラ文芸
 垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。  全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

さがしもの

猫谷 一禾
BL
策士な風紀副委員長✕意地っ張り親衛隊員 (山岡 央歌)✕(森 里葉) 〖この気持ちに気づくまで〗のスピンオフ作品です 読んでいなくても大丈夫です。 家庭の事情でお金持ちに引き取られることになった少年時代。今までの環境と異なり困惑する日々…… そんな中で出会った彼…… 切なさを目指して書きたいです。 予定ではR18要素は少ないです。

夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」  アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。  僕の心はきみには見えない――。  やっと通じ合えたと思ったのに――。 思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。 不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。 夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。 アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。  *****  コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。  注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。 (番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)  

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

代わりでいいから

氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。 不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。 ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。 他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。

処理中です...