霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅳ 初夏の木漏れ日

154 日記2

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 結局、この日記帳を隅々まで二度読み返したけれど、精霊のモデルになった人たちに関する記述はなかった。
 アーノルドは偶然手に入れた本に従って、四大精霊を召喚するための器となる人形を創り、記述通りの手順を踏んで儀式を執り行った。それだけしか解らない。そして儀式が終わった後、これも記載された内容通りに使用した全てを焚き上げ、燃え残りは粉砕して土に返した。これでは何も解らない。
 それにこの日記、儀式を行ってしばらく経っても何も日常が変わらない、そんなボヤキで終わっている。僕の知りたいことは何一つ書かれていなかった。いや、儀式の無意味さが解っただけで収穫なのだろうか……。

 どっと疲れた。
 彼のアビゲイルへの熱烈な恋心だけが、僕の内側を刺激しぶすぶすと燻っている。この頃の彼女は十六歳。恋愛対象として九つも上の彼が躊躇するのも当然だ。でも、それにしたって……。

 考えていると余計に混乱してくる。自分自身のこと。アルビーのこと。僕は彼よりも五つも年下だ。彼から見た僕も、アーノルドから見たアビゲイルのように、か弱い、保護すべき、可愛らしい存在なのだろうか? 彼女はそれこそ妖精のように可憐で美しかっただろうけれど、僕は違う。
 同一線上に置いて考えるのも、比べるのも間違っている、って解ってはいるけれど……。


 アルビーに日記を返さないと。それから、この日記に記載されていた「記憶の中の彼ら」を精霊のイメージに据えた、という一文以上の詳細な内容の載っている他の日記帳はないのか、訊ねてみなければ。
 アーノルドはとても几帳面な人だ。それはこの書体、文面、彼が気にする細やかなあれこれから伝わってくる。彼の日記はこの約一年間が綴られたこの一冊だけではなく、もっと以前のものも、これ以降のものもあるはずだ。

 立ち上がって大きく伸びをした。懲り固まった首筋を揉み解して深呼吸する。
 僕はやはり、他人の繊細な感情に触れるのが苦手なのだ、とつくづく思う。アーノルドの心が、いつまでも自分の心に付着しているようで、ムズムズする。

 アルビーは……、彼は父親の日記をどんな想いで読んだのだろうか?

 自分の額に消えない刻印を残した彼のことを理解しようと、この日記を開いたのだろうか? そして、アーノルドは? どうして彼の日記がここにあるんだろう? 
 ネットではアビゲイルが亡くなった後の、彼のその後の活動は記載されていない。彼は人形を創るのを止め、世に出回っている僅かな作品の値段ばかりがコレクターの間で釣り上がっている。僕の知る情報はその程度だ。



 夜も更けてからアルビーの部屋をノックするのは、さすがに躊躇ちゅうちょする。でも、どんなに遅くても彼は僕を待っている、そんな気がして。

「どうぞ」の声にドアを開ける。
 灯りを消した部屋のベッドの上に、アルビーはあぐらをかいて座っていた。僕を見て、壁のふくろうを点す。


「これ、ありがとう」
 アルビーは黙ったまま微笑んで、腕を広げて僕に応えた。日記帳をサイドボードに置いて、ベッドに膝を上げ彼を抱き締める。
「何か分かった?」
 聞き逃しそうな小さな声で囁かれる。
「あまり。これ以外の、他の日記帳はないのかな?」
「何が知りたいの?」
 背中に回されていた手のひらが、ゆっくりと滑って首筋に移る。僕を見下ろす彼の緑は、深い憂いを湛えている。
「精霊のモデルに関すること」
「ああ、僕もきみに訊きたかったことだよ」

 覚悟を決めて頷いた。

 あの日、中断してしまった会話が、蒸し返されることになるのは予想がついていた。記憶を辿り、彼の言葉を思い返してみたんだ。精霊の人形にはモデルがいるということ。そこから彼は何の脈絡もなく、僕たちの手に入れた赤毛の人形サラマンダーはレプリカであると告げた。そして、彼の本当に話したかったことを聴く前に、彼の言う「発作」を起こして、僕が、話を中断してしまっていたんだ。

 本当は、僕はアルビーの話の何に反応したのだろう?


 アルビーのことが解らないのと同じように、僕は、僕自身のことが解らない。







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