霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅳ 初夏の木漏れ日

146 写真1

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 ノートパソコンを片手に抱えて戻って来たアルビーに、僕はどう映っていたのだろう? 
 彼は僕を見るなり、心配そうに微かに眉根を寄せていた。
 彼に、この写真のことを訊きたかった。でも、何て訊ねればいいのか判らない。声が出なかった。そんな、大した問題ではないのに。彼は赤毛の人形サラマンダーを見たいと言っていたじゃないか。四大精霊の人形に、興味を持っていたじゃないか。それは、僕とは関係のない次元の話で。

 僕は何を恐れているんだ?

「コウ、」
 アルビーはパソコンを置くと、僕の頭を胸に抱き寄せた。
「コウ、聞こえている?」
「何、アルビー?」
 くぐもった僕の声に、アルビーがほっと息を継ぐのが解った。
「どうしたの? 顔色、真っ青だよ」
「自分でもよく判らない。写真、その写真に驚いたんだと思う」
 僕を抱き締めた力を緩めることもなく、アルビーが身動ぎする。
「精霊の人形の? ああ、これは論文の資料なんだ。スティーブが撮ったものだよ」

「論文……」
 自分自身を落ち着けるために大きく息を吐き、そしてゆっくりと吸い込んだ。アルビーのコロンの香りに、微かに雨の匂いが混じる。雨……、水の匂いかな……。
 ゆるりとアルビーの腕が離れる。ローテーブルの下、僕の足元に身を屈めて散らばった写真を集めている。
「ごめん、僕が、」
 慌てて僕も数枚を拾い上げ、ローテーブルに重ねて置いた。
「いいんだよ。適当に挟んだだけだったから、散らばったんだもの」
 アルビーは優しく言ってくれたけれど、僕は何故だか申し訳なくて堪らなかった。

「コウ、きみの友人は、ケンブリッジの出身だって言っていたっけ?」
「あ……、うん。いや、違う、そうじゃないよ。彼の先祖がケンブリッジにいたらしいっていうだけで、彼は、そこで生まれたわけでも、育ったわけでもないんだ」
「そう。きみの友人の写真を見せてもらえないかな? こうして久しぶりに、この火の精霊サラマンダーの人形の写真を見るとね、瓜二つだなって思ってね。もしかして、ゆかりのある子なのかなって気がする」

 それはない! あり得ない!

 アルビーは真剣にテーブルの上に写真を一枚一枚並べていっている。自分の中の記憶を探るように目を細めて、その中の赤毛の人形を眺めている。

「ごめん。もう捨ててしまった」
「え?」
「僕を見捨ててどこかへ行ってしまった彼の写真を、いつまでも大事に持っているなんて、惨めだな、って思ったから」
「それ一枚しか写真はないの? 携帯には?」

 畳み掛けるような声に、頭を振った。アルビーは残念そうに、少し唇の端を持ち上げて微笑んだ。

「そう……。この四大精霊の人形にはね、モデルがいたらしいんだ。どこの誰かは全くの謎なんだけどね。
 きみの友人の買った火の精霊サラマンダーの人形、アビゲイル・アスターの刻印があったって言っていただろ? それ、レプリカなんだ」
「レプリカって、偽物ってこと?」
 
 偽物だろうと別に問題はないのだけれど……。いや逆に、偽物であれば、この四大精霊の人形になぜか執着のあるらしいアルビーや、スティーブへの申し訳なさがマシになる気さえする。
 
「レプリカっていうのは、同一作者による複製品ってことで、偽物とは違うかな。オリジナルは、彼がアビーと結婚する以前の作品なんだ。だから、刻印はアイスバーグなんだよ」

 僕は納得して頷いた。以前スティーブが話してくれた、アルビーのお父さんでもあるアーノルド・アイスバーグは、四大精霊をテーマにした人形で賞を取ったという記述と、アビゲイル・アスター工房の制作年代が合わなくて不思議に思っていたから。

「レプリカといっても、価値も、評価の高さもオリジナルとそう変わらないよ。オリジナルはもうこの世には存在しないから。燃えて、砕かれてしまって」

 アルビーの新緑の瞳が僕を見据えている。何の感情も映さずに。ただ、淡々と、事実だけを告げている。

 何のために?

 眩暈がする。
 アルビーの瞳の奥、光の射さない森の奥へと導かれ、道を見失い彷徨ってでもいるかのように、僕は、ぐらぐらと定まらない視界に、吐き気をもよおしていた。






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