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Ⅳ 初夏の木漏れ日
143 雨
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イギリスには一日の中に四季がある――。
なんて言われるくらい、この国の天候は目まぐるしく変わる。窓の外は雨だ。昼間はあんなに良い天気だったのに。
僕の気分もこの空のように目まぐるしく翻弄されて、もう、目が回りそうだよ。
「コウ、さっきからため息ばかり吐いてる」
ティーテーブルの上の本に視線を落としたまま、マリーは呟いた。僕はどんよりと薄暗い空から落ちて来る、窓を伝う無数の雨だれを数えていた。
「色々あるんだよ」
「何があるのよ」
「人の心ってままならないものだなって」
「当たり前でしょ」
馬鹿みたいだな。僕は当たり前も知らない世間知らずみたいだ。
また、ため息がついて出る。
「きみの友だちは、ショーンのどこが好きなの?」
「身体に決まってるでしょ」
沈黙。
「ほかにはないの?」
次の質問を思いつくのに、軽く五分はかかった。
「煩く自慢話しないところ」
確かに、彼はうんちく話は好きだけど、自分自身の話は嫌いだ。
「じゃあ、彼の何が不満なの?」
「自分を一番にしてくれないところ」
女の子って、変だ。
昼間の公然とした盗み聞きから、ここは絶対に自分を馬鹿にした言動をするとか、失礼だ、とか言うと思ったのに。
この辺で、この会話は切り上げた方が良さそうだ。ショーンと彼女は、僕の常識の斜め上を行っているから、聞いたところできっと混乱するばかりだろう。
「マリーの一番はアルビーだろ?」
口に出してしまってから、自分の言葉に仰天した。どうしてこんな事を言ってしまったのか解らない。思わず目が泳ぐ。僅かな間に更に雨足は激しくなっている。窓ガラスを滝のように流れ落ちている雨だれに交じって溺れてしまいたい。
マリーは、キッと僕を睨めつけてから、ふっと瞼を伏せ、吐息に掻き消えそうな声で、「そうね」と答えた。
僕はどうかしている。彼女にこんなことを言わせてどうするつもりなんだ? 昼間のショックからまるで立ち直れていないのに、傷口に自分で手を突っ込んで広げてるなんて。
ショーンは、僕とアルビーのことを知っていた。その事実が恥ずかしくて堪らなかった。そして、そう思ってしまうことが、アルビーに申し訳なくて堪らなかった。それにマリー、きみにも。
そんな想いが、どうしてこんな言葉に変換されるかが、まるで解らない。
「ごめんよ、マリー」
「いいのよ。私はアルの一番にはならない、て決めてるの」
マリーはくいっと、背筋を伸ばし頭を上げた。
「私は、アルの家族だもの。そうでなくちゃ、ダメなの」
声が震えていた。泣き出すかと思ったけれど、彼女は唇を固く結んだまま、涙を浮かべることはなかった。
「愛している」、と言ってもらえる他人は、特別な一人。でも、家族は別だ。日常的に、「愛している」を細やかで優しいシャワーのように浴びている。
薄氷を踏むように繊細な息遣いで保っていかなくちゃいけない「愛している」よりも、マリーは、未来永劫揺るがないアルビーの家族へ向ける「愛してる」を選ぶのだと、そう思った。
「マリーは、僕が嫌い?」
彼女は驚いた顔をして、それからクスッと笑って首を横に振った。
「あんたが来てから、アルは優しくなったわ」
「ありがとう、マリー」
「あんたが言わなくてもいいのよ」
にっと唇を吊り上げる彼女の口許は、どこか皮肉気で。でも、その瞳はとても優し気で、どこか哀し気で、そして、幾ばくかの諦観を含んでいるようにも見える。
「それにしても、アル、遅いわね」
いつの間にか、雨雲で黒みがかっていた窓外は、本物の闇に包まれている。窓を振り返るマリーの顔が、とめどなく雫が流れるガラスに映っている。幾重にも重なる涙に閉じ込められているように。
僕は立ち上がって、若草色のカーテンを閉め始めた。
「アルビー、傘を持っているかな?」
明るい室内の灯りの下、窓ガラスに映る僕の顔もまた、不明瞭に歪んで見えた。
なんて言われるくらい、この国の天候は目まぐるしく変わる。窓の外は雨だ。昼間はあんなに良い天気だったのに。
僕の気分もこの空のように目まぐるしく翻弄されて、もう、目が回りそうだよ。
「コウ、さっきからため息ばかり吐いてる」
ティーテーブルの上の本に視線を落としたまま、マリーは呟いた。僕はどんよりと薄暗い空から落ちて来る、窓を伝う無数の雨だれを数えていた。
「色々あるんだよ」
「何があるのよ」
「人の心ってままならないものだなって」
「当たり前でしょ」
馬鹿みたいだな。僕は当たり前も知らない世間知らずみたいだ。
また、ため息がついて出る。
「きみの友だちは、ショーンのどこが好きなの?」
「身体に決まってるでしょ」
沈黙。
「ほかにはないの?」
次の質問を思いつくのに、軽く五分はかかった。
「煩く自慢話しないところ」
確かに、彼はうんちく話は好きだけど、自分自身の話は嫌いだ。
「じゃあ、彼の何が不満なの?」
「自分を一番にしてくれないところ」
女の子って、変だ。
昼間の公然とした盗み聞きから、ここは絶対に自分を馬鹿にした言動をするとか、失礼だ、とか言うと思ったのに。
この辺で、この会話は切り上げた方が良さそうだ。ショーンと彼女は、僕の常識の斜め上を行っているから、聞いたところできっと混乱するばかりだろう。
「マリーの一番はアルビーだろ?」
口に出してしまってから、自分の言葉に仰天した。どうしてこんな事を言ってしまったのか解らない。思わず目が泳ぐ。僅かな間に更に雨足は激しくなっている。窓ガラスを滝のように流れ落ちている雨だれに交じって溺れてしまいたい。
マリーは、キッと僕を睨めつけてから、ふっと瞼を伏せ、吐息に掻き消えそうな声で、「そうね」と答えた。
僕はどうかしている。彼女にこんなことを言わせてどうするつもりなんだ? 昼間のショックからまるで立ち直れていないのに、傷口に自分で手を突っ込んで広げてるなんて。
ショーンは、僕とアルビーのことを知っていた。その事実が恥ずかしくて堪らなかった。そして、そう思ってしまうことが、アルビーに申し訳なくて堪らなかった。それにマリー、きみにも。
そんな想いが、どうしてこんな言葉に変換されるかが、まるで解らない。
「ごめんよ、マリー」
「いいのよ。私はアルの一番にはならない、て決めてるの」
マリーはくいっと、背筋を伸ばし頭を上げた。
「私は、アルの家族だもの。そうでなくちゃ、ダメなの」
声が震えていた。泣き出すかと思ったけれど、彼女は唇を固く結んだまま、涙を浮かべることはなかった。
「愛している」、と言ってもらえる他人は、特別な一人。でも、家族は別だ。日常的に、「愛している」を細やかで優しいシャワーのように浴びている。
薄氷を踏むように繊細な息遣いで保っていかなくちゃいけない「愛している」よりも、マリーは、未来永劫揺るがないアルビーの家族へ向ける「愛してる」を選ぶのだと、そう思った。
「マリーは、僕が嫌い?」
彼女は驚いた顔をして、それからクスッと笑って首を横に振った。
「あんたが来てから、アルは優しくなったわ」
「ありがとう、マリー」
「あんたが言わなくてもいいのよ」
にっと唇を吊り上げる彼女の口許は、どこか皮肉気で。でも、その瞳はとても優し気で、どこか哀し気で、そして、幾ばくかの諦観を含んでいるようにも見える。
「それにしても、アル、遅いわね」
いつの間にか、雨雲で黒みがかっていた窓外は、本物の闇に包まれている。窓を振り返るマリーの顔が、とめどなく雫が流れるガラスに映っている。幾重にも重なる涙に閉じ込められているように。
僕は立ち上がって、若草色のカーテンを閉め始めた。
「アルビー、傘を持っているかな?」
明るい室内の灯りの下、窓ガラスに映る僕の顔もまた、不明瞭に歪んで見えた。
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