霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅳ 初夏の木漏れ日

134 帰宅

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 十日間の旅行を締める最終日に高熱で倒れてしまった僕は、ロンドンに戻ってから丸二日間もベッドから出ることができなかった。それほどに酷い熱だったから、と言う訳ではない。アルビーが心配して部屋から出してくれなかったからだ。

 せっかくアルビーが忙しい時間をぬって、この旅に加わってくれたのに。
 僕のせいでほとんど観光できないまま、ロンドンに戻ることになってしまった。彼自身は、「気にすることは無いよ」と言ってくれたけれど。そして、「また一緒にここに来よう」とも。

 アルビーは、この旅行以前に僕が彼に抱いていたイメージとはまるで違っていて。
 煌びやかなナイトクラブで取り巻きに囲まれている彼が、僕のよく知っているお洒落な都会っ子ロンドナーの彼らしい彼で、地平線のどこまでも続く田舎なんか好きじゃないだろうって、勝手に思い込んでいた。

 悠久の時の中に取り残されたような、およそ変化というものを拒んでいるようにさえ見える、草原と巨石以外に何もない遺跡群に佇む彼なんて、想像だにできなかった。
 けれど、目の当たりにした彼のその姿には、何の違和感もなくて。むしろしっくりと馴染んで、その場に君臨する妖精王のように美しかった。

 そして、僕の学ぶ世界、関わっている特殊な世界を否定することも、安易に踏み込んでくることもない彼の姿勢は、僕を本当に安堵させてくれた。


 この旅行に立つ前、アルビーに酷いことを言ってしまった。この旅のきっかけは、アルビーの失言のせいだと。本当は彼のせいなんかじゃないのに、彼を責めた。僕は、自分の意志を通すためだけに彼のせいにして、彼が罪悪感を持つように仕向けたんだ。

 だから旅の道程で知っぺ返しを喰らった。そんな気がしてならない。

 十日間の旅の殆どを一緒に回り、共に過ごしたにも関わらず、最後は喧嘩別れのようになって、碌なお礼も言えないまま終わってしまったコリーヌとミシェルのフランス人カップルのことにしろ、熱でぼんやりしていた僕が、あらぬことを口走ったのが原因だと解ってはいるのだけど、記憶が曖昧で上手く思い出せない。

 後からショーンに訊ねても、彼の方が明らかに彼らに憤慨していて、露骨に嫌な顔をして、「あんな奴らのことはもう考えるな」なんて言って教えてくれないし。
 アルビーはアルビーで、「何のことか解らなかったし、覚えてないよ。彼らが立ち去ってからの、きみの告白の方がずっと胸に響いていたしね」と、涼し気に微笑んで額にキスをくれるだけで。

 
 ロンドンまでタクシーで帰って来た後は、ベッドに直行。ふわふわとした気分のまま車に乗っていたのは覚えているのに。それに、アルビーがずっと手を握っていてくれたことも。


「コウ、そんなにかにが好きだったんだ?」
「え? メールに書いてたかな?」
「『英国セント・マイケルズ・レイライン 神秘のパワースポットを巡る旅』これだろ? ミシェルのブログ。フランス語だけど見るかい? 写真がたくさん載ってる。人物は、コリーヌ以外は、……正面からのものはないみたいだね。でもこれ、コウだろ?」

 僕の机で自分のパソコンを持ち込んで作業していたアルビーの見せてくれた画面の中に、俯いた黒髪のつむじが少しかかる、蟹のほぐし身の載った大皿の写真があった。
 アルビーは、ノートパソコンをベッドヘッドにもたれていた僕の膝に置き、自分も僕の横に腰を据えた。
 そうして画面を覗き込む彼は、写真だけでなく文字も眼で追っているようだ。
「フランス語、読めるんだ?」
「この程度ならね。ドイツ語の方が得意だけどね。地名やお薦めが書いてあるだけで、取り立てて個性のある内容でもないけど、訳そうか?」

 僕は頭を横に振った。文章量からして、アルビーの言う通りだと思ったから。

「コウ、良い旅行だったんだね?」
 なんだか残念そうな、羨ましそうな眼で彼が僕を見るものだから。
「締め括りが最高だったよ。旅行中どこに行っても、ここにきみが居てくれれば言うことなしなのに、って思っていたんだ。最後の二日間は、その願いが叶った」
「嬉し過ぎてのぼせた?」
「そうかも知れない」
「まだもう少し熱があるみたいだ」
 アルビーは僕の額に、こつんと彼の額を当てる。
「コウ」
「何、アルビー?」

 何か言いたげなのに、彼は言葉を呑み込んだ。そして小さく笑った。声に乗せなかった言葉を掻き消すように、大袈裟にため息を吐く。

「コウの熱が下がらないと、僕の方が欲求不満で熱が出そうだよ」
「そうなったら、今度は僕がきみを看病するよ。ずっと傍についていてあげる」
「おはようとおやすみのキスをくれて、僕を寝かしつけてくれる?」
「きみが望むなら」
「きみのキスが欲しくて、僕はこんなにも熱に浮かされるのかな?」
「それなら、熱さましをあげるよ」
 僕はアルビーの頬に唇を寄せて、軽く音を立てた。
「足りない」
 アルビーはくすっと笑って僕の頬に手を添えた。ゆっくりと指先でなぞるように頬を撫でる。僕は薄く唇を開いた。その唇を軽く人差し指で押さえたかと思うと、アルビーはあっさりとベッドから下りてしまった。

「でも我慢するよ。コウはしっかり休まないと、いつまでも熱が下がらないからね」

 そしてノートパソコンを僕の膝から取り上げ、柔らかな声で囁きかけた。僕の憮然とした顔を、クスクス笑いながら見つめて。


「コウが寝つくまで傍にいてあげるからね」








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