霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅲ.春の足音

128 旅46 ガーディアン

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「あ-、おい」
 間の抜けたショーンの呼び声にやっとアルビーは腕を緩めてくれ、僕も我に返って振り向いた。
 ぽやんとした僕の顔を見て、ショーンは、にへらと苦笑いしている。
「五千年ぶりの再会って顔だな」
「意外過ぎて」
「で、考察はもういいのか?」

 真顔に戻ったショーンが、さり気なく目配せしている。「誰?」と、コリーヌが苛立ちを隠そうともせずに歩み寄り、ショーンの腕を引く。
「コウの友人でガーディアン」
「ガーディアン……」

 身元引受人ガーディアンって? 留学生だから? 必要ないだろ。ショーンは何か誤解してる? 
 訝しく思いながら、意味ありげなショーンの目付きに、他意があるのかと首を傾げた。コリーヌは口の中で呟いていたけれど、そのまま納得したようだ。


「これでもプロなんだ。勝手に撮らないでくれる?」

 今度はいきなり頭上で冷ややかな声が落ちる。
 思わず振り仰いでアルビーに訊ねた。「本当に?」「うん。顔は出してないけどね。ほら、背中の」小声で耳打ちしてくれた。
 そう言えば背中のヘナタトゥ、友人の店の壁にアルビーの写真パネルが見本として飾られている、って以前聞いた。僕は見に行ったことはないけれど。プロのモデルと言えば、そう言えなくもないのかな?

 そんなふうに、パンッと撥ねつけられるような事を言われたのに、ミシェルはお構いなしだ。構えていたカメラを下ろしこそすれ悪びれた様子もなく、にこにこと満面の笑みを湛えて歩み寄ってくる。

「初めまして。白雪姫の末裔! お逢いできて光栄だな」

 ミシェル!
 僕の左肩に、置かれていたアルビーの手の強張りが伝わってくる。反射的に、その手の上に自分の右手を重ねて握り込んだ。アルビーは手の平を返して僕の手を一瞬だけきゅっと握り、さらりと離れた。差し出されたミシェルの右手に応え、握手するために。

「初めまして。母をご存知ですか? 意外ですね。まだお若いのに」
「これでもプロ志望だからね。いずれはファッション方面に進みたいんだ」

 遺跡の写真を撮っているのに? 
 アルビーの皮肉めいた口調をもものともしない、ミシェルの意外な一面を初めて知って、驚きを隠せない僕がいる。かなり不躾な視線を彼に向けてしまっていた。でも、僕自身は彼の眼中になんて入っていないから、まぁいいかな。
 彼、アルビー相手に、いかに自分がアビゲイル・アスターの大ファンであるかを、すごい勢いで熱心に語っているもの。それはそうなのだろう。いくら有名人だったと言っても、二十数年前に亡くなった人の面影を、その息子の上にひと目で見い出せるくらいなのだから。アビゲイルが偉大なのか。それとも、これは偶然を装った必然なのか……。僕にとって、この偶然は嬉しいものではない気がする。

 
 ミシェルの背後、夕映えを背に黒いシルエットになっている二人に、ふと視線が逸れた。
 突然口が滑らかに滑り出し止まらないミシェルに、呆気に取られているらしいコリーヌ。ショーンは左手の時計を僕に向け、反対の手でとんとんと叩いて見せる。

 太陽はいつの間にか地平線の彼方に消え、辺りは黄昏時の鈍く輝く残照に包まれていた。

「そう言えば、アルビー、どうやってここに来たの?」
 入場時間は終えていたはずだ。ミシェルの喋りを遮って、アルビーの袖を引く。
「ロンドンからサンセット・ツアー。それから、彼に話をつけてもらった」
 さり気なくショーンと視線を交わしている。
 僕はいったいどれだけぼんやりしていたのだろう? ツアー客がいたのも気づかなかった。
 って、ツアー客なんていないじゃないか!
「先に帰ってもらったよ。僕はきみたちと合流するからって」

 なんだか、自分の記憶とアルビーの話が噛み合わない。「ともかく、もう戻らないと」ショーンが大きく腕を振って呼んでいる。
 職員さんが迎えに来てくれているのだ。

 慌てて歩き出してから、「あ!」っと声を上げた。ミシェルの車、定員は四人だって言っていたような……。

「アルビー、どうやって帰るの? バスに置いていかれたって……」
「タクシーを呼んでもらってる」
 ……用意周到。
「それで、どこまで行けばいいのかな?」
「どこまでって? ロンドンには帰らないの?」
「コウと一緒に帰る。明日までの予定だっただろ? 最終日くらい参加できたらなって思ってさ。そのためにここまで来たんだ」

 アルビーの歌うような軽やかな口調に、胃がきゅっと縮こまった。顔を向けたらきっと、優しい瞳が僕を見ている。
 早足で歩きながら僕の後頭部をくしゃりと撫でる彼のしなやかな指先を、僕は奇妙なほど、熱く感じていた。


 
 
 


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