霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅲ.春の足音

127 旅45 ストーンヘンジ3

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 ソールズベリー平原の広大な地平線に夕陽が傾くころ、僕たちはとうとうストーンヘンジにやって来た。
 結局、僕はコリーヌへの上手い言い訳を何も思いつかなかった。どうしよう、と思い悩むことすらないほど、僕は彼女に苛立っていたんだ。

 ビジターセンターに車を停め、センター内で職員の方と挨拶を交わした。入場時間はとっくに過ぎて、このセンターもすでに観光客はいない。でも、サンセット・ツアーというのがあって、日の入りに合わせて、閉場後に観光バス一台分のツアー客を受け入れているのだという。
「ツアー客が引いてから、もう少しいいかしら?」
 コリーヌが職員さんと話している。つき合わされる彼もいい迷惑だ。


 でも、ショーンが「利用すればいい」と言った気持ちも、いざストーンヘンジの通常の観光道まで着いて納得できた。いや、納得してはいけないのだが。
 だってここまで来て、本当に遺跡の外側、サークルから百メートルは離れているか、と思えるほど遠目の遊歩道からしか見学できないなんて。コーンウォールの遺跡群とはえらい差だ。
 やはり知名度のせいか、訪れる人数が違うらしい。石の上に乗る不届き者がいて石の位置がずれたとか、地盤が緩んでいるとかで、遺跡保護の理由から今はこんな処置が取られているのだと言う。

 取りあえず通常のコースに沿って、反時計回りにストーンヘンジの外周を見て回る。これだけでも、結構な時間が経った。コリーヌはそろそろ儀式のことを言い出しそうだ。何か言いたげなぎらぎらした眼で、時折僕の方をチラチラと見ている。ショーンは何も言わない。ミシェルは、よく判らない。また写真を撮っているのだろう。ツアーバスはまだ来ない。


 静寂を踏み締め、見上げた空には柔らかな紫色が広がっている。ゆっくりと進む足取りに合わせ、赤が増す。まるで空との境界線から、チロチロと蠢く大蛇の舌のような焔が立石の隙間を抜け地上を走るようだ。焼き尽くし肥大する焔にこの地は染められていく。赤金の海に呑まれて。

 時間を逆に歩き続け、一番ストーンサークルに近づける道筋からロープを跨いで、立石の内側に進んだ。

 ひやりとした空間。
 ああ、やはり、巨石で造られた三石塔トライリソンの断面が金色に染まり幾つもの入り口を開いている。
 茜色に覆われる濃い緑の草原が、立石の黒々とした影で、陰と、陽とに塗り分けられている。その死と生の階段を螺旋状にぐるり巡って、中央の祭壇石の前に引き寄せられるように、歩を進めた。僕は、あれほど恐れていた赤い焔の中心へ、またもや自ら踏み込んでいる。

 頭上で風が渦巻いている。低い呼び声のような風音が、立石の狭間を走り抜け、魔法陣をくうに刻む。めまぐるしく動き回り記号を描く風の動きを僕はただじっと眼で追って。
 ついに上空に入り口の印が描き上げられた時、螺旋の渦が、僕に向かってその手を差し伸ばした。

 ――おいで、と。

 その細く透き通る指先に応えようと、一心に高く、高く、腕を伸ばす。この手に絡みつく。蔦の様な、縄目のような感触。その不確かな空を絡み取ろうと、つま先立って力を入れる。指先に触れる、そこからぴりぴりとした電流が流れ込むみたいだ。もう少し。もう少ししっかりと掴まないと、僕の躰は重いから。

「コウ!」

 パリンッ、とガラスが砕けるように、焚き上げられた火の粉が舞い散るように、頭上に描かれた魔法陣はキラキラとした粒子になって、永遠のようにゆっくりと、刹那のうちに空気に溶けた。いや、還ったのか、元のかたちに。

 指先だけが、まだ痺れている。

 振り返り、確かめるまでもなかった。僕の意志なんて置いてけぼりにして、僕の躰は地を蹴っていた。彼のもとに駆け寄り、飛びついた。

「アルビー!」
「顔を見せて」
 僕をしっかりと受け止めてくれたアルビーは、今は僕の頬を両手で挟み、顔を覗き込んでいる。
「コウが、空気に溶けてしまうんじゃないかと怖かったよ」
「あり得ないよ」
「そうかな?」
「僕がアルビーを置いていなくなるなんて、あり得ないもの」

 僕が僕である限り。心はどれほどに飛翔しても、必ずここに還って来る。僕とアルビーは繋がっているもの。

「それより、どうしてここへ? 論文は? 平気なの?」
 アルビーは、ずっと忙しくて休む間もないって言っていたじゃないか。
「早くコウに逢いたくて、予定分は必死に終わらせて来たんだ」

 言いながら、風に嬲られてくしゃくしゃになった髪を、優しく梳いてくれている。何故だろう。彼がここにいるだけで、あれだけ吹きすさんでいた風の動きが柔らかい。

「頬も、耳も冷たくなってる。おいで。温めてあげる」
 息が苦しいほどに抱きすくめられた。ぼくもそっと抱き締め返した。
 ちゃんと覚えている。これは、僕の知っているアルビー。何も変わらない。


 そう思えたことが、とても嬉しかったんだ。

 

 
 



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