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Ⅲ.春の足音
122 旅40 荒野
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待ち合わせ場所の奇石群、チーズリングに来てみると、コリーヌはもう既に到着していて、平たい大岩が何枚も重なる奇岩の上で、胡坐を組んで瞑想していた。ミシェルは写真を撮りに行っているのだろうか。この場にはまだ来ていないようだ。
僕たちも岩によじ登り、邪魔をしないように、彼女の反対側に腰掛けた。
コーンウォールの空は、雲が近い。手を伸ばせば届きそうなほどに。その雲が、ふっと眩暈を起こしそうな速さで風に流れていく。
眼下に広がる牧草地には牛が放牧されていて、のどかなことこの上ない。こんな場所での瞑想は、さぞ、豊かな内的世界に浸れるのだろう。それが、どんな世界なのか、僕には想像もつかないけれど。
と、空気が切り裂かれるように揺れた。「きゃっ!」と背後でコリーヌの叫び声が上がる。
すさまじい爆音とともに、戦闘機が頭上を駆け抜けた。
ぽかんと大口を開けてそれを目で追っていたショーンは、大きく息を吐く。そして皮肉気に嗤って、「この近くに軍の演習場があるんだ」と、教えてくれた。
「びっくりした」
本当にまだ心臓がバクバクしている。僕は心臓に手を当てて深呼吸した。
いつの時代からこの状態だったか判らない、時間の止まっているようなこの荒野から、いきなり現代のイギリスにタイムスリップしてしまったような気分だ。
「神秘的なムードも何もぶち壊しだな」
これは、コリーヌに向けられた言葉。彼女、組んでいた脚を解いて僕らの方を振り向いているのに、まだ夢の中みたいな焦点のぼけた顔をしている。
「せっかく躰の中に光が満ち満ちて、聖ミカエルの声が語り掛けてくれていたのに。あんな汚れに満ちた物体に邪魔されるなんて!」
でた! 天使の語り掛け! コリーヌはチャネリングまでする訳だ。やっぱり僕にはとてもじゃないけど、彼女と会話はできそうにない。
古い信仰や、まじない、魔術を含む伝説や、言い伝えを研究する民俗学でさえ、そんなものに興味のない人たちからすると、オカルトマニアのように受け取られて、胡散臭い眼で見られかねないのに。
コリーヌのようなニューエイジャーは、そんなことは全く気にしなくて、高次元のマスターやら、守護天使やらの導きの声に従って生き、世界を愛と平和で満たすのだ、と自信満々に布教してくる。
お腹を壊した時も、トーの丘でエネルギーをたくさん充電できたからと、翌日、僕をパワーストーンを使ったヒーリングの実験台にしようとして煩かった……。でも、これは僕を心配してくれてのことだから、文句は言えなかったけれど。
ショーンは知識としては、彼らの主張を知っているので適当な相槌を打っている。本当はエネルギーだのなんだのって言われても、判らないって言っていたのに。こういうところが大人なのか、ただ単に美人へのマナーだと思っているのか、僕にはちょっと判断がつかない。
「おーい!」
ミシェルが手を振りながらこちらへ向かって来ている。全員揃ったところで出発だ。
ボドミン・ムーアはとにかく広い。
車に戻って次の目的地に移動する途中、デュ・モーリアという作家の小説、「ジャマイカ・イン」のモデルとなったパブでランチにした。映画化もされているそうだけど、残念ながら、かなり古い作品らしく僕は知らない。
広い石造りの広場には、何台もの車が停まっている。横に長い建物に足を踏み入れると、なるほど、サスペンス小説の舞台だけあって、緋色の絨毯に白い漆喰壁、時代色のかかった梁に傷だらけの柱が、怪しげな雰囲気を醸し出している。更にその奥の、荒野の石を切り出してきてそのまま壁に埋め込んだような、素朴で荒々しい暖炉に目が吸い寄せられた。そして、その内側で躍る煌々とした焔……。
この店は観光地として有名らしく、巨石群では余り出会うことのなかった観光客が何組も見受けられ、店内はこんな田舎とは思えないほど賑わっている。時間帯もあるのかもしれない。空いている席に取りあえず落ち着く。
ショーンは、皿から転がり落ちそうなじゃがいもの小山とサラダが付け合わせのビーフシチューを注文し、僕はシーフード・リゾットを頼んだ。量の多いパブ飯のメニューの選び方も、大分解ってきたと思う。
食事が済んだら、次はアーサー王伝説の湖、ドズマリー・プールだ。アーサー王が、湖の貴婦人に聖剣エクスカリバーを与えられ、また死を目前にして返還したといわれる場所だ。
ここ、ボドミン・ムーアの、なだらかな丘陵の連なる地平線のこちら側には、川、湖、荒野……。そして、古代遺跡から中世の廃墟、架空と現実の重なる舞台であるこの場所などの、連綿と続く凝縮された時と、そこに刻まれた歴史が、これでもか、というほど詰まっていた。
僕たちも岩によじ登り、邪魔をしないように、彼女の反対側に腰掛けた。
コーンウォールの空は、雲が近い。手を伸ばせば届きそうなほどに。その雲が、ふっと眩暈を起こしそうな速さで風に流れていく。
眼下に広がる牧草地には牛が放牧されていて、のどかなことこの上ない。こんな場所での瞑想は、さぞ、豊かな内的世界に浸れるのだろう。それが、どんな世界なのか、僕には想像もつかないけれど。
と、空気が切り裂かれるように揺れた。「きゃっ!」と背後でコリーヌの叫び声が上がる。
すさまじい爆音とともに、戦闘機が頭上を駆け抜けた。
ぽかんと大口を開けてそれを目で追っていたショーンは、大きく息を吐く。そして皮肉気に嗤って、「この近くに軍の演習場があるんだ」と、教えてくれた。
「びっくりした」
本当にまだ心臓がバクバクしている。僕は心臓に手を当てて深呼吸した。
いつの時代からこの状態だったか判らない、時間の止まっているようなこの荒野から、いきなり現代のイギリスにタイムスリップしてしまったような気分だ。
「神秘的なムードも何もぶち壊しだな」
これは、コリーヌに向けられた言葉。彼女、組んでいた脚を解いて僕らの方を振り向いているのに、まだ夢の中みたいな焦点のぼけた顔をしている。
「せっかく躰の中に光が満ち満ちて、聖ミカエルの声が語り掛けてくれていたのに。あんな汚れに満ちた物体に邪魔されるなんて!」
でた! 天使の語り掛け! コリーヌはチャネリングまでする訳だ。やっぱり僕にはとてもじゃないけど、彼女と会話はできそうにない。
古い信仰や、まじない、魔術を含む伝説や、言い伝えを研究する民俗学でさえ、そんなものに興味のない人たちからすると、オカルトマニアのように受け取られて、胡散臭い眼で見られかねないのに。
コリーヌのようなニューエイジャーは、そんなことは全く気にしなくて、高次元のマスターやら、守護天使やらの導きの声に従って生き、世界を愛と平和で満たすのだ、と自信満々に布教してくる。
お腹を壊した時も、トーの丘でエネルギーをたくさん充電できたからと、翌日、僕をパワーストーンを使ったヒーリングの実験台にしようとして煩かった……。でも、これは僕を心配してくれてのことだから、文句は言えなかったけれど。
ショーンは知識としては、彼らの主張を知っているので適当な相槌を打っている。本当はエネルギーだのなんだのって言われても、判らないって言っていたのに。こういうところが大人なのか、ただ単に美人へのマナーだと思っているのか、僕にはちょっと判断がつかない。
「おーい!」
ミシェルが手を振りながらこちらへ向かって来ている。全員揃ったところで出発だ。
ボドミン・ムーアはとにかく広い。
車に戻って次の目的地に移動する途中、デュ・モーリアという作家の小説、「ジャマイカ・イン」のモデルとなったパブでランチにした。映画化もされているそうだけど、残念ながら、かなり古い作品らしく僕は知らない。
広い石造りの広場には、何台もの車が停まっている。横に長い建物に足を踏み入れると、なるほど、サスペンス小説の舞台だけあって、緋色の絨毯に白い漆喰壁、時代色のかかった梁に傷だらけの柱が、怪しげな雰囲気を醸し出している。更にその奥の、荒野の石を切り出してきてそのまま壁に埋め込んだような、素朴で荒々しい暖炉に目が吸い寄せられた。そして、その内側で躍る煌々とした焔……。
この店は観光地として有名らしく、巨石群では余り出会うことのなかった観光客が何組も見受けられ、店内はこんな田舎とは思えないほど賑わっている。時間帯もあるのかもしれない。空いている席に取りあえず落ち着く。
ショーンは、皿から転がり落ちそうなじゃがいもの小山とサラダが付け合わせのビーフシチューを注文し、僕はシーフード・リゾットを頼んだ。量の多いパブ飯のメニューの選び方も、大分解ってきたと思う。
食事が済んだら、次はアーサー王伝説の湖、ドズマリー・プールだ。アーサー王が、湖の貴婦人に聖剣エクスカリバーを与えられ、また死を目前にして返還したといわれる場所だ。
ここ、ボドミン・ムーアの、なだらかな丘陵の連なる地平線のこちら側には、川、湖、荒野……。そして、古代遺跡から中世の廃墟、架空と現実の重なる舞台であるこの場所などの、連綿と続く凝縮された時と、そこに刻まれた歴史が、これでもか、というほど詰まっていた。
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