122 / 193
Ⅲ.春の足音
118 旅36 贅沢な夜2
しおりを挟む
ショーンがシャワーを浴びている間に、アルビーにメールする。
明日の夜にはもうソールズベリーへ戻り、コリーヌたちともお別れだ。そこで二泊して、初めに予定していたエイズベリーと、ストーンヘンジへ行って、ロンドンに戻る。
――きみに逢いたい。きみを抱き締めて「ただいま」って言いたい。離れてたって、僕はずっときみでいっぱいだった。でもやっぱりきみに触れて、きみの輪郭をこの手で確かめたい。今、一番にそうしたい。
なんて打ってみても、送信ボタンを押す勇気はないけれど。
「コウ」
浴室から出て来たショーンは、ずいぶんな渋面だ。頑張っては見たけれど……、って顔。それに多分、僕の反応も気に入らないんだろうな。
「似合ってるよ」
チェシャ猫のようなニヤニヤ笑いをなんとかしようと、両手のひらで頬を押さえた。ショーンの奴、憮然としたため息をつき、恨みがましく僕を見ている。
くるんくるんのショーンの天然パーマが、スタイリング剤でもどうにもならないのは、僕のせいじゃないからね!
「行くか」
ショーンはちらりと壁の大きな鏡に眼をやり、ジャケットを羽織る。僕も「うん!」と頷いて、慌ててメールを送信して立ち上がった。
建物の裏手の行き届いた庭園をそぞろ歩いた。ちょうど夕暮れ時で、広々とした芝生に、金色の斜光が柔らかく包み込むように広がっていて、とても美しい。
「それにしても広いな」
ぐるりと一周して苦笑いする。せっかく髪を整えてきたのに、風でもうぐちゃぐちゃだ。ショーンは平気みたいだけれど、四月初めのこの時期は、日が傾くとまだまだ冷える。少し早足で、別棟の背後に広がる鬱蒼と茂る林の中へと分け入った。
木立の奥、どんつきらしい石造りの壁に突き当たる。かなり古そうだ。壁の上部にアーチ型の窓がある。屋根のないちいさな礼拝堂みたいだ。ここも遺跡なのだろうか? 数段の階段を上った箇所にある建物の入り口は、鉄柵で塞がれている。
いつの間にか、ホテルの敷地内から出てしまっていたのだろうか?
ぽつんと取り残されたように、雨ざらしで僅かに苔むしたベンチが置かれている。ショーンは気にせずそこに腰掛けた。
湿った土と緑の香りが満ち満ちている。
石塀に絡み付き、重くしなる葉を茂らせる蔦。太い樹々の陰る足元には、まだ開ききっていない細いシダが勢い良く伸びる。名も知らぬ雑草が小さな花をつけている。その陰にひっそりと置かれた平板状の石碑。そしてベンチと向かい合う、生い茂る草に守られるように立つ十字架を、茜色の木漏れ日が照らしている。
ここは、おそらく墓地なのだろう。
しめやかに色づいた空気に包まれた安寧の場所。
ショーンは黙ったまま、風雨にさらされ一部黒ずんでしまっている十字架を、じっと眺めていた。
僕は、ただ目を伏せてその場に立ち尽くしていた。彼に言葉を掛けることもできずに。
しばらくして、ショーンは音もなく立ち上がった。
「腹減ったな」
いつものように、笑っている。
彼は僕の肩を組んで、のんびりと歩き出した。「腹減った」様子にはとても見えない静かな瞳に、笑みを湛えて。
「ここのレストランの食材はな、全部地元で調達しているのがウリなんだ。ほら、あの辺でもーもー言っていた牛をさばいてな、今夜のテーブルに載せてるってわけさ。新鮮そのものだろ!」
林を抜けた駐車場の向こう側には、広大な牧場が広がっている。思わず目を剥いた僕を見て、ショーンはニヤリと笑っている。
「嘘だろ! そんなことを知ったら、きっとコリーヌがへそ曲げるよ!」
「内緒にしとこうぜ。食ってる最中にケチつけられるのはかなわないしな」
クスクス笑っているなんて。ひとが悪いよ。
こんな事を教えられると僕だって嫌だってことくらい、知っているくせに。理屈はどうだって、ここコーンウォールの地は、とにかく牛だの、羊だのがそこら中にいて。遺跡の横で草を食んだりしているのだから。
やっぱり直に目にしていると、可愛いんだもの……。
新鮮なのは、搾りたてのミルクで作ったクロテッド・クリームくらいでいいのに。そう思わずにはいられないよ。
明日の夜にはもうソールズベリーへ戻り、コリーヌたちともお別れだ。そこで二泊して、初めに予定していたエイズベリーと、ストーンヘンジへ行って、ロンドンに戻る。
――きみに逢いたい。きみを抱き締めて「ただいま」って言いたい。離れてたって、僕はずっときみでいっぱいだった。でもやっぱりきみに触れて、きみの輪郭をこの手で確かめたい。今、一番にそうしたい。
なんて打ってみても、送信ボタンを押す勇気はないけれど。
「コウ」
浴室から出て来たショーンは、ずいぶんな渋面だ。頑張っては見たけれど……、って顔。それに多分、僕の反応も気に入らないんだろうな。
「似合ってるよ」
チェシャ猫のようなニヤニヤ笑いをなんとかしようと、両手のひらで頬を押さえた。ショーンの奴、憮然としたため息をつき、恨みがましく僕を見ている。
くるんくるんのショーンの天然パーマが、スタイリング剤でもどうにもならないのは、僕のせいじゃないからね!
「行くか」
ショーンはちらりと壁の大きな鏡に眼をやり、ジャケットを羽織る。僕も「うん!」と頷いて、慌ててメールを送信して立ち上がった。
建物の裏手の行き届いた庭園をそぞろ歩いた。ちょうど夕暮れ時で、広々とした芝生に、金色の斜光が柔らかく包み込むように広がっていて、とても美しい。
「それにしても広いな」
ぐるりと一周して苦笑いする。せっかく髪を整えてきたのに、風でもうぐちゃぐちゃだ。ショーンは平気みたいだけれど、四月初めのこの時期は、日が傾くとまだまだ冷える。少し早足で、別棟の背後に広がる鬱蒼と茂る林の中へと分け入った。
木立の奥、どんつきらしい石造りの壁に突き当たる。かなり古そうだ。壁の上部にアーチ型の窓がある。屋根のないちいさな礼拝堂みたいだ。ここも遺跡なのだろうか? 数段の階段を上った箇所にある建物の入り口は、鉄柵で塞がれている。
いつの間にか、ホテルの敷地内から出てしまっていたのだろうか?
ぽつんと取り残されたように、雨ざらしで僅かに苔むしたベンチが置かれている。ショーンは気にせずそこに腰掛けた。
湿った土と緑の香りが満ち満ちている。
石塀に絡み付き、重くしなる葉を茂らせる蔦。太い樹々の陰る足元には、まだ開ききっていない細いシダが勢い良く伸びる。名も知らぬ雑草が小さな花をつけている。その陰にひっそりと置かれた平板状の石碑。そしてベンチと向かい合う、生い茂る草に守られるように立つ十字架を、茜色の木漏れ日が照らしている。
ここは、おそらく墓地なのだろう。
しめやかに色づいた空気に包まれた安寧の場所。
ショーンは黙ったまま、風雨にさらされ一部黒ずんでしまっている十字架を、じっと眺めていた。
僕は、ただ目を伏せてその場に立ち尽くしていた。彼に言葉を掛けることもできずに。
しばらくして、ショーンは音もなく立ち上がった。
「腹減ったな」
いつものように、笑っている。
彼は僕の肩を組んで、のんびりと歩き出した。「腹減った」様子にはとても見えない静かな瞳に、笑みを湛えて。
「ここのレストランの食材はな、全部地元で調達しているのがウリなんだ。ほら、あの辺でもーもー言っていた牛をさばいてな、今夜のテーブルに載せてるってわけさ。新鮮そのものだろ!」
林を抜けた駐車場の向こう側には、広大な牧場が広がっている。思わず目を剥いた僕を見て、ショーンはニヤリと笑っている。
「嘘だろ! そんなことを知ったら、きっとコリーヌがへそ曲げるよ!」
「内緒にしとこうぜ。食ってる最中にケチつけられるのはかなわないしな」
クスクス笑っているなんて。ひとが悪いよ。
こんな事を教えられると僕だって嫌だってことくらい、知っているくせに。理屈はどうだって、ここコーンウォールの地は、とにかく牛だの、羊だのがそこら中にいて。遺跡の横で草を食んだりしているのだから。
やっぱり直に目にしていると、可愛いんだもの……。
新鮮なのは、搾りたてのミルクで作ったクロテッド・クリームくらいでいいのに。そう思わずにはいられないよ。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
理香は俺のカノジョじゃねえ
中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
クラスのボッチくんな僕が風邪をひいたら急激なモテ期が到来した件について。
とうふ
BL
題名そのままです。
クラスでボッチ陰キャな僕が風邪をひいた。友達もいないから、誰も心配してくれない。静かな部屋で落ち込んでいたが...モテ期の到来!?いつも無視してたクラスの人が、先生が、先輩が、部屋に押しかけてきた!あの、僕風邪なんですけど。
少年ペット契約
眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。
↑上記作品を知らなくても読めます。
小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。
趣味は布団でゴロゴロする事。
ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。
文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。
文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。
文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。
三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。
文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。
※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。
※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる