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Ⅲ.春の足音
117 旅35 贅沢な夜1
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今晩宿泊するというホテルには、唖然としてしまった。黄水仙に彩られた舗道から、広い駐車スペースに降り立った時にはまだ判らなかった。外観はこの地方特有の石造りの建物なのだ。けれど一歩中へ足を踏み入れると、ナショナル・トラストが管理しているお城のような造りなんだもの!
それもそのはず、この家族経営のホテルは、十八世紀初頭から連綿と続く有名な旅館なのだそうだ。
「貧乏旅行でこんな贅沢して大丈夫なの?」
僕は気後れして、そっとショーンの袖を引く。彼はちょっと身を屈めて僕に耳打ちしてくれた。
「嘘だろ?」
「お値打ちだろ?」
どうやら車でなければ訪れ難い田舎であることと、シーズンオフも手伝って、街中のB&Bに泊まるよりもずっと安い、それこそ破格の値段で宿泊できる、ということらしい。
それに付属のレストランは何かの賞を取った有名店で、やはりそこも、ロンドンとは比べられない低価格で食事できるいうことだ。夕食も、もう予約を入れているという。
「また後でね」
「レストランでな」
部屋の前でコリーヌたちと別れて、ドアを開けてまた驚きだ。僕はもうほえー、と感動するばかりで声も出ない。
リビングとベッドルームの二つの部屋がくっついているような、そんなホテルの部屋なんて初めてだ。象牙色の壁は新しそうだけど、重厚感のあるカーテンや、艶やかに光る複雑な彫刻に縁どられた鏡。調度品は見るからに上等そうで……。
「お、古物好きのきみ向きの部屋だな!」
なんて、ショーンに揶揄われても、胸のワクワク感は収まらない。
それに何と言っても、お風呂!
これはもう、浴室というよりも、部屋をお風呂に改造したとしか言いようがないほど、無駄に広いんだ!
僕が浮かれて部屋を隅々まで探索している間、ショーンはゆったりとソファーに腰を据えて、本を開いていた。
「何を読んでいるの?」
「ん? 明日の予習。結構広い範囲を歩くからさ、効率良く回れるようにしないとな」
「いつもありがとう、ショーン」
本当にありがとう。僕はいつも彼におんぶにだっこで、小さな子どものように後ろからついて回るだけで、この旅行を享受させてもらっている。
僕が体調を崩して早々と寝てしまった時も、泥酔してしまっていた時だって、ショーンはこうして、ルートや、見どころや、宿舎の確保をミシェルたちと相談しながら進めてくれていたんだ。
ショーンはにっと笑っただけで、本から顔をあげなかった。うんちく話に感心されるのは大好きなくせに、彼は自分のことを褒められるのは、こんなふうに恥ずかしがるんだ。
「そういや、きみ、ジャケットは持ってきたかい」
「え? うん。一応」
いくら貧乏旅行とは言っても何があるか判らないから、リュックにいれておくようにと、アルビーに言われたから。
「でも、皺くちゃかもしれない」
「アイロン備え付けだ」
と、ショーンはキャビネットを顎でしゃくる。
「昏くなる前に庭を見に行こう。夕食までまだ時間もあるしな。探検したいだろ? でもその前に、」
ショーンに言われた通りに、ジャケットにアイロンをかけ、軽くシャワーを浴びてさっぱりしてから着替えた。
今日最後に訪れたローチ・ロックは、高さ四十メートルはある荒野に突き出た花崗岩の塊の上に築かれた、崩れかけの聖ミカエルの礼拝堂跡だ。
そこに立つために、とんでもない強風の中を添え付けの鉄製の梯子を登っていった。階段の旅も、とうとう垂直の梯子まで登る羽目になったという訳だ。
その鉄の匂いが、手のひらにずっと残っている気がした。無茶苦茶に風になぶられた髪の毛も、ごわごわしていた。
シャワーと言わず、湯船に浸かって疲れを癒したいけれど、そんなことを今したら、それこそバスタブで眠ってしまうかもしれない。着替えながら、恨めしい思いでバスタブを睨んだ。
ああ、そうか。安宿ではシャワーしかないから……。
階段にしろ、荒野にしろ、かなりの距離を歩き回るこの遺跡巡りは、体力のない僕には結構きつい。もちろん、僕だけのためではないだろうけれど。
僕よりもずっとバイタリティーに溢れているコリーヌにしても、ユースホステルの狭くて硬いベッドに、ずっと文句を言っていた。
こんなふうにショーンは、そしてミシェルも、僕やコリーヌを気遣いながら、いろんなことを考えてくれているのだな、と思うと、堪らなく自分自身が恥ずかしかった。
それもそのはず、この家族経営のホテルは、十八世紀初頭から連綿と続く有名な旅館なのだそうだ。
「貧乏旅行でこんな贅沢して大丈夫なの?」
僕は気後れして、そっとショーンの袖を引く。彼はちょっと身を屈めて僕に耳打ちしてくれた。
「嘘だろ?」
「お値打ちだろ?」
どうやら車でなければ訪れ難い田舎であることと、シーズンオフも手伝って、街中のB&Bに泊まるよりもずっと安い、それこそ破格の値段で宿泊できる、ということらしい。
それに付属のレストランは何かの賞を取った有名店で、やはりそこも、ロンドンとは比べられない低価格で食事できるいうことだ。夕食も、もう予約を入れているという。
「また後でね」
「レストランでな」
部屋の前でコリーヌたちと別れて、ドアを開けてまた驚きだ。僕はもうほえー、と感動するばかりで声も出ない。
リビングとベッドルームの二つの部屋がくっついているような、そんなホテルの部屋なんて初めてだ。象牙色の壁は新しそうだけど、重厚感のあるカーテンや、艶やかに光る複雑な彫刻に縁どられた鏡。調度品は見るからに上等そうで……。
「お、古物好きのきみ向きの部屋だな!」
なんて、ショーンに揶揄われても、胸のワクワク感は収まらない。
それに何と言っても、お風呂!
これはもう、浴室というよりも、部屋をお風呂に改造したとしか言いようがないほど、無駄に広いんだ!
僕が浮かれて部屋を隅々まで探索している間、ショーンはゆったりとソファーに腰を据えて、本を開いていた。
「何を読んでいるの?」
「ん? 明日の予習。結構広い範囲を歩くからさ、効率良く回れるようにしないとな」
「いつもありがとう、ショーン」
本当にありがとう。僕はいつも彼におんぶにだっこで、小さな子どものように後ろからついて回るだけで、この旅行を享受させてもらっている。
僕が体調を崩して早々と寝てしまった時も、泥酔してしまっていた時だって、ショーンはこうして、ルートや、見どころや、宿舎の確保をミシェルたちと相談しながら進めてくれていたんだ。
ショーンはにっと笑っただけで、本から顔をあげなかった。うんちく話に感心されるのは大好きなくせに、彼は自分のことを褒められるのは、こんなふうに恥ずかしがるんだ。
「そういや、きみ、ジャケットは持ってきたかい」
「え? うん。一応」
いくら貧乏旅行とは言っても何があるか判らないから、リュックにいれておくようにと、アルビーに言われたから。
「でも、皺くちゃかもしれない」
「アイロン備え付けだ」
と、ショーンはキャビネットを顎でしゃくる。
「昏くなる前に庭を見に行こう。夕食までまだ時間もあるしな。探検したいだろ? でもその前に、」
ショーンに言われた通りに、ジャケットにアイロンをかけ、軽くシャワーを浴びてさっぱりしてから着替えた。
今日最後に訪れたローチ・ロックは、高さ四十メートルはある荒野に突き出た花崗岩の塊の上に築かれた、崩れかけの聖ミカエルの礼拝堂跡だ。
そこに立つために、とんでもない強風の中を添え付けの鉄製の梯子を登っていった。階段の旅も、とうとう垂直の梯子まで登る羽目になったという訳だ。
その鉄の匂いが、手のひらにずっと残っている気がした。無茶苦茶に風になぶられた髪の毛も、ごわごわしていた。
シャワーと言わず、湯船に浸かって疲れを癒したいけれど、そんなことを今したら、それこそバスタブで眠ってしまうかもしれない。着替えながら、恨めしい思いでバスタブを睨んだ。
ああ、そうか。安宿ではシャワーしかないから……。
階段にしろ、荒野にしろ、かなりの距離を歩き回るこの遺跡巡りは、体力のない僕には結構きつい。もちろん、僕だけのためではないだろうけれど。
僕よりもずっとバイタリティーに溢れているコリーヌにしても、ユースホステルの狭くて硬いベッドに、ずっと文句を言っていた。
こんなふうにショーンは、そしてミシェルも、僕やコリーヌを気遣いながら、いろんなことを考えてくれているのだな、と思うと、堪らなく自分自身が恥ずかしかった。
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