霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅲ.春の足音

110 旅28 YHA

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 一頻り泣いて、ショーンは顔を上げた。大きくため息を吐いて、照れ臭そうに笑った。

「俺が、それに彼女がきみにしつこく訊いていた理由はな、きみの話してくれた『レメゲトン』、通称『クラビクラ・サロモニス』が、ギリシア語だったからさ。きみ、英訳されたものを知らないんだろ? この古書に、ギリシア語写本は発見されたことはないんだよ。内容も、きみの話と英訳写本とでは相違点が多くあった」

 息を呑んでショーンを、次いで、眼下の石造りの舞台で、楽しそうにミシェルとじゃれ合っているコリーヌに眼をやった。まるで女優のように大袈裟な身振りで喋っている。何かの台詞なのかもしれない。

 その背後の岩壁に打ち寄せる波涛に、僕自身が打ち砕かれそうだ。

 僕の持つ知識基盤、出典、が、ショーンや彼女のもつものとズレを生じているなんて、まるで考えもしなかった。

「もしかすると原典か、それに類するものじゃないかと思った訳さ。もし、その古写本が燃えずに残っていたら、凄い発見だよ。そういう事さ。妹のことは、きみに指摘されるまで思いもよらなかったよ。だけど、多分、そうなんだ。心の奥底で確かに俺は、その可能性を恐れていたんだ。古代信仰の闇の部分をさ。御伽噺に隠された真の意味……、とも、言えるものを」

 声が自嘲的に震えていた。眉を寄せ、ショーンは海原の彼方を睨めつけていた。

「きみは、俺が眼を背け続けていた心のしこりを汲み取ってくれていたっていうのにさ、俺はきみの事情なんて考えもしないで、欲に囚われていたって言う訳だ。恥ずかしくて堪らないよ」

 恥ずかしいのは僕の方だ。また盛大な勘違いの思い込みで、言わなくてもいいことを言ってしまったんだ!


 すっかり落ち込んで項垂れてしまっていた僕の背中を、ショーンがバンッと叩いた。
「そろそろ行こうか。もう日も落ちる」

 いつの間にか空と海が溶けあうような、紺青の薄闇に包まれつつあった。ミシェルたちも階段を上がって来ている。ちらとショーンを見やると、彼はすっきりとした笑みを湛えて、くいっと頭を傾げて先に行くようにと促した。
 階段を上がるのは、僕が先。ショーンがその数歩後。僕が階段を踏み外して転がり落ちないように。それはレディや小さな子どもに対するマナーだろ? いつだって子ども扱いだ。アルビーが特別な訳じゃないって、身に沁みた。僕が幼稚だからだ。僕の幼さが彼らを不安にさせ、過剰な対応をさせるんだ。


 

 昏くなってから到着したペンザンスのユースホステルは、まるで森の中に分け入るように鬱蒼とした樹々の間を通り抜けた場所にある、白壁の綺麗な建物だった。
 中はバーレストランに、ゆったりとしたソファーのあるラウンジもあって、小さなホテルと大差ない。装飾的な廻り階段に、天井や壁、ドア周りにはモールディング装飾が施されていて、上品で落ち着いている。大きな暖炉跡には、今は焔ではなく本が詰め込まれている。そこかしこに残る豪奢な雰囲気は、元は立派なお屋敷だったのではないだろうか?

 期待に胸を膨らませ、今晩泊まる部屋のドアを開けると、紅紫こうし色の壁面が飛び込んできて吹き出してしまった。時々、いや頻繁に、僕は英国人ブリティッシュの配色センスに、こんなふうに驚かされるんだ!
 でも部屋はそこそこの広さの中に、二段ベッドが二つ。清潔感があってこれなら、とほっとした。コリーヌが一緒でも、壁に顔を向けてさっさと眠ってしまえばいい。


 荷物を置いて夕食に出た。僕は付属のレストランでもよかったのだけど、コリーヌたちが学食のような雰囲気が嫌だと言ったから。それは確かに。

「バースでは、コウが料理してくれたお陰で食費が安く済んだからね」
「今晩は私たちが奢るわ」
 と、ミシェルとコリーヌに代わる代わる言われ、彼らが口コミで仕入れてきたお薦めのパブへ行くことになった。







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