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Ⅲ.春の足音
107 旅25 魔女2
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中から取り出されたのは、布でできた人形だった。魔女の恰好をしている、と言う訳でもない、何の変哲もないよくある女の子のおもちゃみたいだ。黄色い毛糸の髪に、青いボタンの目。丁寧にそばかすまで描いてある。
「当代一の魔女が作ったのよ」
コリーヌの空色の瞳が猫のように細まり、笑みを湛える。
「ふ~ん、上手だね。魔女も手芸が趣味なのかな?」
僕の気のない返事に、コリーヌの眼がキッと釣り上がる。僕は反射的に目を伏せていた。マリーにしてもそうだけど、女の子を怒らせるものじゃない。だって、怖いもの。
なんとなく気詰まりになってしまった空気も、運ばれて来たコーニッシュ・パスティで直ぐに緩んだ。これは、細切れの肉や野菜をパイ皮で二つ折りに包んで焼いたこの地方の郷土料理だ。ロンドンでも人気があるので食べたことはあるけれど、やはり本場で食べなくては。コリーヌは、ベジタリアン用のサラダを頼んでいる。こんな田舎でもちゃんとベジタリアンメニューが用意されているのは、僕が想像する以上にベジタリアンが多いからだろうか?
ともかく人形は袋に戻され、まずは腹ごしらえだ。アツアツのパイを手掴みで頬張った。もともとは鉱山で働く鉱夫たちの昼食用に、生地の閉じた部分を太く持ちやすくし、汚れた手のままでも食べられるように工夫してあるのだそうだ。気取って食べなくてもいいのが嬉しい。ティンタジェルを見て回る前に、昼食用にバズの家で作っておいたサンドイッチを食べたけれど、もうさすがにいい時間だ。余り意識していなかったのに、かなりお腹は空いていた。
これから、今日宿泊することになるペンザンスに向かう。明日朝から訪れる予定のセント・マイケルズ・マウントの最寄りの街だ。
フランスのモン・サン=ミッシェルは世界遺産で日本でも知られた観光地だけど、同じ名前のここも、引き潮時だけ歩いて渡ることができる海に囲まれた小さな孤島だ。そして、同じように聖ミカエルの修道院がある。セント・マイケルズ・レイラインの始まりの地だ。
あっという間に食べ終わり、ミシェルの広げている地図を横目に覗き込む。
「今晩はユースホステルに泊まるよ。安上りだしね」
彼は僕の視線に気づいて、にこやかな笑みを浮かべた。
「ドミトリーは一杯だったけど、四人用の個室が取れたよ。ちょうどキャンセルがあったらしい。ちょっと割高だけどね」
「仕方ないさ。部屋が取れただけでラッキーだ。朝食は?」
四人用の個室って、コリーヌも同じ部屋で寝るってこと? ショーンはそんな事問題にすらしていない。思わず彼女を見てしまった。けれど気にしている様子はない。こういうのって、普通なのかな? そうなんだろうな、きっと。
コリーヌがぱっと僕の視線を捉えた。
「コウ、」
食べ終わった皿を重ね、空いたスペースにまたあの人形を持ち出す。
「この人形を使ってコウの執り行ったっていう儀式を再現して欲しいの。できるでしょう?」
食べ終えたばかりのサラダのドレッシングのせいか、やたらと紅い唇がつややかに、艶めかしく光っている。
鼻に掛かったフランス訛りの、甘えるような声を紡ぎ出す細く白い喉。今まで、彼女のことをこんな風に意識して見たことはなかったのに。
「僕には無理。前にも言っただろ? あれは友人が仕切ったもので、」
「たとえそうでも、あなたの記憶力なら再現できるはずよ! 写本がなくたって、覚えているんでしょう?」
コリーヌはあくまで食い下がってくる。僕は吐息を噛み殺しショーンを睨んだ。目を逸らされる。
「記憶力の問題じゃないよ。忘れてるんじゃないの? 僕は日本人なんだってこと。僕の発音じゃ儀式は行えない」
コリーヌの目が呆気に取られたように見開かれる。隣に座るミシェルはひょいと肩をすくめている。
「あなたの発音、充分綺麗じゃない」
「確かに、俺よりずっとお上品だ」
ショーンが皮肉気に口の先で笑っている。
「呪文はギリシア語なんだ」
「『レメゲトン』のギリシア語写本!」
コリーヌの甲高い声に、周囲のテーブルから視線が集中する。僕は声を潜めて彼女を睨んだ。
「それだけじゃない。今は夏至からは程遠い季節だって解っているだろ? 時期を考慮せずに儀式なんて行える訳がないじゃないか。儀式魔術の基礎中の基礎だろ? きみほどの知識の持ち主が知らないはずがないのに、僕に死ねって言うの?」
彼女の表情は変わらなかった。それなのになぜだか、彼女は、薄らと頬笑んでいるように僕には見えた。
「当代一の魔女が作ったのよ」
コリーヌの空色の瞳が猫のように細まり、笑みを湛える。
「ふ~ん、上手だね。魔女も手芸が趣味なのかな?」
僕の気のない返事に、コリーヌの眼がキッと釣り上がる。僕は反射的に目を伏せていた。マリーにしてもそうだけど、女の子を怒らせるものじゃない。だって、怖いもの。
なんとなく気詰まりになってしまった空気も、運ばれて来たコーニッシュ・パスティで直ぐに緩んだ。これは、細切れの肉や野菜をパイ皮で二つ折りに包んで焼いたこの地方の郷土料理だ。ロンドンでも人気があるので食べたことはあるけれど、やはり本場で食べなくては。コリーヌは、ベジタリアン用のサラダを頼んでいる。こんな田舎でもちゃんとベジタリアンメニューが用意されているのは、僕が想像する以上にベジタリアンが多いからだろうか?
ともかく人形は袋に戻され、まずは腹ごしらえだ。アツアツのパイを手掴みで頬張った。もともとは鉱山で働く鉱夫たちの昼食用に、生地の閉じた部分を太く持ちやすくし、汚れた手のままでも食べられるように工夫してあるのだそうだ。気取って食べなくてもいいのが嬉しい。ティンタジェルを見て回る前に、昼食用にバズの家で作っておいたサンドイッチを食べたけれど、もうさすがにいい時間だ。余り意識していなかったのに、かなりお腹は空いていた。
これから、今日宿泊することになるペンザンスに向かう。明日朝から訪れる予定のセント・マイケルズ・マウントの最寄りの街だ。
フランスのモン・サン=ミッシェルは世界遺産で日本でも知られた観光地だけど、同じ名前のここも、引き潮時だけ歩いて渡ることができる海に囲まれた小さな孤島だ。そして、同じように聖ミカエルの修道院がある。セント・マイケルズ・レイラインの始まりの地だ。
あっという間に食べ終わり、ミシェルの広げている地図を横目に覗き込む。
「今晩はユースホステルに泊まるよ。安上りだしね」
彼は僕の視線に気づいて、にこやかな笑みを浮かべた。
「ドミトリーは一杯だったけど、四人用の個室が取れたよ。ちょうどキャンセルがあったらしい。ちょっと割高だけどね」
「仕方ないさ。部屋が取れただけでラッキーだ。朝食は?」
四人用の個室って、コリーヌも同じ部屋で寝るってこと? ショーンはそんな事問題にすらしていない。思わず彼女を見てしまった。けれど気にしている様子はない。こういうのって、普通なのかな? そうなんだろうな、きっと。
コリーヌがぱっと僕の視線を捉えた。
「コウ、」
食べ終わった皿を重ね、空いたスペースにまたあの人形を持ち出す。
「この人形を使ってコウの執り行ったっていう儀式を再現して欲しいの。できるでしょう?」
食べ終えたばかりのサラダのドレッシングのせいか、やたらと紅い唇がつややかに、艶めかしく光っている。
鼻に掛かったフランス訛りの、甘えるような声を紡ぎ出す細く白い喉。今まで、彼女のことをこんな風に意識して見たことはなかったのに。
「僕には無理。前にも言っただろ? あれは友人が仕切ったもので、」
「たとえそうでも、あなたの記憶力なら再現できるはずよ! 写本がなくたって、覚えているんでしょう?」
コリーヌはあくまで食い下がってくる。僕は吐息を噛み殺しショーンを睨んだ。目を逸らされる。
「記憶力の問題じゃないよ。忘れてるんじゃないの? 僕は日本人なんだってこと。僕の発音じゃ儀式は行えない」
コリーヌの目が呆気に取られたように見開かれる。隣に座るミシェルはひょいと肩をすくめている。
「あなたの発音、充分綺麗じゃない」
「確かに、俺よりずっとお上品だ」
ショーンが皮肉気に口の先で笑っている。
「呪文はギリシア語なんだ」
「『レメゲトン』のギリシア語写本!」
コリーヌの甲高い声に、周囲のテーブルから視線が集中する。僕は声を潜めて彼女を睨んだ。
「それだけじゃない。今は夏至からは程遠い季節だって解っているだろ? 時期を考慮せずに儀式なんて行える訳がないじゃないか。儀式魔術の基礎中の基礎だろ? きみほどの知識の持ち主が知らないはずがないのに、僕に死ねって言うの?」
彼女の表情は変わらなかった。それなのになぜだか、彼女は、薄らと頬笑んでいるように僕には見えた。
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