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Ⅲ.春の足音
100 旅18 スパ2
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「コウ、怒ったの? 僕のせいで気を悪くしたのなら謝るから」
美しく連なる街並みに、ひと際抜きんでた精彩を放つバース寺院を間近に眺めながら屋上の露天風呂に浸かっていると、バズが伏し目がちに周りを気にしながら囁いてきた。
背中の痕のことを指摘されてから気まずくて、避けていた、ってほどでもないけれど、僕の態度がぎこちなくなってしまっていたのを気にしていたみたいだ。
「怒ってなんかいないよ。ちょっと恥ずかしかっただけで」
「恥ずかしい? そうなの。背中のことだよね? 僕なら自慢しちゃうけどな」
自慢って……。ちょっと想像がつかない。
「きみは恋人はいるの?」
「いるよ。でも、もう無理かもしれない」
「ああ、試験中だものね。そんな余裕もなくなるよね」
「そうじゃなくて……」
なんだかもどかし気に、バズはぱしゃぱしゃとお湯を叩いている。そのままなんとなく、会話は途切れた。
僕はこの会話がアルビーのことまで追求されず終わったことに安堵し、年下でも、彼は多分恋愛面では僕よりずっと先輩なんだろうな、ともうちょっと突っ込んで訊いてみたい気になった。でも、そうすると僕の方も喋らなくてはならなくなるし、やっぱり無理だ。大体アルビーと僕の関係は恋愛じゃないから、話しようがない。
だからそのままぼんやりと温いお湯の中で溶けていた。トロトロと。徐々に光を失っていく鈍色の青の中に。
僕の向かいに俯いて立つ、バズの背後で空が赤く染まってゆく。その赤がまた、大浴場の湯に映りさざ波となって揺れる。バズを擦り抜け、揺らめく焔のような赤色に吸い込まれ、呑み込まれたいような気分で吐息を漏らした。
「綺麗だね、本当に」
バズは黙ったまま後ろを振り返り、ゆらりと位置を変えて僕の横に並んだ。
「彼らは夕陽なんてそっちのけだね。もったいない」
コリーヌとミシェルは二人がかりで、先程の「ワツ」を再現してショーンに教えるのに忙しい。
「コウはいいの? スパトリートメント、本当は受けてみたかったんだろ?」
「もう充分くつろげたよ。このまま眠ってしまいそうで、さっきからヤバいよ」
「寝ちゃ駄目だよ。何か話して。昨日みたいにいろんなこと。面白い話をしてよ」
「バズもケルト信仰に興味があるの、ショーンみたいに?」
昨日、ローマ浴場跡でどんな話をしてたっけ? 気脈と龍脈、活断層の話だっけ。
「興味っていうか、コウの話は不思議で面白いよ。聞いたことのない話ばかりだもの」
「ありがとう。僕はショーンといると勉強になるよ。彼は引き出しがすごく多いだろ? 異なった文化や伝承の類似性をたちどころに嗅ぎつけてくれるんだ」
「ショーンが?」
バズは驚いたように、ちょっと周りに迷惑なんじゃないかと思えるほど賑やかなあの三人を眺めた。
「うん。例えば、日本の神話の逸話を話すだろ? ショーンはすぐに類似する逸話を教えてくれるんだ。ギリシア神話ならこうで、ケルト神話ではこう、ゲルマン神話ではこうなっているってね。面白いよ。僕はまだ勉強し始めたばかりだからね、知識じゃ全然かなわない」
「コウの意見はすごく独創的で驚かされるよ。知識がたくさんあっても独自の視点を持てる奴は少なくて、コウはそういう意味でもダントツだって、ショーンが褒めてたよ。僕もそう思う」
なんだか面映ゆいな。
「それに、」
「うん?」
バズはまた顔を伏せて黙り込んでしまった。言い難いことなのかな? 上げてから落とす、とか……。今までの会話からそういう子じゃないのは判っているつもりだけど、沈黙は怖い。
「明日でお別れなんて、淋しいよ」
「ロンドンに遊びにおいでよ。試験が終わったらさ」
「また逢える?」
「もちろん」
そんなふうに言ってもらえたことが嬉しくて、自然に顔がほころんでいた。バズもはにかんだように「本気にするよ」、と笑って言った。
美しく連なる街並みに、ひと際抜きんでた精彩を放つバース寺院を間近に眺めながら屋上の露天風呂に浸かっていると、バズが伏し目がちに周りを気にしながら囁いてきた。
背中の痕のことを指摘されてから気まずくて、避けていた、ってほどでもないけれど、僕の態度がぎこちなくなってしまっていたのを気にしていたみたいだ。
「怒ってなんかいないよ。ちょっと恥ずかしかっただけで」
「恥ずかしい? そうなの。背中のことだよね? 僕なら自慢しちゃうけどな」
自慢って……。ちょっと想像がつかない。
「きみは恋人はいるの?」
「いるよ。でも、もう無理かもしれない」
「ああ、試験中だものね。そんな余裕もなくなるよね」
「そうじゃなくて……」
なんだかもどかし気に、バズはぱしゃぱしゃとお湯を叩いている。そのままなんとなく、会話は途切れた。
僕はこの会話がアルビーのことまで追求されず終わったことに安堵し、年下でも、彼は多分恋愛面では僕よりずっと先輩なんだろうな、ともうちょっと突っ込んで訊いてみたい気になった。でも、そうすると僕の方も喋らなくてはならなくなるし、やっぱり無理だ。大体アルビーと僕の関係は恋愛じゃないから、話しようがない。
だからそのままぼんやりと温いお湯の中で溶けていた。トロトロと。徐々に光を失っていく鈍色の青の中に。
僕の向かいに俯いて立つ、バズの背後で空が赤く染まってゆく。その赤がまた、大浴場の湯に映りさざ波となって揺れる。バズを擦り抜け、揺らめく焔のような赤色に吸い込まれ、呑み込まれたいような気分で吐息を漏らした。
「綺麗だね、本当に」
バズは黙ったまま後ろを振り返り、ゆらりと位置を変えて僕の横に並んだ。
「彼らは夕陽なんてそっちのけだね。もったいない」
コリーヌとミシェルは二人がかりで、先程の「ワツ」を再現してショーンに教えるのに忙しい。
「コウはいいの? スパトリートメント、本当は受けてみたかったんだろ?」
「もう充分くつろげたよ。このまま眠ってしまいそうで、さっきからヤバいよ」
「寝ちゃ駄目だよ。何か話して。昨日みたいにいろんなこと。面白い話をしてよ」
「バズもケルト信仰に興味があるの、ショーンみたいに?」
昨日、ローマ浴場跡でどんな話をしてたっけ? 気脈と龍脈、活断層の話だっけ。
「興味っていうか、コウの話は不思議で面白いよ。聞いたことのない話ばかりだもの」
「ありがとう。僕はショーンといると勉強になるよ。彼は引き出しがすごく多いだろ? 異なった文化や伝承の類似性をたちどころに嗅ぎつけてくれるんだ」
「ショーンが?」
バズは驚いたように、ちょっと周りに迷惑なんじゃないかと思えるほど賑やかなあの三人を眺めた。
「うん。例えば、日本の神話の逸話を話すだろ? ショーンはすぐに類似する逸話を教えてくれるんだ。ギリシア神話ならこうで、ケルト神話ではこう、ゲルマン神話ではこうなっているってね。面白いよ。僕はまだ勉強し始めたばかりだからね、知識じゃ全然かなわない」
「コウの意見はすごく独創的で驚かされるよ。知識がたくさんあっても独自の視点を持てる奴は少なくて、コウはそういう意味でもダントツだって、ショーンが褒めてたよ。僕もそう思う」
なんだか面映ゆいな。
「それに、」
「うん?」
バズはまた顔を伏せて黙り込んでしまった。言い難いことなのかな? 上げてから落とす、とか……。今までの会話からそういう子じゃないのは判っているつもりだけど、沈黙は怖い。
「明日でお別れなんて、淋しいよ」
「ロンドンに遊びにおいでよ。試験が終わったらさ」
「また逢える?」
「もちろん」
そんなふうに言ってもらえたことが嬉しくて、自然に顔がほころんでいた。バズもはにかんだように「本気にするよ」、と笑って言った。
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