霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
104 / 193
Ⅲ.春の足音

100 旅18 スパ2

しおりを挟む
「コウ、怒ったの? 僕のせいで気を悪くしたのなら謝るから」
 美しく連なる街並みに、ひと際抜きんでた精彩を放つバース寺院を間近に眺めながら屋上の露天風呂に浸かっていると、バズが伏し目がちに周りを気にしながら囁いてきた。
 
 背中の痕のことを指摘されてから気まずくて、避けていた、ってほどでもないけれど、僕の態度がぎこちなくなってしまっていたのを気にしていたみたいだ。

「怒ってなんかいないよ。ちょっと恥ずかしかっただけで」
「恥ずかしい? そうなの。背中のことだよね? 僕なら自慢しちゃうけどな」

 自慢って……。ちょっと想像がつかない。

「きみは恋人はいるの?」
「いるよ。でも、もう無理かもしれない」
「ああ、試験中だものね。そんな余裕もなくなるよね」
「そうじゃなくて……」

 なんだかもどかし気に、バズはぱしゃぱしゃとお湯を叩いている。そのままなんとなく、会話は途切れた。
 僕はこの会話がアルビーのことまで追求されず終わったことに安堵し、年下でも、彼は多分恋愛面では僕よりずっと先輩なんだろうな、ともうちょっと突っ込んで訊いてみたい気になった。でも、そうすると僕の方も喋らなくてはならなくなるし、やっぱり無理だ。大体アルビーと僕の関係は恋愛じゃないから、話しようがない。

 だからそのままぼんやりと温いお湯の中で溶けていた。トロトロと。徐々に光を失っていく鈍色の青の中に。
 僕の向かいに俯いて立つ、バズの背後で空が赤く染まってゆく。その赤がまた、大浴場の湯に映りさざ波となって揺れる。バズを擦り抜け、揺らめく焔のような赤色に吸い込まれ、呑み込まれたいような気分で吐息を漏らした。

「綺麗だね、本当に」
 バズは黙ったまま後ろを振り返り、ゆらりと位置を変えて僕の横に並んだ。
「彼らは夕陽なんてそっちのけだね。もったいない」

 コリーヌとミシェルは二人がかりで、先程の「ワツ」を再現してショーンに教えるのに忙しい。

「コウはいいの? スパトリートメント、本当は受けてみたかったんだろ?」
「もう充分くつろげたよ。このまま眠ってしまいそうで、さっきからヤバいよ」
「寝ちゃ駄目だよ。何か話して。昨日みたいにいろんなこと。面白い話をしてよ」
「バズもケルト信仰に興味があるの、ショーンみたいに?」


 昨日、ローマ浴場跡ローマン・バスでどんな話をしてたっけ? 気脈と龍脈、活断層の話だっけ。

「興味っていうか、コウの話は不思議で面白いよ。聞いたことのない話ばかりだもの」
「ありがとう。僕はショーンといると勉強になるよ。彼は引き出しがすごく多いだろ? 異なった文化や伝承の類似性をたちどころに嗅ぎつけてくれるんだ」
「ショーンが?」

 バズは驚いたように、ちょっと周りに迷惑なんじゃないかと思えるほど賑やかなあの三人を眺めた。

「うん。例えば、日本の神話の逸話を話すだろ? ショーンはすぐに類似する逸話を教えてくれるんだ。ギリシア神話ならこうで、ケルト神話ではこう、ゲルマン神話ではこうなっているってね。面白いよ。僕はまだ勉強し始めたばかりだからね、知識じゃ全然かなわない」
「コウの意見はすごく独創的で驚かされるよ。知識がたくさんあっても独自の視点を持てる奴は少なくて、コウはそういう意味でもダントツだって、ショーンが褒めてたよ。僕もそう思う」

 なんだか面映ゆいな。

「それに、」
「うん?」

 バズはまた顔を伏せて黙り込んでしまった。言い難いことなのかな? 上げてから落とす、とか……。今までの会話からそういう子じゃないのは判っているつもりだけど、沈黙は怖い。

「明日でお別れなんて、淋しいよ」
「ロンドンに遊びにおいでよ。試験が終わったらさ」
「また逢える?」
「もちろん」

 そんなふうに言ってもらえたことが嬉しくて、自然に顔がほころんでいた。バズもはにかんだように「本気にするよ」、と笑って言った。

 

 
 


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない

バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《 根暗の根本君 》である地味男である< 根本 源 >には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染< 空野 翔 >がいる。 ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない?? イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。

帰宅

papiko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」  アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。  僕の心はきみには見えない――。  やっと通じ合えたと思ったのに――。 思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。 不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。 夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。 アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。  *****  コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。  注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。 (番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)  

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

処理中です...