霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅲ.春の足音

95 旅13 風呂

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 翌日は土曜日でバズの講習も休みなのもあって、ショーンと彼は、多分明け方近くまで起きていたんじゃないかと思う。僕はそこまで付き合っていられなくて、「ここで寝て」と案内された部屋で気絶するように眠ってしまった。
 
 僅かな物音に目を開けると、バズが薄闇の中で着替えていた。どうやらここは彼の部屋らしい。ということは、僕は彼のベッドを占領している訳だ。

「ごめん。交代しよう」
と、寝ぼけまなこで半身を起こすと、「ソファーで寝たから」と、彼は頭を振った。
「朝食のパンを買って来るよ」

 いい子だな。僕が高校生の頃は、こんな気遣いなんてできなかったのに。

「ありがとう。もう朝なの? 朝食、何か作ろうか?」
「寝てていいよ。体調が良くないんだろ? ショーンが言ってた」

 一瞬、考え込んでしまった僕を二、三秒じっと見つめ、バズは返事を聴かずに部屋を出て行った。寝てろ、ってことなんだろうな。

 ポスッっと、柔らかな枕に頭を落とした。ショーンもいい奴だけど、あの子も紳士ジェントルマンだな。本来、年上の僕の方が気を遣わなきゃいけないのに。

 でも、グラストンベリーからずっと続いている、軽く熱に浮かされたような、ぽかぽかと温かで気怠い体のせいで、僕はまた直ぐに深い眠りに落ちていた。



 
 次に目が開いた時には、日はもう高く昇っていた。ベッドサイドにあった時計を見て、一気に目が覚めた。病気でもないのにこんな遅くまで寝ているなんて、初めてじゃないのか? それも、殆ど初対面の他人の家で!
 さすがに恥ずかしさで飛び起きたよ。慌てて洗面所に駆け込んで顔だけは洗った。とにかく謝らないと。賑やかな声のする居間をおずおずと覗いた。

「ごめん。こんな遅くまで寝てしまって」
「おはよう! まぁ、ギリギリだけどな、まだ午前だよ」
「体調は良くなった?」
 冗談めかして笑うショーンの横で、バズは至極真面目な顔で僕を見ている。

「あら、もう平気じゃないの? 好転反応だもの! ところでねぇ、あなた、」
 コリーヌのフランス訛りは聞き取り辛い。僕のことを何か言っているみたいだけど。集中力がいまいちなせいか上手く頭に入ってこない。
「ごめん、お風呂を借りてもいいかな? まだすっきりしないんだ」
 バズが直ぐに立ち上がって案内してくれた。

 湯船に浸かりたい。ロンドンを出てからたった三日しか経っていないのに、凄く疲れているみたいだ。

 お湯を張って、朝風呂に浸かった。そう言えば、ここはバースじゃないか。でもこのお湯はただの石灰分の多い硬水なんだろうな。当たり前だけど。

 温泉、入れるかな……。

 腕の内側に、肩に、あちらこちらに、桜色の花びらのような痕がまだ残っている。ほとんど消えかかってはいるけれど。
 浴槽の外に腕を投げ出し、縁に頭をもたせかけてため息を漏らした。

 昨夜はメールチェックもしていない。アルビーに一日連絡を入れてない。結局、昨日は電話をできず仕舞いだったし……。


「コウ、」
 浴室のドアが開き、バズが顔を覗かせた。
 
「タオル、これ使って。……それから、それ、その端っこの奴、湯に入れるといいよ」
 ちょっと顔を赤らめて、足側の浴槽の縁に置かれているボトルを指差している。
「ありがとう」

 泡風呂バブルバス入浴剤だ。マリーの家にも同じものがある。
 なんでわざわざ、と浴槽に視線を落とした。透き通る湯の中で、自分の身体が揺らいでいる。
 ああ、そうか。湯に浸かるだけみたいな、こんな風呂の入り方はしないもんな。ここの浴槽にはシャワーカーテンはなくて、浴槽の半分の位置までが水跳ね防止のガラスで仕切られている。透明のお湯が気になったんだな。
 僕がどれを使っていいのか判らない、と思ったのかな……。

 やっぱり優しいんだな、と何だか嬉しくなって、教えてもらったボトルを遠慮なく使わせてもらった。







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