霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
77 / 193
Ⅱ.冬の静寂(しじま)

74 イン3

しおりを挟む
「でも、約束したじゃないか」
 僕はどうにも居た堪れない思いで呟いた。
「その方が解らないよ。コウは僕のことが好きだからOKしたのだと思っていた。でも、試してみたらやっぱり無理でってことなら、それでいいんだ。僕は無理強いしたい訳じゃないもの」
 ごろりと俯せになって、アルビーは肘で頬を支えて僕の方に顔を向けた。その腕に絡み付くシダの濃い緑が、彼の面に陰を刻む。
「でも、それとも違うみたいだね。コウは、僕がっていうよりも、こういう行為そのものが怖いの?」

 どうだろう? そうかも知れない。でも……。

「アルビーが怖いんだと思う。こうやって、きみの体温を感じられる距離にいるだけでもう駄目だもの」
「駄目って?」
「手を握られるのも、頭を撫でられるのも、肩を抱かれるのも全部駄目だよ。僕はアルビーの触れる先から、とろとろに溶けていくんだもの。きっとそのうちに形も無くなるくらいに溶かされて、僕は僕じゃなくなるんだ」

 アルビーのしなやかな指先は、いつだって僕の中に火を点す。その一点から立ち上がる焔で僕は熔解し始める。どろどろに溶けて再び凝固できたとしても、きっとそれはもう僕じゃない。きっと、たった今、アルビーが僕にしようとしたような、彼の手によって捏ねられ作り変えられた僕になる。

「そしてきっと、僕は何もかも忘れてしまうんだ。何のためにイギリスに来たのか。何を学ぼうとしていたのか。すべて忘れて、アルビーのことしか考えられなくなってしまうんだ」
「ずっと、そんなふうに思っていたの?」

 アルビーの指が伸びて来て、薬指の火蜥蜴サラマンダーが、僕の頬を擦る。僕に嘘をつかせないために。
 だから僕は頷いた。正直に。こんな身勝手なことを言って彼に嫌われてしまっても仕方がない。自業自得だ。

「それなら、どうして……、て、堂々巡りだね」

 アルビーはまた寝返りを打って、天井に顔を向ける。


「僕はコウのことが好きだから、もっとコウのことが知りたい。ちゃんと躰でも繋がりたい。でも、きみに愛を恵んで欲しい訳じゃないし、嫌がるきみから愛を奪い取りたい訳でもないんだ」

 アルビーは優しく目を細めて、苦笑を浮かべて僕を見た。そして横向きになると、腕を伸ばして僕の髪をゆっくりと梳いた。

「僕の手でとろとろに蕩けるコウを見てみたいけれど、それ以上に、きみに僕を欲しいと思ってもらいたいんだ」

 そう言いながら、彼は首筋に腕を差し込んで折り曲げ、僕の頭を引き寄せた。

「おいで」

 僕は彼に逆らえない。

「僕の背中に腕を廻して」

 言われた通りに腕を廻して、彼の背中を抱き締めた。

「温かいだろ? コウが僕の熱で溶ける時には、僕だって同じようにコウの熱で溶けているんだ。混じり合って一つになるんだよ。でも、そうやって溶け合った後でも、コウはコウで、僕は僕だよ。自分がなくなる訳じゃない。だから何度でも確かめ合うんだ。一瞬が永遠に変わるまで」

 アルビーが囁く度に、彼の胸に茂るシダの葉が、その言葉に乗ってさわさわと揺れる。葉の上に頬を付け、細くとがった爬虫類の歯のような一枚一枚を指でなぞった。背中にも、同じようにシダの葉が茂っているのだろうか? 見える訳でもないのに、僕は手のひらで背の上のシダを探した。シダの葉の奥に隠れるアルビーを探した。

 だからもう、アルビーが同じように僕を探しても、怖くはなかった。アルビーの手で溶かされていく自分を、もう、怖いとは思わなかったんだ。だって、僕はアルビーの森の中。吹き上げるマグマに熔解されても、シダの生い茂る大地に包まれ、何度でも生成される。枯れては芽吹く樹々のように、繰り返される命の営み。太古から連綿と続く生の儀式を、僕もまた踏襲しているだけなのだ。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

友達が僕の股間を枕にしてくるので困る

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
僕の股間枕、キンタマクラ。なんか人をダメにする枕で気持ちいいらしい。

姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王

ミクリ21
BL
姫が拐われた! ……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。 しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。 誰が拐われたのかを調べる皆。 一方魔王は? 「姫じゃなくて勇者なんだが」 「え?」 姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

この愛のすべて

高嗣水清太
BL
 「妊娠しています」  そう言われた瞬間、冗談だろう?と思った。  俺はどこからどう見ても男だ。そりゃ恋人も男で、俺が受け身で、ヤることやってたけど。いきなり両性具有でした、なんて言われても困る。どうすればいいんだ――。 ※この話は2014年にpixivで連載、2015年に再録発行した二次小説をオリジナルとして少し改稿してリメイクしたものになります。  両性具有や生理、妊娠、中絶等、描写はないもののそういった表現がある地雷が多い話になってます。少し生々しいと感じるかもしれません。加えて私は医学を学んだわけではありませんので、独学で調べはしましたが、両性具有者についての正しい知識は無いに等しいと思います。完全フィクションと捉えて下さいますよう、お願いします。

処理中です...