霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅱ.冬の静寂(しじま)

72 イン1

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 僕の肩に腕を廻し、アルビーは無言の内に歩き出した。この公園を出るまで、僕は顔を上げることすらできなかった。
 外灯の灯りさえ密集する樹々の梢に邪魔され薄暗く陰るあの場所から、静寂に包まれた住宅街へと、一本のラインを跨いだだけで、時空間が一瞬の内に移り変わったように呼吸が楽になる。張り詰めていた緊張が一気に解けていくのが自分でも判る。

 白く凍りつく息を吐き出し、アルビーを見上げた。急に冷え切った夜気を肌に意識した。でも彼はにこりともしない。僕の肩を掴んだまま、乱暴なほど急き立てるように先へと進んで行く。
「アルビー、どこへ向かっているの?」
 堪らなく不安になって、彼のコートを引っ張って訊ねた。
「休憩できる場所」
 彼は囁くような声で応えてくれた。

 
 それっきり、僕もアルビーも黙り込んだまま。僕はただ、彼に歩調を合わせて歩いていた。少し息が乱れた。アルビーはいつも早足だから。でも、お陰で躰は温まっていた。あそこにいる時は緊張し過ぎて気づかなかったけれど、僕はたっぷりと冷や汗をかいていて、躰の芯まで冷え切っていた。

 歩きながら、アルビーの言ったこと、僕に求めること、それが何なのか考えていた。
 どうして彼はあんな場所に行くのだろう、て。
 僕にはひたすら怖い場所にしか思えなかった。見ず知らずの相手と一夜を過ごす。普通に考えて怖いじゃないか。どんな人かも解らないのに。もし病気を持っていたら、とか、犯罪に巻き込まれたら、とか。いろんな事情で恋愛対象を得られない人たちがそういう場所で、っていうならまだ解らないでもないけれど。アルビーは違うじゃないか。いつだって取り巻きに囲まれて、彼の恋人になりたい人は幾らでもいる。どうしてその中から選ばずに、あえて行きずりの相手を求めるんだろう?

 僕でもいい、って言うのなら、それもまた矛盾している。

 僕はどこか、アルビーが言ったことを本気にしてはいなかった。あの場から去る理由づけとして、引っ込みがつかなくなったからあんなことを口走っただけだと思っていた。
 だって、彼に取って僕はそういう対象ではないもの。
 赤ちゃんだから。ついさっきも、そう言われたばかりじゃないか。



 答えの出ない疑問を頭の中で繰り返している間に、いつの間にか寂れた裏通りから人の行き交う大通りへと移っていた。そこからまた入り組んだ横道に入り、アルビーは一軒のパブの前で立ち止まった。

「着いたよ。何か飲む?」

 意味が解らず、ぽかんと彼を見上げてしまった。

「エールの一杯でも飲まないと、きみは本心を教えてくれそうにないもの」

 アルビーはクスリと笑い、僕の腕を引いて店のドアをくぐる。

 
 ドア一枚で隔てられていた喧騒と、賑やかな音楽が突然クリアに迫って来た。うわんと頭に反響する。叩きつけるような重低音が胃にドスンと落ちて来る。
 アルビーは「ここで待っていて」と、ぼーとしたまま上手く切り替えができないでいる僕を、間接照明の怪しげな仄暗い色に照らされた壁際に一人残してバーカウンターに向かった。

 アルビーが戻って来てくれるまでの僅かな時間を、永遠のように長く感じた。あの木立の中へ舞い戻ったみたいに。ここは僕の夢の中で、僕の見ている悪夢はまだ継続中なのだろうか?

「コウ、こっち」
 アルビーが僕の手を握る。指を絡ませて、奥へと誘う。フロアから狭い廊下へ出て、そこにあるドアの鍵を開けて続く階段を上がった。踊り場に幾つか並ぶドアをさっと見渡し、その内の一つの鍵を回す。

 力の抜けた僕の手を、アルビーが引っ張った。

「マリーがいる家で、する訳にはいかないだろ?」

 パタンと閉められたドアのこちら側は、ダブルベッドが一つ置いてあるだけの、狭い部屋だった。







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