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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
73 イン2
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「シャワー、先に浴びて来る?」
なんて言われても、僕の脚はどうすることもできないままその場から動かない。
「面倒なら僕は別に構わないよ。じゃあ、少し待っていて」
アルビーはコートをベッドに脱ぎ捨て、壁際のドアに消えた。間を置いて、水音が聞こえてきた。
と同時に、僕は背後のドアにもたれたままズルズルとその場にしゃがみ込んでいた。深く息を吐き、おもむろに部屋の中を見廻した。
ビニールクロスの白い壁。フロアタイルの床。ロールスクリーンの下りた小さな窓は通りに面しているらしく、外灯の明かりが透けて見える。仄暗いペンダントライトで照らされた、正面のベッドでいっぱいいっぱいの小さな部屋。
ベッドに気を取られて気づかなかったけれど、ドアのすぐ横に小さな机と椅子、それに安っぽい合板でできた扉の無い荷物置き用の棚もある。
取りあえずのろのろと立ち上がり、そこにあったハンガーにアルビーのコートを掛けた。
派手な花柄の背もたれに手をのせると、どっと力が抜けて椅子に躰を投げ出していた。
どうしよう……。
今日ほど自分の浅はかさを呪ったことはない。僕はどうして、こうも愚かなのだろう? その場限りの逃げ口上ばかり探しているから、相手の本気を見誤る。
アルビーは自分をさらけ出して僕に向き合ってくれたのに、僕の方はやっぱり自分のことしか考えていなくて。中途半端なまま、その先を思い描こうとすらしなかった。
アルビーを駆り立てている昏い情念を、僕に受け止めることができるのだろうか? そんな経験もないのに? 彼が本当に望んでいるものは何かも、解らないのに。
そう、どうしたって僕には解らないのに。
この寒空の下、暗い夜道を徘徊してまで誰かを求める、アルビーのその気持ちが。
カチャッとドアの開く音に、びくりと顔を上げた。でもすぐにまた伏せてしまった。かっと火が点いたようなこんな顔を、彼に見られたくない。
バスタオル一枚腰に巻き付けただけのアルビーの腕と胸は、柚葉色のシダの葉に覆われていた。垣間見た、まるで大地の緑をまとったようなアルビーの白い肌は、恐ろしく扇情的でとても直視できなかった。
「コウ、おいで」
まるで操り人形のようにぎくしゃくと立ち上がった。アルビーの声に逆らえない。言われるままに、彼の脇に立ち竦む。
「上着くらい脱ぎなよ」
伏せた視界に、彼の脚があった。シダの絡まる森の奥地のような。
ぎゅっと目を瞑ったままでいた。ふわりと天地がひっくり返る。柔らかな枕が衝撃を和らげてくれた。重なる重みに全身が強張る。歯を食い縛り、両手でシーツを握り込んでいた。
ふわりと花の香りがした。濡れた髪の毛が頬をくすぐる。しなやかな指先で唇をなぞられる。その指は首筋からうなじへと、ゆっくりと確かめるように下りて行く。反り返った喉がしっとりと濡れた。深く捲り上がった唇の内側はぬめりと柔らかく、とても熱い。
僕はこれからアルビーに喰べられる……。音を立てて。跡形もなく。
緊張でガチガチに強張っていた僕の上に、アルビーはふっと力を抜いて躰を重ね、僕の頭を掻き抱いた。
「そんなに僕が怖い?」
その一言で、僕もなぜだか力が抜けた。
「怖いよ」
「なんで? コウは本当に初めてなの? 赤毛の彼とはこういうことはしなかったの?」
「あり得ないよ」
アルビーはちょっと躰をずらすと僕の額にかかる髪を掻き上げ、顔を覗き込んできた。なんだか不思議そうに。
「どうしてかな? コウはこんなに可愛いのに」
「だから、ただの友だちだって! 僕からしたらアルビーの方がよっぽど変だよ。なんでそんな気になるのかまるで理解できないよ!」
あっけらかんとした彼に、なぜだか逆に腹が立っていた。
「好きな子に欲情するのは、普通じゃないの? コウはそんな経験すらないんだ?」
口許が笑っている。
僕はぷいっと顔を逸らした。またそうやって僕を騙そうとする。アルビーが好きなのは僕じゃないのに。
「アル……!」
セーターの下のシャツを引き摺り出され、直に脇腹を撫で上げられた。ぞわりと肌が粟立ち痙攣していた。思わず声を上げそうになって、またぎゅっと目を瞑る。
ふっと躰が軽くなる。そっと目を開けると、アルビーは僕を離して仰向けに天井を見つめ、深くため息を吐いていた。
「コウ、嫌なら嫌だって言っていいんだよ。ノーと言ったからって、僕はきみのことを嫌いになったりしないよ」
なんて言われても、僕の脚はどうすることもできないままその場から動かない。
「面倒なら僕は別に構わないよ。じゃあ、少し待っていて」
アルビーはコートをベッドに脱ぎ捨て、壁際のドアに消えた。間を置いて、水音が聞こえてきた。
と同時に、僕は背後のドアにもたれたままズルズルとその場にしゃがみ込んでいた。深く息を吐き、おもむろに部屋の中を見廻した。
ビニールクロスの白い壁。フロアタイルの床。ロールスクリーンの下りた小さな窓は通りに面しているらしく、外灯の明かりが透けて見える。仄暗いペンダントライトで照らされた、正面のベッドでいっぱいいっぱいの小さな部屋。
ベッドに気を取られて気づかなかったけれど、ドアのすぐ横に小さな机と椅子、それに安っぽい合板でできた扉の無い荷物置き用の棚もある。
取りあえずのろのろと立ち上がり、そこにあったハンガーにアルビーのコートを掛けた。
派手な花柄の背もたれに手をのせると、どっと力が抜けて椅子に躰を投げ出していた。
どうしよう……。
今日ほど自分の浅はかさを呪ったことはない。僕はどうして、こうも愚かなのだろう? その場限りの逃げ口上ばかり探しているから、相手の本気を見誤る。
アルビーは自分をさらけ出して僕に向き合ってくれたのに、僕の方はやっぱり自分のことしか考えていなくて。中途半端なまま、その先を思い描こうとすらしなかった。
アルビーを駆り立てている昏い情念を、僕に受け止めることができるのだろうか? そんな経験もないのに? 彼が本当に望んでいるものは何かも、解らないのに。
そう、どうしたって僕には解らないのに。
この寒空の下、暗い夜道を徘徊してまで誰かを求める、アルビーのその気持ちが。
カチャッとドアの開く音に、びくりと顔を上げた。でもすぐにまた伏せてしまった。かっと火が点いたようなこんな顔を、彼に見られたくない。
バスタオル一枚腰に巻き付けただけのアルビーの腕と胸は、柚葉色のシダの葉に覆われていた。垣間見た、まるで大地の緑をまとったようなアルビーの白い肌は、恐ろしく扇情的でとても直視できなかった。
「コウ、おいで」
まるで操り人形のようにぎくしゃくと立ち上がった。アルビーの声に逆らえない。言われるままに、彼の脇に立ち竦む。
「上着くらい脱ぎなよ」
伏せた視界に、彼の脚があった。シダの絡まる森の奥地のような。
ぎゅっと目を瞑ったままでいた。ふわりと天地がひっくり返る。柔らかな枕が衝撃を和らげてくれた。重なる重みに全身が強張る。歯を食い縛り、両手でシーツを握り込んでいた。
ふわりと花の香りがした。濡れた髪の毛が頬をくすぐる。しなやかな指先で唇をなぞられる。その指は首筋からうなじへと、ゆっくりと確かめるように下りて行く。反り返った喉がしっとりと濡れた。深く捲り上がった唇の内側はぬめりと柔らかく、とても熱い。
僕はこれからアルビーに喰べられる……。音を立てて。跡形もなく。
緊張でガチガチに強張っていた僕の上に、アルビーはふっと力を抜いて躰を重ね、僕の頭を掻き抱いた。
「そんなに僕が怖い?」
その一言で、僕もなぜだか力が抜けた。
「怖いよ」
「なんで? コウは本当に初めてなの? 赤毛の彼とはこういうことはしなかったの?」
「あり得ないよ」
アルビーはちょっと躰をずらすと僕の額にかかる髪を掻き上げ、顔を覗き込んできた。なんだか不思議そうに。
「どうしてかな? コウはこんなに可愛いのに」
「だから、ただの友だちだって! 僕からしたらアルビーの方がよっぽど変だよ。なんでそんな気になるのかまるで理解できないよ!」
あっけらかんとした彼に、なぜだか逆に腹が立っていた。
「好きな子に欲情するのは、普通じゃないの? コウはそんな経験すらないんだ?」
口許が笑っている。
僕はぷいっと顔を逸らした。またそうやって僕を騙そうとする。アルビーが好きなのは僕じゃないのに。
「アル……!」
セーターの下のシャツを引き摺り出され、直に脇腹を撫で上げられた。ぞわりと肌が粟立ち痙攣していた。思わず声を上げそうになって、またぎゅっと目を瞑る。
ふっと躰が軽くなる。そっと目を開けると、アルビーは僕を離して仰向けに天井を見つめ、深くため息を吐いていた。
「コウ、嫌なら嫌だって言っていいんだよ。ノーと言ったからって、僕はきみのことを嫌いになったりしないよ」
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