霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
69 / 193
Ⅱ.冬の静寂(しじま)

66 疑惑

しおりを挟む
 ハムステッド・ヒースには何度も行ったことがある。ロンドンで最大の公園だし、この家からなら歩いて行ける距離にある。
 秋も深まった頃、三人でピクニックにも行ったじゃないか。それなのにどうして、あそこへアルビーが行くのを引き留めなければならないのか。納得がいかない。
 マリーは物憂げにため息をつくばかりで、その理由を教えてはくれなかった。一度は口にしたことを、「やっぱりあんたじゃ無理ね」なんて、冷めた瞳で恨みがましく僕を一瞥して言い捨てた。

 いったい僕にどうしろって言うんだ?

 僕は段々と膨らんでくる苛だちにいつのまにか唇を尖らせて、一人、キッチンの片隅でふてくされていた。
 マリーはさっさと僕に見切りをつけて自室に戻ったようだ。彼女の気まぐれに振り回されるのは、疲れる。所詮、彼女の頭の中にはアルビーしかいない。僕だって同じように彼のことを心配しているし、気遣っているってこと、彼女は認めてくれはしない。
 僕の態度が誤解を招くものだから信用ならないのだ、と言われてしまうと言い返す術はないけれど。でも決して、わざとじゃないんだ。僕からしてみれば、憧れや好意が、何でもかんでも恋愛に結び付くマリーの思考回路の方が、理解できない。友だちとしてではどうして駄目なのか、逆に僕の方が訊きたいよ。


 悶々とした気分でその日一日を終え、翌日もまた、すっきりとしないまま時間だけが過ぎて行った。
 解らないことを考え続けたってらちが明かない。余りにも、僕の持つ情報が少なすぎるのだ。マリーは自分では止められないアルビーの行動を、僕が抑えることを望んでいる。でも、彼の問題行動については口を噤んだまま。彼の、見境のない交友関係については教えてくれたのに。それ以上の、口に出すのもはばかられることなのだろうか。もしかして、法に触れるような……。ドラッグとか……。

 ここまで考えて、僕はふと、ショーンとの何気ない会話を思い出した。

 ――あいつら常習だからな。関わるなよ。

 同じコースの、一部の留学生仲間を目線で示して教えてくれたのだ。それに、大学にも、性質タチの悪い奴らがいるから気を付けろって。

 自分でも表情が険しく強張り、胃がきゅっと縮こまるのを感じて、思わず拳を握り込んでいた。無意識に、左手で、薬指の火蜥蜴サラマンダーを確かめるように何度も擦っていた。

 もしそうなら、マリーには荷が勝ち過ぎる。それに、ああも彼女がアルビーを心配するのも納得できる。

 もしかして、重症の患者さんのカウンセリングで溜めたストレスを、そんな方法で発散しているのかも知れない。そうとしか考えられない。マリーは僕では無理、と言ったけれど、見過ごしにはできない。

 確かめなければ。もし仮にそうなら、止めなければ……。

 その夜、パソコンで麻薬中毒患者の特徴を夜遅くまで調べていて、いつの間にか、僕は机に突っ伏して寝落ちしてしまっていた。




 目覚ましの音に叩き起こされた。
 僕はどれくらい眠ったのだろう? 土曜の朝は忙しいのだ。溜まっている洗濯や、掃除や、それから、冷凍してあるスコーンがもうない。作り置きもしなきゃ……。
 何はともあれ、まずはシャワーだ。シャキッと目を覚まさなければ、直にアルビーが帰って来る。

 ぼーとする頭で優先順位を測り、まず洗濯機を回してからシャワーを浴びた。熱いお湯を頭から被ると、ぼんやりとしていた意識がクリアになり、昨夜の神経がピリピリと苛立つ感じがまた舞い戻ってくる。

 こんな時こそ冷静にならなくては。

 僕は昨夜仕入れた情報を頭の中で反芻はんすうし、どうアルビーに切り出そうかと、皮膚を叩く細かな水の刺激の中、じっと立ち尽くしていた。







しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

さがしもの

猫谷 一禾
BL
策士な風紀副委員長✕意地っ張り親衛隊員 (山岡 央歌)✕(森 里葉) 〖この気持ちに気づくまで〗のスピンオフ作品です 読んでいなくても大丈夫です。 家庭の事情でお金持ちに引き取られることになった少年時代。今までの環境と異なり困惑する日々…… そんな中で出会った彼…… 切なさを目指して書きたいです。 予定ではR18要素は少ないです。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」  アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。  僕の心はきみには見えない――。  やっと通じ合えたと思ったのに――。 思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。 不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。 夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。 アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。  *****  コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。  注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。 (番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)  

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

処理中です...