霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
68 / 193
Ⅱ.冬の静寂(しじま)

65 不在

しおりを挟む
 朝食の時、アルビーに今日、明日の二日間留守にするからと告げられた。「泊まりで出掛けるの?」と、僕はかなり野暮なことを訊いてしまった。
「ボランティア。仕方なしの」
 アルビーは表情を変えずに呟いた。
「お昼は持って行く?」
「うん」
「じゃあ、詰め替えるよ。捨てられる入れ物の方がいいだろ?」

 僕は食べ掛けの皿をそのままにして、先にアルビーの弁当を紙の箱に詰め替えた。元は、アンナがお茶会や、マリーの友だちへのお土産用に用意していたギフトボックスなので、赤のギンガムチェックと、ちょっとアルビーには可愛らし過ぎるけれど、どうせ捨てるものなのでそこは我慢してもらうしかない。

 今日はサンドイッチの日なので、日本から送ってもらったラップで軽く包んで箱に入れた。ラップの切れ味が良い。それだけで僕の頬は緩んでにやにやしてしまう。アルビーは、そんな僕を見てくすくすと笑っている。

 もちろんこの国にだってラップらしきものはあるのだけれど、日本人の僕には文化の違いが大き過ぎて使いこなせそうもない。
 まず、食品を包むものなのに、匂う。そして薄くて破れやすい。何の為についているのか判らないほど、刃が切れない。朝から、あれと格闘して引き千切って使う労力を消費するくらいなら、使うことを諦める。そんな代物だ。
 とは言え、お弁当を作るようになってからラップは必需品だ。ラップ無しなど考えられない。食材よりも何よりも、一番にこれを送って、と母にお願いしたくらいだ。アルビーはその辺の事情をよく知っている。僕が散々悪態をついていたことも。

 詰め替えを終えて「できたよ」と、アルビーに渡すと、彼はいつもと変わりなく「ありがとう」と艶やかに微笑んでくれた。
 そして、「丸二日もコウの顔が見られないなんて、淋しいな」と言って、珍しくぎゅっと僕をハグしてから出掛けて行った。

 アルビーでもそんな気分になることがあるんだな、と僕は首を捻りながら残っている朝食を胃の中に片付け、彼の淹れてくれたコーヒーを口に運んだ。いつもと変わりなく、のんびりと。
 この彼の不在が、マリーの憂鬱の原因だなどと、思いもせずに……。



 
 いつも通りに図書館に寄って帰って来ると、キッチンにマリーが座っていた。ぼんやりと黙り込んでいるマリーは覇気がなくて、ちっともマリーらしくない。
「お茶を淹れようか?」
 声を掛けると、虚ろな目が僕を振り返る。
「何か食べる?」
「そうね」
 マリーは首を横に振ったので、僕はお茶の用意に掛かった。


「アルビーはボランティアだって言っていたけど、違うの?」
 彼女のこの様子から、もしかしてと疑いがもたげてきていた。
「そうよ」
「泊まりだって? 何のボランティア?」
「カウンセリング」
 マリーの返事はどこか機械的でいつもの彼女らしくない。この話はしたくないのだろうか、と僕は一旦口を噤む。

「片道四、五時間掛かるから日帰りは無理なのよ」

 湯気の立つティーカップをマリーの前に置くと、思い出したように彼女は僕を見上げた。

「明日の昼過ぎには帰って来るから。コウ、家に居てくれない?」

 明日は土曜日だ。特に予定もない。

「別にかまわないけど。でも、どうして?」

 カウンセリングなら、過酷なボランティアでお腹を空かせて帰って来るから、って訳でもないだろうに。
 
 マリーの余りにも深刻な様子に、僕まで引きずられて心配になってくる。

「アルを引き留めて欲しいの。きっと出掛けようとするから。あんたの言うことなら、きっとアルだって聞いてくれるから」
「出掛けるって、どこに?」

 マリーの話はどうも断片的過ぎて要領を得ない。普段はアルビーの行動を制限するようなことは一切言わないのに。どうしてその日に限って駄目なんだ?

「ハムステッド・ヒース」

  意味が解らず眉を寄せた僕に、マリーは一言、「馬鹿」と囁くような小声で呟いた。






しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」  アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。  僕の心はきみには見えない――。  やっと通じ合えたと思ったのに――。 思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。 不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。 夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。 アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。  *****  コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。  注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。 (番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)  

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...