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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
60 夜食
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困った。夕食は済ませているのに、アルビーが居間から動かない。彼のくつろいだ様子を見られるのはいつもなら嬉しいのだけど、今日はマリーと話がしたい。
ショーンから聴いた話を彼女に確かめたかったし、それ以上に、誤解されていることに関して僕がきちんと弁明したことを、彼女に知ってもらいたかった。
僕はいつも通りのティーテーブルで、今日の講義のテキストを開いていた。やらなくちゃいけないことは山ほどあるのに、つい、反対側のソファーにいる二人をちらちらと盗み見てしまう。
アルビーは膝に載せたパソコンに集中しているし、マリーはマリーで、本を読み耽っていて話し掛けられる雰囲気じゃない。
僕はというと、いつも以上に静かな二人に却って気が散って、テキストの文字はちっとも頭に入ってこない。幾ら目で追っても滑るばかりで。余りにも集中できない自分にため息が絶えない。
「コウ」
アルビーの声に振り返る。こっちに来て、と呼ばれてソファーに移ると、彼は「くたびれた」、と僕の肩に寄りかかって来た。
「お茶でも淹れようか?」
ふわりと香るアルビーのコロンがくすぐったくて、僕は近くにあったクッションを取ってアルビーの頭の下に差し入れ、立ち上がった。
「それか、何か食べる?」
上目遣いに見上げるアルビーが、なんだか拗ねているようで、照れ臭くてドキドキする。
「何かって?」
訊き返したのは、マリーの方。
「アンナに教えてもらったスコーンを、休みの時に多めに作って冷凍しているんだ。それを焼こうか?」
「そんなのがあるって、聞いてない!」
マリーは唇を尖らせる。
「だって、マリーは朝食を食べないじゃないか。で、どうする?」
訊くまでもない。
僕はいそいそとキッチンに逃げ、ほっと吐息を漏らす。
ショーンにいろんな事を吹きこまれたせいか、アルビーをやたら意識してしまって恥ずかしい。彼自身は何も変わらないのに、僕の目に変なフィルターが掛かってしまっている。そんな気がする。でもそれは、余りにも衝撃的な話だったから動揺してしまっているだけで、僕は決して、信じている訳ではないのだ。だから直に、こんな気恥ずかしさは治まるに決まっている。今だけの事だ。
でも、ショーンの話を頭の中で反芻するにつけ、ますます羞恥は増して来る。こんな噂話を、どうマリーに確かめろって言うんだ? 考えるまでもなく、口にできる訳がないじゃないか。
オーブンにスコーンを放り込み、お湯を沸かし、手だけはあれこれとお茶の用意をしながら考え込んでいると、いつの間にかアルビーが戸口に立っていて、くすくす笑いながら僕を見ていた。
「何を考えていたの? すごい百面相をしていたよ。楽しそうだったり、怒っているみたいだったり……」
きみのこと。なんて、言えるはずもなく……。
「スコーン、アンナみたいに上手く焼けているかなって」
「美味しいよ」
もう何度か食べたことのあるアルビーは、優しく笑ってそう言ってくれた。
やっぱりショーンの言う事なんか、当てになるものか。アルビーはそんな不誠実な人間なんかじゃないもの。
僕がお茶を淹れている間に、アルビーはジャムやクロテッド・クリームの用意をしてくれ、僕たち三人は和やかにお茶を楽しんだ。先日の、マリーの剣幕など何も無かったかのように。
そう、無かったことにして済ます、という方法もあったのかも知れない。だけどその選択は僕には無理だ。だって、表面上は平和に過ごせても、僕は気になって仕方がないもの。
僕はただ、誠実で在りたいんだ。マリーにも、アルビーに対しても。
だからお茶の後、今日は居間で作業をするというアルビーを残してマリーが部屋に戻る時、僕もアルビーに「おやすみ」を言って部屋を出た。
それから階段でマリーを呼び止めて、少し話をすることにした。夜中に彼女の部屋に行くのは気が引けたので、スティーブの書斎に僕たちは入った。ここなら、もしアルビーに見咎められても、本を借りに来たと言い訳が立つから。別にやましい事をする訳でもないのに、彼に隠れてこそこそしている自分が情けない。
堂々とここで暮らしていきたいからこそ、僕は、マリーの腹立ちの種をすっぱりと拭い去って、こんないざこざは終わりにしたかったのだ。
ショーンから聴いた話を彼女に確かめたかったし、それ以上に、誤解されていることに関して僕がきちんと弁明したことを、彼女に知ってもらいたかった。
僕はいつも通りのティーテーブルで、今日の講義のテキストを開いていた。やらなくちゃいけないことは山ほどあるのに、つい、反対側のソファーにいる二人をちらちらと盗み見てしまう。
アルビーは膝に載せたパソコンに集中しているし、マリーはマリーで、本を読み耽っていて話し掛けられる雰囲気じゃない。
僕はというと、いつも以上に静かな二人に却って気が散って、テキストの文字はちっとも頭に入ってこない。幾ら目で追っても滑るばかりで。余りにも集中できない自分にため息が絶えない。
「コウ」
アルビーの声に振り返る。こっちに来て、と呼ばれてソファーに移ると、彼は「くたびれた」、と僕の肩に寄りかかって来た。
「お茶でも淹れようか?」
ふわりと香るアルビーのコロンがくすぐったくて、僕は近くにあったクッションを取ってアルビーの頭の下に差し入れ、立ち上がった。
「それか、何か食べる?」
上目遣いに見上げるアルビーが、なんだか拗ねているようで、照れ臭くてドキドキする。
「何かって?」
訊き返したのは、マリーの方。
「アンナに教えてもらったスコーンを、休みの時に多めに作って冷凍しているんだ。それを焼こうか?」
「そんなのがあるって、聞いてない!」
マリーは唇を尖らせる。
「だって、マリーは朝食を食べないじゃないか。で、どうする?」
訊くまでもない。
僕はいそいそとキッチンに逃げ、ほっと吐息を漏らす。
ショーンにいろんな事を吹きこまれたせいか、アルビーをやたら意識してしまって恥ずかしい。彼自身は何も変わらないのに、僕の目に変なフィルターが掛かってしまっている。そんな気がする。でもそれは、余りにも衝撃的な話だったから動揺してしまっているだけで、僕は決して、信じている訳ではないのだ。だから直に、こんな気恥ずかしさは治まるに決まっている。今だけの事だ。
でも、ショーンの話を頭の中で反芻するにつけ、ますます羞恥は増して来る。こんな噂話を、どうマリーに確かめろって言うんだ? 考えるまでもなく、口にできる訳がないじゃないか。
オーブンにスコーンを放り込み、お湯を沸かし、手だけはあれこれとお茶の用意をしながら考え込んでいると、いつの間にかアルビーが戸口に立っていて、くすくす笑いながら僕を見ていた。
「何を考えていたの? すごい百面相をしていたよ。楽しそうだったり、怒っているみたいだったり……」
きみのこと。なんて、言えるはずもなく……。
「スコーン、アンナみたいに上手く焼けているかなって」
「美味しいよ」
もう何度か食べたことのあるアルビーは、優しく笑ってそう言ってくれた。
やっぱりショーンの言う事なんか、当てになるものか。アルビーはそんな不誠実な人間なんかじゃないもの。
僕がお茶を淹れている間に、アルビーはジャムやクロテッド・クリームの用意をしてくれ、僕たち三人は和やかにお茶を楽しんだ。先日の、マリーの剣幕など何も無かったかのように。
そう、無かったことにして済ます、という方法もあったのかも知れない。だけどその選択は僕には無理だ。だって、表面上は平和に過ごせても、僕は気になって仕方がないもの。
僕はただ、誠実で在りたいんだ。マリーにも、アルビーに対しても。
だからお茶の後、今日は居間で作業をするというアルビーを残してマリーが部屋に戻る時、僕もアルビーに「おやすみ」を言って部屋を出た。
それから階段でマリーを呼び止めて、少し話をすることにした。夜中に彼女の部屋に行くのは気が引けたので、スティーブの書斎に僕たちは入った。ここなら、もしアルビーに見咎められても、本を借りに来たと言い訳が立つから。別にやましい事をする訳でもないのに、彼に隠れてこそこそしている自分が情けない。
堂々とここで暮らしていきたいからこそ、僕は、マリーの腹立ちの種をすっぱりと拭い去って、こんないざこざは終わりにしたかったのだ。
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