霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅱ.冬の静寂(しじま)

55 指輪1

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 アルビーのあの反応は、初めてこの家を訪れた際に一発目の地雷を踏んだ時と同じだ。
 そう、地雷だ。何故だか判らないけれど。火蜥蜴サラマンダーが人形に繋がったのだろうか? 人形ビスクドールはやはり彼にとっての地雷なのだとしか言い様がない。

 アルビーが正真正銘怒って席を立ったので、マリーは僕にきつい一瞥いちべつを投げつけて彼の後を追った。

 一人になると、大きなため息がついて出た。ここでぼんやりしているのも居た堪れなくて、僕も早々に自室に戻った。



 結局、アルビーがどんなつもりで僕にこの指輪をくれたのか聞けずじまいだ。含むものはあったと言ってはいたけれど。単なる誕生日プレゼント。それが一番の正解なんじゃないかな。

 右手の薬指で澄まし返っている蜥蜴の背中を指で擦った。いつもこうして擦るから、彼の肢体はピカピカしている。

 一緒にイギリスまでやって来た僕の友人は、もう僕の傍にはいない。心の支えを失くしてグラグラだった僕に取って、この指輪は彼の存在に代るお守りだ。
 アルビーはもちろんそんなことは知らない。
 でも彼なら、僕が本当に欲しかったもの、必要としていたものを、言わなくても解かってくれたんじゃないかと、僕は勝手に思っていた。

 僕が彼の万年筆を拾って届けた事を、彼が運命だと言ったように。

 この世には、偶然と言う名の運命がある。僕はそれを信じてこの国に来た。幾つもの偶然を一段一段積み重ねて必然と言う梯子を作りあげ、未だ手の届かぬ未来に掛けるのだ。

 だからアルビーとの出会いも、彼が僕に蜥蜴の指輪をくれたのも、僕に取っての意味がある。
 でもおそらく、それは傍から見える意味とは違う。僕だけに通じる、僕だけに価値のある意味だ。
 そんなこと、マリーに言ったって解ってもらえるとは思えない。でも、アルビーならあるいは、って気はする。
 アルビーに取ってのあのメタルブルーの万年筆も、僕には皆目解らない特別な意味があるのだから……。


 アルビーと僕は、きっと考え方が似ているのだと思う。運命や偶然を信じている。だから彼は、あの額の傷でさえラッキーだなんて、信じられないことが言えるんだ。アルビーの、自分に課せられたあの運命が辛くないはずがないのに。それでも彼は、あの傷が一因となってこの家に引き取られることになった運命に、感謝している。そんな彼だから、スティーブも、アンナもあれほど大切に育ててきたのに違いないもの。
 アルビーは自分を憐れんだりしない。だからこそ、あんなにも気高く、美しい。

 僕にはとてもマネできないよ。
 僕はひとりぼっちの自分が辛くて、淋しくて、アルビーのくれたこの火蜥蜴サラマンダーにやっと支えられてなんとか息を継いでいたのだから。

 でも……。


「きみがいなくても、僕はちゃんとやっていけているよ」

 声に出して、手帳に挟んである写真に呼び掛けた。
 彼のあの、ハスキーでちょっと甲高い声が聴こえるような気がした。
「当たり前だろ!」って。

 もう一度そう言って。

 コウはちゃんと頑張ってるって。できることをちゃんと積み重ねて一歩一歩進んでいるって。お前はデキる奴だから、心配するなよ、って。

 お願いだ。そう言って僕を励まして……。


 目頭が熱くなった。
 僕は奥歯を噛み締めて覚悟を決め、アルビーの指輪を薬指から引っ張った。

 ……抜けない!

 クリスマス休暇で食べ過ぎた? 太った? 嘘だろ、そんなの!

 指の上ではくるくる回すことだってできるのに、どうしたって抜けない。関節が太くなったとか、そんなこと? 信じられないよ。

 この指輪のせいで、アルビーやマリーが嫌な思いをするのなら、もう身に着けておくわけにはいかないのに!

 アルビーはどうだろう? アルビーが嵌めなければ、ステディだって言われることもなくなるはずだ。マリーが言う様に、指輪のせいで揶揄われているのなら彼だって外すだろ、普通。……いや、アルビーは普通じゃない。彼の基準はいつだって自分だ。

 頭がグルグルして訳が解らなくなってきた。


「はい、どうぞ!」
 そんな時聞こえたノックの音に、僕は慌てて反射的に返事していた。

 開かれたドアの向こうに、アルビーが立っていた。






 
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