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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
54 誤解2
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ソファー横の白い飾り棚の中で、アビゲイルの人形が嗤っている。
僕は向かいに座るマリーのじっとりとした視線にも、そして僕の横にいるアルビーの気怠げな空気にも呑み込まれないように、固くバリアを張って視線を虚空に移ろわせていた。そんな弱虫の僕をアビゲイルが嗤っている。
アルビーが帰ってくるまでに、マリーの怒り心頭の理由を聴いた。
彼女は大学に着くなり、友人たちにアルビーの新しい噂話を聞かされたのだそうだ。
あの白雪姫が、舞踏会にやってきたみすぼらしい田舎者のシンデレラにキスしようとして頬を張り飛ばされた上、シンデレラは零時の鐘の音と共に彼を袖にして、するりと逃げ帰って行ったって。残ったのは、ガラスの靴ではなく、真っ赤な小さな張り手の痕。さぁ、あの小さな手形の持ち主は誰?
大学生というものは、とかく馬鹿話が好きなのだと思う。
それにしても、「みすぼらしい田舎者のシンデレラ」は酷くないか? 僕はちゃんとアルビーたちがくれた服で行ったのに。それに、彼の頬にそんな痕なんてつかなかったし、僕たちは一緒に帰ったのに。
マリーにそう説明したけれど、僕があんな大勢の前で彼を叩いたのは事実だし、キスを拒んだのも皆が聴いている。そんな美味しいネタを提供されたら、面白おかしく脚色されるのは当然だとまで言い返された。
マリーの怒りは帰って来たアルビーにまで向けられて、当の本人は「言いたい奴らには言わせておけよ」と面倒臭そうに言っているのに、ちっとも収まらず、彼のイメージダウンは許せないと息巻いている。
「大体、コウ、あんたアルのことを傲慢だって言ったんですってね!」
……言った。かも知れない。
「もういいじゃないか。文化の違いを考慮しなかった僕も悪いんだから」
アルビーの方が苛つき始めている。
「でも、ステディなのにキスも許してもらえなくて、あのアルビーがお預け喰らってるって、」
唇を尖らせてはいるけれど、彼の機嫌が損なわれ始めているのを察してか、マリーの語調は失速気味だ。アルビーはというと、その言い分に吹き出して僕を一瞥し、クスクス笑い出す。
「確かに」
ちょっと待て!
「ステディってどういうこと?」
僕は眉間に皺を寄せて、この二人を代わる代わる見比べた。
「ほらね、やっぱりコウは解っていなかった。そうじゃないかな、って気はしてたんだ」
アルビーは目を細めて笑い、トンっと、僕のおでこを突っついた。
「眉間に皺、似合わないよ」
「それも文化の違いだって言うの? 冗談でしょ。どんな未開地から来たのよ、コウは!」
マリーが吐き捨てるように言う。
つまりこの指輪を貰った時僕が思った通り、お揃いの指輪にはやっぱり意味があったってことだ。でも、アルビーがそんな意味を込めて僕にくれたとは、どうしたって思えない。だから正直にそう言って訊いてみた。
「まぁ、そうだね。牽制の意味はあったけどね。そこまで深く考えてのものでもないよ」
アルビーは苦笑して答えてくれた。今度はマリーの眉間に深い皺が刻まれる。それこそ痕が残ってしまうんじゃないかと言うくらい。
「アル!」
声を張り上げたマリーを、アルビーが一瞬睨んだ。びくりとマリーが身を竦ませたような気がした。マリーはもどかし気に視線を逸らし、口籠る。
「……でも、誰もそうは思わないじゃないの」
語尾が消え入りそうに力がない。
どうやら問題はこの指輪らしい。お揃いだから誤解されたってことなんだ。
「これのせいで誤解されるのなら、僕はもう、この火蜥蜴をしない方がいいのかな?」
「え? 何て言った?」
アルビーが怪訝そうに眉を寄せる。
「……火蜥蜴だと思っていたから、何も考えずにあっさり受け取って、そんなに大事にしてくれていたの?」
被さるように問い質す口調は、とても冷たい。
僕の答えを待たずにアルビーは立ち上がり、バンッと粗くドアを叩きつけて部屋を出て行った。
僕は向かいに座るマリーのじっとりとした視線にも、そして僕の横にいるアルビーの気怠げな空気にも呑み込まれないように、固くバリアを張って視線を虚空に移ろわせていた。そんな弱虫の僕をアビゲイルが嗤っている。
アルビーが帰ってくるまでに、マリーの怒り心頭の理由を聴いた。
彼女は大学に着くなり、友人たちにアルビーの新しい噂話を聞かされたのだそうだ。
あの白雪姫が、舞踏会にやってきたみすぼらしい田舎者のシンデレラにキスしようとして頬を張り飛ばされた上、シンデレラは零時の鐘の音と共に彼を袖にして、するりと逃げ帰って行ったって。残ったのは、ガラスの靴ではなく、真っ赤な小さな張り手の痕。さぁ、あの小さな手形の持ち主は誰?
大学生というものは、とかく馬鹿話が好きなのだと思う。
それにしても、「みすぼらしい田舎者のシンデレラ」は酷くないか? 僕はちゃんとアルビーたちがくれた服で行ったのに。それに、彼の頬にそんな痕なんてつかなかったし、僕たちは一緒に帰ったのに。
マリーにそう説明したけれど、僕があんな大勢の前で彼を叩いたのは事実だし、キスを拒んだのも皆が聴いている。そんな美味しいネタを提供されたら、面白おかしく脚色されるのは当然だとまで言い返された。
マリーの怒りは帰って来たアルビーにまで向けられて、当の本人は「言いたい奴らには言わせておけよ」と面倒臭そうに言っているのに、ちっとも収まらず、彼のイメージダウンは許せないと息巻いている。
「大体、コウ、あんたアルのことを傲慢だって言ったんですってね!」
……言った。かも知れない。
「もういいじゃないか。文化の違いを考慮しなかった僕も悪いんだから」
アルビーの方が苛つき始めている。
「でも、ステディなのにキスも許してもらえなくて、あのアルビーがお預け喰らってるって、」
唇を尖らせてはいるけれど、彼の機嫌が損なわれ始めているのを察してか、マリーの語調は失速気味だ。アルビーはというと、その言い分に吹き出して僕を一瞥し、クスクス笑い出す。
「確かに」
ちょっと待て!
「ステディってどういうこと?」
僕は眉間に皺を寄せて、この二人を代わる代わる見比べた。
「ほらね、やっぱりコウは解っていなかった。そうじゃないかな、って気はしてたんだ」
アルビーは目を細めて笑い、トンっと、僕のおでこを突っついた。
「眉間に皺、似合わないよ」
「それも文化の違いだって言うの? 冗談でしょ。どんな未開地から来たのよ、コウは!」
マリーが吐き捨てるように言う。
つまりこの指輪を貰った時僕が思った通り、お揃いの指輪にはやっぱり意味があったってことだ。でも、アルビーがそんな意味を込めて僕にくれたとは、どうしたって思えない。だから正直にそう言って訊いてみた。
「まぁ、そうだね。牽制の意味はあったけどね。そこまで深く考えてのものでもないよ」
アルビーは苦笑して答えてくれた。今度はマリーの眉間に深い皺が刻まれる。それこそ痕が残ってしまうんじゃないかと言うくらい。
「アル!」
声を張り上げたマリーを、アルビーが一瞬睨んだ。びくりとマリーが身を竦ませたような気がした。マリーはもどかし気に視線を逸らし、口籠る。
「……でも、誰もそうは思わないじゃないの」
語尾が消え入りそうに力がない。
どうやら問題はこの指輪らしい。お揃いだから誤解されたってことなんだ。
「これのせいで誤解されるのなら、僕はもう、この火蜥蜴をしない方がいいのかな?」
「え? 何て言った?」
アルビーが怪訝そうに眉を寄せる。
「……火蜥蜴だと思っていたから、何も考えずにあっさり受け取って、そんなに大事にしてくれていたの?」
被さるように問い質す口調は、とても冷たい。
僕の答えを待たずにアルビーは立ち上がり、バンッと粗くドアを叩きつけて部屋を出て行った。
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